50「似合いの」

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 レイネメナ=ティウディメルは、生まれた時から輝くように美しかった。
 その美しさは——ティウディメル家は精霊の血が入っていた始祖の血族ではないにもかかわらず——先祖返りではないかと噂されるほどであった。
 ただ、美しいということは無垢な人間にとって必ずしも福音とはなりえなかった。というのも、レイネメナのあまりの美しさと幼さゆえの愛くるしさに、王宮の奥に住んでいてなお、邪なことを考える連中があとをたたなかったからだ。
 そうしてレイネメナ=ティウディメルは十を過ぎた時にはもう、立派な人間嫌いに育っていた。


「レイネメナ様! 大変です!」
 侍女が部屋に駆け込んできた時、レイネメナは刺繍をしているところであった。危うく針を指先に刺しそうになり、眉を寄せて顔を上げる。
「なあに? 騒がしいわね」
 十四歳になったレイネメナは、日々花弁が一枚一枚ほころびるように華やかさを増していた。
 特に成人の儀を終えてからは男女問わず贈り物や手紙が絶えなかったが、レイネメナはそのどれにも目を通していない。人間に寄せられる好意には嫌悪感しかないからだ。
 今レイネメナが大切にしているのは、趣味の刺繍にかける道具や時間と、ペットのセリーナだけであった。
「あ、その、あの……」
「なんなの? はっきりおっしゃい」
「その……セリーナが逃げました!」
 レイネメナは持っていた針と布を放り投げると、顔色を変えて立ち上がった。
「なんですって?」
「申し訳ございません。籠を掃除する間別の籠に移しておいたのですが、蓋が外れていたみたいで……、今、ダイアンとライナが探しているんですが」
「お前も急いで探しなさい!」
 鋭く命じると、侍女がぴゅっと部屋を飛び出していく。そわそわと一度は椅子に座ろうとしたレイネメナであるが、いつも侍女がセリーナの籠を掃除する部屋とこの部屋は、外庭でつながっていることを思い出して立ち上がった。
 小走りで庭に飛び出す。
 決して狭くはない庭をきょろきょろと見回して、石畳の上を目当ての部屋の方へ向かって歩き出した。
 セリーナは臆病な子だ。誰よりもレイネメナを信頼していて、レイネメナやいつも籠の掃除をする侍女以外の人間には警戒を露わにする。心ない人間に見つかってしまったら、何をされるかわからない。一刻も早く見つけてあげなくては。
「セリーナ!」
 その時レイネメナは、視界の端をセリーナの可愛らしい尾が横切った気がしてはっと振り向いた。
「セリーナ⁉︎」
 ドレスのスカートをからげて茂みの中を覗き込むと、がさがさと枝葉をかき分けて庭の奥に入り込む。
「セリーナ、出ておいで!」
 茂みの小枝が手の甲に小さな傷を作ったのも気づかずに、レイネメナは夢中で庭の深いところまで分け入っていった。
「セリーナ!」
 王宮の庭師達は優秀で、城から見えないところでも庭木は綺麗に整えられている。
 もう少しすれば、花をつける木もあるだろう。城には白いシスの木が咲き乱れる中庭があり、レイネメナはよく侍女に命じてシスの花びらを集めてこさせたものだった。セリーナの寝床にするためである。
 白いシスの花は、白く美しい肌を持つセリーナによく似合っていた。
「……」
 やがてレイネメナは、左手に見えてきた城の外廊下を、年若い兵士が二人歩いていくのを見つけた。
 思わずさっと青ざめ、茂みの中に隠れる。
(なんてこと。いつの間にか、奥宮の外に出てしまったんだわ……!)
 人間嫌いのレイネメナは、王族として出席しなければいけない公式行事以外では自分の暮らす奥宮からは出たことがないのだ。彼女は半ばパニックになり、その場にうずくまって動けなくなった。
(どうしよう、どうしよう)
 幼い頃、自分に触れてこようとした大人達を思い出す。
『なんて美しい方だ』
『レイネメナ様』
『どうかこの私をお側に置いてくださいませ』
 気持ち悪い、ねっとりとしたその視線。人間の温もり。吐き気がする。
 ああ、息が苦しくなってきた。
 気が遠くなる。
 しかし、その場に倒れそうになったレイネメナの腕を、ぐいと引く冷たいものがあった。
「どうしました?」
 見知らぬ者に触れられることに対して反射的に拒否反応が出たレイネメナは、その腕を乱暴に振り払った。
「あっちへいって!」
 ヒステリックに叫び、両腕で膝を抱き抱えるように蹲る。身体が小刻みに震えるのは止められなかった。
 大抵こういう時、相手は驚いたように目を丸くするのだ。
 そしてまるで野生動物を手懐けようとする時のようにおずおずと、こちらに向かってを手を差し伸べようとする。そうでなくても、馴れ馴れしく介抱しようとしてくる。
 まるで、お前は本当は誰かの助けを求めているのだろうとでも言いたげに。
 馬鹿なの? と言いたい。
 あっちへ行けと言っているのに行かない意味がレイネメナにはわからない。
 押し付けの好意など恐怖でしかないというのに。
 だから人間は大嫌いだ。
「失礼な女だ」
 しかしその時、頭上から降ってきた声は思いの外冷ややかであった。
「……」
 一瞬言われた言葉が理解できずに、俯いたままぱちぱちと瞬きをする。
「いつまでもそこにいるなら、兵を呼ぶからな」
「……!」
 そう言い捨てて男が踵を返した気配を感じて、レイネメナは追いかけるように慌てて顔を上げた。
 レイネメナの目がわずかにとらえたのは、細身の体躯に青白い肌の青年だ。その青年は、こちらに背を向けてさっさと城の方へ戻っていく。
「……」
(あれは、誰なの……?)
 レイネメナは呆然とその男の背を見送った。
 もう吐き気などどこかにいってしまっている。遠のきそうだった意識は別の意味で混乱状態だ。
 城の外廊下にたどり着いた男が、「どうされました?」と話しかけられているのが聞こえる。男はあの冷ややかな声音で、「猫が迷い込んでいたようです」とだけ答えてさっさと城の中に入ってしまった。
 あの顔色。雰囲気。何かを彷彿をさせると考えてみると、思いつくのはレイネメナが唯一心を許せるペット、セリーナであった。
 レイネメナの可愛い白蛇。
(なんてこと)
 あんな方がいたなんて。
 ねっとりと気持ちの悪い温かな人間たちと違い、蛇のように冷たく滑らかな魅力を持った男性が。
 そしてレイネメナが運命的な出会いを果たしたその男の名こそ、後のレイネメナの夫、バルドゥイーン=ヘッセンであった。


「ラム、ちょっと相談に乗ってほしいんだが」
「なんだ、珍しいなバルド」
「……女性に求愛されて困っている」
「ははは。お前に求愛する女性がいるって? どうして困る必要があるんだ。貴重なお相手じゃないか」
「お相手はレイネメナ様だ」
「……嘘だろう?」
「本当だから困ってるんだ」
「……別に、いいじゃないか。お前の家柄なら問題ないだろう。多少年齢差はあるかもしれないが、ない話ではない」
「あの、レイネメナ様だぞ。私と結婚したいだなんて、一時の気の迷いか何か勘違いされているに決まってる」
「まぁ、美女と野獣ならぬ美女と蛇だもんな」
「助けてくれ」
「無茶言うなよ。私に何ができるって言うんだ」
「捏造でもいい。私のよくない話をレイネメナ様のお耳に入れれば……」
「お前のよくない話なんてすでにあることないこと城中に広まってるだろう。いかんせん顔つきが悪いからな。いやぁしかし、そうか……。レイネメナ様がお前をねぇ。はは」
「笑いごとじゃない」
「ヴィシックが知ったら驚くぞ。まさかお前が、王族の女性と結婚するとは」
「……くそ。お前、他人事だと思って」
「幸せになれよ!」
「うるさい、黙れ。この役立たずが」



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