21.ワイン


 珀蓮の懐妊が知らされて、南の国の第六王子夫妻、それに西の国の第二王子夫妻はお祝いを持って東の国に駆けつけた。
 それぞれ三歳になる息子と、二歳になる双子の姉妹を連れている。
 ひとしきり遊んだ子供達は早々に夢の世界に入り込み、久々に集まった六人は鳥代の私室で卓を囲んだ。
「本当におめでとう珀蓮」
「男児かのう、女児かのう」
 友人を囲み、嬉しそうに言う南の国の王子妃と西の国の王子妃に対して、珀蓮は軽く息を吐いた。
「王子であってほしいわ。でなくてはまた産まなくてはならないもの。あんな思いをするのは一度で十分だわ」
 どうやら悪阻がひどかったらしい彼女は少し痩せたようだ。早苗はあまりひどくなかった方だが、それでも一時期体調が悪そうにしていた。あれは本当に夫として無力感に苛まされた時期だった。
 広兼がちらりと鳥代の様子を伺うと、椅子に座った悪友は苦笑して肩をすくめる。
「無事に産まれてくれるんならどっちでもいいけどね」
「女の子は可愛いよー」
 王伊が目尻を下げて言う。
 広兼は持っていた瓶から赤い液体を杯に注いだ。
「祝い酒だ。ルヴァインに取り寄せさせた。シェイデル産の一級品だぞ」
 このような西大陸産の葡萄酒は、そのうち大量に輸入されてくるようになるだろう。魔術師を東大陸でも教育するという一大事業は、沿岸の線をも巻き込んで大陸間の国交正常化の一翼を担っている。
 今はまださまざまな調整や話し合いがされている段階だが、五年後、いや四年後には大陸間を往復する船は今の十倍にはなっているはずだった。
「新祢みたいな色だね」
 葡萄酒の注がれた杯を手に取って王伊が言う。
「私、葡萄酒を飲むのは初めてです」
 杯を鳥代から受け取った早苗は、興味津々といった様子でその赤い液体の匂いをかいだ。
 新祢と珀蓮は手に先ほど早苗が淹れた菩提樹の香草茶を持っている。珀蓮は妊娠中だし、新祢は酒を一切飲まないのだ。
「わたくし、西大陸の葡萄酒はあまり好きではないわ」
 香草茶を飲みながら珀蓮がそう言うので、早苗は目を丸くして友人を見た。
「あら、珀蓮は飲んだことがあるの?」
「お義父様は新しいものや珍しいものがお好きなの。西大陸の葡萄酒は重すぎるわ」
 この大陸でも葡萄酒は作られているが、酒好きの間で西大陸の葡萄酒は密かな人気だ。東の王や北の王とは飲み仲間だという黄臣伯爵も、コネを使って取り寄せた一本を何かの時に飲もうと今も大事に取っているようだ。
 広兼にはあまり理解できない趣味だった。
「ああ……これはすごい。いい葡萄酒だ。薫りが深い」
 その赤い液体を一口含んだ鳥代は、うっとりと微笑む。
 三人の王子の中で、一番酒の楽しみ方を知っているのは鳥代だ。広兼はどちらかと弱い方だし、王伊は強いがその代わり味の機微がわからない。
「ふん。輸入品としては申し分ないな。売れそうだ」
 くいと杯を傾けた広兼は、口の端を上げて笑った。
「あー。確かにこれは重いね」
 王伊が言う。
「……」
 隣に座る妻を見ると、彼女はそっと杯に口をつけたところだった。
 広兼のところに嫁ぐまであまりお酒飲んだことのなかった早苗だが、特別酒に強いわけでも弱いわけでもない。ただ少なくとも公衆の面前で失敗をするほど酔ってしまったことは一度もないので、広兼はあまり心配をしていなかった。
「……まぁ」
 こくりと喉を鳴らした早苗は、目を丸くした。
「美味しいですね」
「早苗嬢はさすが舌が肥えている」
 鳥代が褒めた。
「お義姉様達にも飲ませてさしあげたいわ」
「そのうちにね」
 広兼は曖昧に笑った。けっして安くはない酒だ。あの義姉達が確かに酒の味を解するのだと証明できなければ飲ませたくはない。
 その後しばらく六人は酒や香草茶を飲みながら談笑していたが、異変は唐突に起こったのでその場にいた全員が驚いた。
「……少し暑いですね」
 早苗が言った。
「そうかえ?」
 今は秋から冬の変わり目だ。だがまだ暖炉に火は入っておらず、夜風も気持ちのいい季節だった。
「窓を開けようか?」
 鳥代が笑って立ち上がる。
「早苗さん酔ったんじゃない?」
 王伊が少し首を傾げて言った。
「それにしては顔色が全然変わっていないわね」
「……早苗?」
 突然すっ、と早苗が立ち上がったので、広兼は妻の名を呼んだ。そして次の瞬間彼女がにっこりと微笑んで起こした行動に、一同はぎょっとして目を疑った。
「あら、大丈夫ですよ、鳥代様。服を脱げば済むことなので」
 と言いながら、早苗は胸の上の釦を一つ外した。
「!?」
「え!」
「ちょ!」
 今日彼女が着ていたのは水色のドレスで、胸元だけ白地の布があてられて刺繍がされている。その白地の部分に釦がついていて、ドレスを脱ぐためにはその釦を外して後ろの紐を緩めなければいけなかった。
「早苗!!」
 広兼はほとんど悲鳴のような声を上げて、さらに釦を外そうとする彼女の手を取った。すると早苗は、きょとんとした様子で夫を見た。
「どうかされましたか? 広兼様」
 今初めて気付いたが、目が潤んでいる。それに心なしか血色がよく、唇は瑞々しい。
 広兼は目眩がした。
 なんだこれ。可愛い。
 最初に立ち直ったのは王伊だった。彼は新祢が持ってきて脇に避けていた肩掛けを取ると、それを広兼に差し出した。
「今すぐ部屋に連れて行って休ませた方がいい」
 広兼は「悪ぃ」と言ってその肩掛けを受け取った。そしてまるで無垢な幼い子供のように自分を見てくる妻の胸元を肩掛けで隠すと、そのまま彼女をひょいと抱き上げる。
 早苗はますます目を丸くした。
「……まぁ」
 そう言って、にっこりと笑う。
「お姫様みたいだわ」
「……」
 駄目だ。
 なにこれ。
 可愛すぎる。
 そのあまりの威力に広兼は少々のけぞったが、かろうじて理性を取り戻して前を見た。もはや友人達を気にする余裕はない。
「悪いな。先に寝るわ」
 広兼は短くそう言うと、
「あら、でも私まだ皆とお話したいのですけれど……」
 と言う早苗の言葉を無視してすたすたと歩いて部屋を出た。
 彼は足早に廊下を歩く。
 自分もある程度酒を飲んでいる。この理性がぶち切れてしまう前に自分達の寝室にたどり着きたかった。
「ああ、涼しいですね。広兼様」
 腕の中の妻は、広兼の胸に頬を寄せて目を瞑る。
 耐えろ俺!
 と南の王子は自分を叱咤して少し小走りになった。




「……驚いたわね」
「早苗は酒に弱かったのかえ?」
「いや、そんなことなかったと思うけど……。もしかしたら葡萄酒が合わないのかもしれないな」
「広兼知らなかったんだね……」
「知ってたら飲ませてないだろう」
 少なくとも他人がいるところでは。と鳥代は心の中で補足した。
 広兼は今頃早苗を抱えて寝室へ走っているだろう。
「……」
 鳥代はそっと珀蓮を盗み見た。
 しかし彼の妻は正確に夫の思考を追っていたようで、ばちりと彼を目を合わせると、冷たく言い捨てた。
「わたくしは酔うほど飲まないし、飲んでも脱がないわ」
「……すみません」
 なんとなく謝ってしまった鳥代だった。