34.蝋燭


 灯りがほしいと思ったその次の瞬間、見えない誰かがその心を読んだかのように燭台に火が灯った。
 視界の中でゆれる炎を見ながら、ヴィシック=ボリバルは先ほどまで見ていた夢のことを忘れ、先日会った男の顔を思いだしていた。
 男にふれた時この身体の中に流れ込んできたものは今も心臓の奥をみたしている。男のことを、まるでずっと昔から知っている存在のように感じるのは、その心臓の奥にある風のせいだ。柔らかくあたたかいその風は、けれど今もヴィシックの内側をしめつけている。
 彼女は頬にふれた。
 涙が一筋流れている。
 その雫にふれてやっと、ヴィシックは自分がたゆたっていた幸せな夢の光景を頭の底からすくい上げた。
 アーデルベルト=ヴェル=ティウディメル。
 大切なひと。
 自分は永遠に彼とともにいるのだと、疑ってもみなかった日々はすでに遠い。
 それなのに夢に見るのだ。
 大人になった自分と、今と変わらない笑顔で愛してると言ってくれるあのひとを。
 なにが変わったのかはわからない。
 けれど決定的に変わってしまった。
 それだけはわかるのだ。
 だからこんなにもかなしい。
「アル……」
 ヴィシックの声は静かな夜の大気にとけた。
 涙は刃となって少女の外からはみえない場所を傷つける。
 そしてその傷をなでる誰かが内側にいる感覚を、幼い彼女は確かに感じていた。
『……』
 身体の内側の誰かがなにかをささやいている。
 けれどその声は小さすぎて、ヴィシックの耳には届かない。
 だから少女はやがてその声も、感覚も忘れた。
 ヴィシック=ボリバルが帝国の魔術師の名を自らが継ぐのだと聞かされるのは、このほんの少し後のこととなる。
 そして彼女は歩き始める。
 人から逸脱した魔術師としての生を。
 まだ見ぬ光への道を。
 やがて知るのだ。
 自らの内側にいた者の存在を。その名を。
 そしておそらく、あの時ささやいていた言葉を。

『ごめんなさいね』

 もう蝋燭に火は灯らない。
 精霊に愛された皇女はヴィシックが愛したひととともに消えた。
 まだ見ぬその世界で彼女は恋人といるのだと、ヴィシック=イース=ボリバルは疑っていなかった。