戦うふたり


 ある夫婦がいた。
 二人はごく普通に街中で出会い、ごく普通に恋をして、ごく普通に結婚した。
 妻はどこから見ても平凡な主婦だったし、夫は三白眼ではあるが普通の薬売りだった。
 二人は平原の真ん中に住んでいた。
 ある日の事である。
 夫が町に薬を売りに行く事になった。普段は客の方が買いに来るのだが、注文された薬が調合してすぐに服用しなくてはいけない類のもので、薬の材料を持って調合しに来てくれないかと頼まれたのだ。町まで行く道のりは馬で一刻。そう遠い道のりでもないので、断る理由はなかった。
「いってらっしゃい、ダーリン」
 妻は夫を玄関まで見送った。
「いってくるよ稲ちゃん」
 夫は妻にキスをした。
 そうして二人は、別れたのだった。
 そしてそのわずか二刻後、突然、戦争が勃発した。
 宣戦布告をしたのは花楓の国。その相手は、隣国である花紅葉の国である。
 双子国として有名で、いつも小競り合いを繰り返していたこの両国が平和条約を締結したのは五十年前。五十年前までは毎日戦争に次ぐ戦争という生活だったというから、人々はこの条約に喜んだが、同時に噂した。
 一体、この条約が何年もつのかと。
 そもそもこの両国が現在のようになったのには、三百年前までさかのぼらなければいけない。
 花楓の国と花紅葉の国は、もとは一つの王国であった。
 かつて花桜の国と呼ばれたかの国は、賢い王と美しい女王によって治められていた。二人は仲睦まじく、誰もが羨む夫婦であった。春には花が咲き、夏には緑が生い茂り、秋には赤い色に染まり、冬は一面白に覆われた。まるで楽園のような国であった。
 その楽園が、崩壊したのはもう三百年前。
 原因は国王陛下の浮気である。怒った女王様は、自分の所有する兵と自分に従う者たちを連れて、西の実家に帰ってしまった。その実家の地域は紅葉が有名で、紅葉の里と呼ばれていた。現在の花紅葉の国の前身である。
 当時かの国では王もその妃である女王も対等であった。
 王が分裂し、国も分裂した。
 そして現在の、花楓の国と花紅葉の国となったのだ。
 国王の国は花楓。女王の国は花紅葉。
 以来両国は争いを繰り返し、五十年前にやっと結ばれた平和条約ではあったが、百五十年間つもった敵対心が、そう簡単に消えるわけもない。そうして今回、その条約は破られ、花楓の国王によって戦端が切られたのだ。
 きっかけは些細な事だ。花紅葉の国から来た使者が階級の低い者だったとかなんとか。
 馬鹿にされたとでも思ったのだろう。
 戦争の開始を聞いた国民は、やはりと思った。
 五十年もっただけでも上出来と言わねばなるまい。
 しかし、平原の夫婦にとって、この戦争の勃発は予想外のものであった。
 花楓の国の宣戦布告の知らせを聞いた時、二人は自分の耳を疑った。
 平原は花紅葉領。
 町は花楓領である。
 もうすでに国境には兵士が配備されているという。
 さすが戦争に慣れているだけあって素早い動きだ。
 戦争状態に突入したのだから、両国の行き来が簡単にできるわけもなく、平原の夫婦は花楓の国と花紅葉の国に分かたれる事となってしまったのだ。
 運が悪かった、としか言いようがないだろう。
 タイミングがよくなかったのだ。





 平和条約が破られ、再び戦争が起きてから十年の月日が経った。
 その間に両国は二千九百四十七回戦った。
 しかし今だに決着が付く様子はない。
 戦争といっても、それによって両国に死人が出る事は皆無といってもよかった。毎回毎回死人を出していては国民からは反乱が起きるだろう。要は子供の喧嘩のようなものなのだ。つまり、どちらが先に参ったと言うか。
 今の所、花紅葉の国が千四百七十四勝千四百七十三敗でリードしていた。
「いやーん。やだちょっと見て見てちょーかっこいい!」
 丘の上に腹ばいになり、双眼鏡を目にあてた稲矢はそう黄色い声をあげた。そんな彼女の後ろで、彼女の鎖鎧を持った従者がちょっと泣きそうな様子で地団駄を踏んでいる。
「稲矢さまぁ、お願いですから鎧を着てください! 僕が怒られるんですからぁ!」
 そんな従者の少年を無視して、稲矢はさらにちょっと身を乗り出した。
「あ、こっち気付いた。ダーリーン。見えるー? 今日も素敵よー」
 とかって手を振るその姿は、とても百人を率いる将軍には見えない。そんな主人の様子を、ううう、と低く呻きながら少年は睨みつけた。
 こうなったら、最後の手段である。
「稲矢さま……僕、泣きますよ」
 とたん、稲矢が手を降るのをやめる。
「泣きますよ。僕。大声で泣きますよ。駄々こねますよ」
 従者の失態はそのまま主人の恥に繋がる。稲矢は、双眼鏡から目をはずすと顔だけで少年を振り向いた。
 彼女は、あの平原に住んでいた妻だった。
 十年前、彼女は夫と別れてから王宮へ行き士官を志願したのだ。そして十年間の努力と功績で、将軍にまでのし上がった。ヌンチャクの稲矢といえば、彼女の事である。自らでっかい菜箸と呼ぶ愛用のヌンチャクを、彼女はまるで自分の一部のように操ることができた。
「……」
「泣きますよ」
「……わかったわよ」
 本当に目に涙をためて言われたその言葉に、稲矢はとうとう観念してため息をついたのだった。





「いやーやっぱ可愛いよな。マジ俺めろめろー」
「舵可様」
 突然背後の敵軍の方を振り向き相好を崩すと大きく手を降り始めた上官に、部下の男はこめかみを押さえた。
「だって見てみろって。手ぇ降っちゃってかーわいーい」
「舵可様」
 男の再度の呼びかけに、舵可はあからさまに迷惑そうな顔で振り向いた。
「あン? なんなの? お前、俺と稲ちゃんのささやかな愛のやり取りを邪魔してなんなの?」
 眉をしかめ下から見上げるように男を睨みつけるその三白眼の男は、あの平原に住んでいた薬売りだった。
 妻と分かたれた十年前、彼は薬を売りに行った客の紹介で花楓の国の兵士となり、持ち前の目つきの悪さと好戦的な性格で将軍にまでなっていた。三白眼の舵可といえば、彼の事である。戦場では、彼に睨まれるだけで敵兵は道を譲るという。
 しかしそんな元薬売りの睨みにもめげず、部下は軽く頭を下げて言った。
「そろそろ鐘が鳴ります。ご支度を」
 鐘が鳴れば、戦闘は開始される。
 三百年通して換算すれば、実に三万五千八百四十四戦目の戦いである。
 舵可は口の端を歪めて笑った。
「おう。逢瀬の時間だな」
 十年前離れ離れになってしまった平原の夫婦は、普通よりも少しばかり根性の座った夫婦だった。
 かつて一つ屋根の下で暮らし、毎朝のように愛を語り合った二人の現在。

 その逢瀬の場所は戦場であり、二人は剣戟で愛を語らう。





「さぁてダーリン、今日も目一杯愛してね」
「待ってろ稲ちゃん。今日も激しく愛を語ろうぜ」