6.抱かれた奇跡


「賊、ですかね?」
 クリスは顔をしかめた。
 目の前にあるのは小さな行商隊の残骸とも言える光景だ。馬車は車輪が外され荷台には何一つ残っていない。焚き火の跡は踏み散らかされ、いくつかの死体が転がっていた。おそらく行商隊が野宿でもしている時に襲われたのだろう。中には裸に剥かれた女性の姿もあって、クリスは目をそらせた。
 母国への凱旋の途中だというのに、なんという所に出くわしてしまったんだろう。
「そうだな。おい、一応身元を調べて、火葬にしてやれ」
 答えたのは、クリスが轡を持つ馬上の人。騎士団長アルフォンス=クノールその人である。クリスは彼に憧れ、自ら志願してアルフォンスの従者になった。本来は兵士なのだが、今回はアルフォンスの身の回りの世話をするという事で戦争に同行したのだ。
 うつぶせに倒れた老婆の死体の背は血で濡れ、まだナイフが突き刺さっていた。馬車に寄りかかるようにしている絶命している男は胸から腰にかけてばっさりとやられている。そんな哀れな死体達を、アルフォンスの指示に従った部下達がひっくりかえしたりして彼らの身元を証明するものがないか捜す。行商人というのは大抵、関所を通るための身分書を有しているものなのだ。
 クリスはアルフォンスの警護が役目なので彼の側は離れない。と、忙しそうに死体を検分したり運んだりする男達に混じって佇む少女が彼の目に入った。
 鮮やかな赤い髪、灰色の双眸。凛としたその姿に対して誰何する者などこの場にはいない。
「アルフォンス様……」
 アルフォンスはクリスに呼ばれて少女の方を見ると、困ったような顔をした。
 普段は冷静で有能で、どこから見てもかっこういいクリスの憧れの人はあの少女の事となると平生と異なった表情を見せる。好きなら求婚をすればいいと思うのだが、彼女の左の薬指にはまっている指輪を見てピンをきてしまった。まったく、アルフォンス様よりも素敵な男性などいないとは思うのだが、ともかく騎士団長殿の失恋は決定してしまっているらしい。
 クリスは、主人の片思いの相手であるこの少女の事も尊敬していた。
 今回立役者となり、戦争の勝利に大きく貢献した傭兵団《夜の剣》。かの優秀な傭兵団は敵に奇襲され件の少女を残して全滅した。傭兵達はかの少女を護るように、少女の横たわっていた場所を囲んで絶命しており、その少女には奇跡的に傷一つなかったという。そしてそれはわずか一ヶ月前の事である。その唯一の生き残りとなった彼女は、その功績をたたえ陛下から騎士の称号をいただきアルフォンス率いる騎士団に組み込まれた。異例の人事である。しかし彼女の戦いぶりを見てからは、その人事に不平を唱えるものなどいなかった。
 それは何か神がかりなものが働いているとしか思えなかった。
 彼女が剣を一振りすれば十人の敵が落馬し、彼女が馬を走らせれば風のように敵陣をすり抜ける。かの少女は、たった一人で実に一個小隊にも勝るとも劣らない戦績を上げたのだ。
 それはまるで彼女の傍らで誰かが共に戦っているかのような戦いぶりであった。
 この戦場で、彼女のその姿が長く歴史に残る事は必然であるだろう。
「クリス、火葬が終わったら先に行くからゆっくりして来いと伝えて来い」
 戦場での覇気はどこへやら、ぼんやりと佇む少女を見て何を思ったのか、アルフォンスは言った。
「あ、はい!」
 憧れの人に命令されたのと、あの憧れの彼女と話す事ができるのが嬉しくて、クリスは意気揚々と彼女の元へ向かった。




 彼女は、背にナイフを生やせた老婆を俯いて見ていた。
「イーニャ様」
 そっと話しかけると、彼女が顔を上げる。
 とてもあの《鬼人》だとか呼ばれる女性には見えない。赤い髪に灰色の双眸はくりくりとしている。年齢だって、たしかクリスよりも一つ二つ上なだけだ。けれどどこか大人びた雰囲気が彼女を包んでいて、彼女の前に立つと、クリスはいつも心拍数が上がるのだった。
「あら、クリス、なに?」
 イーニャはにこりと笑った。
 クリスは少し頬を紅潮させると、姿勢を正して団長の伝言を伝える。
 彼女は少し意地悪そうに笑った。
「やあねぇ、そんな事言うのにわざわざ人使うなんて。これだから命令しなれてる人間は。そう思わない?」
 同意を求められて、クリスは大いに動揺した。団長の悪口に同意を示すなどもってのほかだが、この人の言う事を否定もしたくない。
「あ、は、はい。あのいえ…あの」
 クリスは困って口を噤んだ。その様子にイーニャは朗らかに笑う。
「あはは。ごめんね、からかっただけよ。そんなに深く考えないで。クリスってば素直なんだもの。そういう所はアルそっくりね」
 クリスは目を見開いて真っ赤になった。
「そ、そ、そんな! 自分ごときがアルフォンス様に似ているなどと、滅相もございません!」
「あら、似てるわよ。ほら類は友を呼ぶって言うじゃない?あれよ、馬鹿みたいに正直なところがそっくり」
 くすくすと笑われて、クリスはすっかり縮こまってしまった。褒められているのだかけなされているのだかわからない。とりあえず気に入られてはいるようだから悪い気はしないが、居心地が悪い。
「ああ、ごめんなさいね。わかった。伝言は受け取ったわ。ありがとう、戻っていいわよ」
「あ、はい!」
 彼女はクリスの仕事を十分に承知していた。そんなに長い事団長から離しているのはよくないと思ったのだろう。クリスは敬礼すると、小走りで主人のもとへ戻って行った。
 その後姿を見ながら、イーニャは誰ともなく言う。
「ねぇ、やっぱりあの子、アルに似てるわよね? それとも貴族って皆あんなのなのかしら?」
 そう笑う。
 そして彼女は、さきほどまで見ていた足元の女性の死体に再び目をやった。背中に刺されたままのナイフが痛々しいが、彼女がこの女性が気になったのはそれが理由ではない。少し背が盛り上がりすぎているような気がしたのだ。まるでその下に何かを抱きかかえているかのようだ。
 しゃがんで女性を仰向かせる。
 意外と重かった。少し力を入れると、ごろりと転がる。
 赤ん坊だった。
 まだ生まれてまもないような赤ん坊が、老婆の腕に抱かれていた。彼女はこの子を護って死んでしまったのだ。この赤ん坊ももう息をしていないだろう。
 イーニャはその赤ん坊を老婆の手から離そうとした。しかし老婆の身体はもうすでに硬くなっていて、中々外れない。それでもがんばって外そうとすると、老婆の指がぼきりといやな音をたてた。
 イーニャは顔をしかめた。 死体は嫌だ。記憶を呼び起こす。彼女は彼女の恋人や父の死体には触れていなかったが、その痕跡には触れた。流れた血。持ち主を失った剣。
 彼女は黙って赤ん坊を抱き上げた。軽い。嘘のようだ。死体とはもっと重いはずなのに。おそらく元々栄養が行き渡っていたわけではなかったのだろう。ちくりと胸が痛み、その痛みを隠すように赤ん坊を胸に抱いた。
「……え?」
 イーニャは驚いて声をあげた。赤ん坊がかすかに身動きをした気がしたのだ。
「……ぇ、ぇ」
 小さな声が聞こえる。本当に、耳をすまさなければ聞こえないような声。
 生きているのだと、主張する小さな声。
 どきりとして手が震えた。
 そして自分の耳を疑った。
 その手を赤ん坊の前にかざすと、微かだがたしかに息をしていた。イーニャは目を見開いた。
 ……奇跡だ。
 生きてる。
 この子は生きてる。
「誰か!医者を呼んで! 生きてる子がいるわ!」
 そう叫びながら、イーニャは震える赤ん坊を胸に抱きこんだ。
 静かに吹く風からも護ってやらなくては、と思ったのだ。
 彼の言葉を思い出した。
『あれは、人生に何度も味わえるという感情じゃない。奇跡を目の当たりにした時にあふれ出るものだ』
 ああ、そうねフォルシス。
 そうね。
 急に目頭が熱くなった。
 胸も締め付けられるようになる。
 涙が勝手に流れてくる。
 愛しさで切なくなる。
 この、目の前の奇跡に、世界の全てに感謝をしたくなる。
 青白い赤ん坊の頬に、イーニャはキスを落とした。
 触れた頬がかすかに暖かかった。


 ありがとう。
 生きていてくれてありがとう。
 彼女は呟いた。





 月のお舟で
 星のうみをいこう
 月の光でつくった櫂をもって
 ミルクを腰にさげて

 遠く広がる
 世界を見に行こう
 真白なノートをもって
 えんぴつを胸にさして

 さみしくなったら
 下をみて
 星のような町の明かり
 月の寝息のような木々のささやき

 わかるでしょう
 きこえるでしょう

 そうしたらまた
 前をみて
 お舟を漕ごう
 先をすすもう