スープ


「信っじらんない!」
 西の王国の応接室で、白蓮姫の怒鳴り声がこだました。
「魔女にさらわれた? いい年した大の男が? 情けない! あの女好きめ! どうせ魔女の色香につられてへこへこ付いて行ったに違いないわ!!」
 両手を振り回して室内を歩き回る白蓮は、黒檀の黒い髪に雪のような白い肌をした華やかな女性である。世に白雪姫として知られる彼女は、今朝、夫の実家である東の王国の夫婦の寝室で目覚めたときにある書置きを発見した。
 曰く、
『あなたの夫はいただいたわ。魔女より』
 普段から高慢で短気な所のある白蓮が、これを見て怒らないはずがない。彼女はすぐに、その書置きをにぎりしめて親友であり魔術に詳しい新那姫の元へ馬を走らせたのだ。
 その新那姫は、黒にも見える濃い赤い髪にこれまた血のように赤い眼をした艶やかな女性である。彼女は先ほどから落ち着かない白蓮を前に、悠然とソファに腰掛けている。この西の王国は彼女の実家ではなく、彼女の夫の実家だ。百年もの間眠りについていた彼女の実家はすでに滅びてしまっている。眠り姫として世に広く知られる彼女は、百年前もの間意識だけで時代をさまよってきた生き字引なのである。
「少しは落ち着いたらどうじゃ? 白」
 艶っぽい声で新那は言った。
 その言葉に白蓮は信じられないというような目を向ける。
「本気で言っていて!? 新那! あなたの夫もさらわれたのよ! それも同じ魔女によって! どうして正気でいられるというの!!」
 そう、新那が今朝西の王国の夫婦の寝室で目覚めた時も、そこに夫はなく白蓮と同じ書置きが置いてあった。
 筆跡も紙もまったく同じ。これが同一犯でなんだろうか。
 しかし取り乱した様子の白蓮とは逆に、さすが百年生きた貫禄か、新那は極めて落ち着いていた。そしてそれは、もう一人室内にいた女性にも同じことであった。
「それでもあなたは取り乱しすぎだと思うね。早苗を見習うがいい、白」
 言って新那が示したのは、少し離れたテーブルで紅茶を淹れている金髪に灰色の双眸のたおやかな印象を受ける女性である。彼女こそは平民の生まれでありながら、運だけで南の王国の王子の心をゲットしたシンデレラ姫だ。木綿地の服を好んで着る彼女は、しかし今は他国へ訪問する際の礼儀と心得て、貴婦人の着るような絹のドレスを着ていた。
 二人の姫君の視線を感じ取ってか、顔を上げると早苗は照れたように笑った。
「とりあえず、お茶を飲みませんか? 二人とも」
 もちろん今朝、早苗が夫の実家である南の王国の夫婦の寝室で目覚めた時も、件の書置きが置いてあった。しかし早苗は取り乱すことこそなかったが、こんなふうに夫を魔女にさらわれるなど初めてでどうすればいいのかわからない。とりあえず百年生きてらっしゃる新那姫の元へ相談に行こうと馬車を借りてやってきたのだ。
 そうするとそこにはすでに馬を飛ばしてきた白蓮がいて、顔を真っ赤にして夫を罵倒しながら部屋の中を歩き回っていたというわけだ。
 早苗の花もほころぶような笑顔に、さすがの白蓮も毒気が抜かれたようにため息をついた。
「経験豊富な新那はともかく、なんであなたはそんなに落ち着いているのかしら? 早苗」
 それは皮肉でも嫌味でもない。ただ純粋な疑問だった。
 友人の言葉に、早苗は困ったように首をすくめた。
「あらだって、慌てても何も変わらないもの。そんな非合理的な事はしないのよ」
 一見野に咲くたんぽぽのように柔らかで優しい印象を受ける早苗だが、そこはやはり商人の娘。徹底的な合理主義であるからこそ運も彼女に引かれてやってくるのであった。
「さぁ、とりあえず白も座るのじゃ。そんなことでは話せるものも話せなくなってしうまう」
 さらに新那に開いたソファをすすめられ、今度こそ白蓮も怒りをおさめて大人しく座るしかなかった。ここまで冷静な友人二人に囲まれていては、怒りにまかせて暴れるのもままならない。
 紅茶を淹れた盆を持ってテーブルに置き、早苗もソファについた。あたりにレモンティーの甘い香りがただよう。
 応接室にはこの三人の姫君たち以外は誰もいなかった。
「さて、妾達の夫を取り返す算段をしようか」
 新那が言った。

 南の第六王子が結婚したのはシンデレラ。
 東の第一王子が結婚したのは白雪姫。
 西の第二王子が結婚したのは眠り姫。
 伝説に残る夫婦達は、海よりも深い友情を持つ友人達でありました。

 さらわれた夫をとりかえすため、姫君たちの密談は西の宮の奥でひそやかに行われた。
 さて、一方王子達はというと?




「「「帰る」」」
 見事な男声多重奏である。
 自らの美貌にかなりの自身を持った魔女も、自分を見て開口一番王子達が発したその言葉にあっけにとられた。
「悪いけど俺マジ帰る。すっげムカつく。なにそれ。俺達新婚なんだけど。目覚めて一番に見るのはうちの奥さんのきれいな金色の髪の毛であってこんな野郎共の寝顔じゃないしあんたみたいな年増でもないはずなんだけど」
 ものすごく不機嫌そうに言い切ったのは黒髪黒眼の広路という名の青年。シンデレラの夫、南の王国の第六王子である。
「どうしようどうしようちょっとこんな事してる間に新那さんに逃げられたらあなたのせいですよ。ほんとにもうあーいーやーだー。新那さんどうか頼むから僕が帰るまでどこにもいかないでくださいお願いします」
 とかものすごく見当違いのところで動揺しているのは茶色の髪をして鉄色の双眸に眼がねをかけた青年、王維。眠り姫の夫、西の第二王子である。
「いーやー。あんたすっげいい女だけど、うち一応新婚だし。まぁこの先の円満な家族計画のためにはさ、とりあえず今は一刻も早く家に帰っておいた方がいいと思うんだよね。だからお誘いはまた今度お願いできるかな? ごめんね綺麗なお姉さん」
 とよく回る口で軟派な事を言うのは長い黒髪を後ろで束ねて新緑の色の双眸をした青年、鳥子である。言うまでもなく白雪姫の夫、東の第一王子であった。
「だからというわけで失礼しますさようならっ」
 そう言ってさっさと部屋を出て行こうとした王子達を、はっと我に返った魔女が扉の前に立ちふさがって止めた。
「ままま待ちなさい! あなた達、状況がわかってないんじゃないの? 私は魔女。あなた達は私に浚われたのよ。だから身の安全を保障してほしかったら大人しく私の言うことを……」
 魔女は最後まで言えなかった。
 何故なら東の王子、鳥子にその薔薇のような唇をふさがれたからだ。唇で。人はそれを口付けと呼ぶ。 魔女にとってそれはとても長い時間に思えたが、実際は数秒も経っていない。何がおきているのかわからなかった彼女は、今自分がされている事を理解すると、顔を真っ赤にして鳥子を突き飛ばした。
 屈辱と羞恥と怒りに顔を染めて、魔女は怒号を発した。
「『何をする!!』」
 その声には確かに魔女の魔力が込められていて、その声を向けられた者は身体の機能がすべて一瞬止まってしまうはずだった。心臓も呼吸もだ。
 しかし鳥子は平然として、その口の端に笑みを刻んだ。
「僕に魔術はきかねえよ、お姉さん。知らねぇわけねぇだろう? あんたがうちの奥さんにかけた呪いを解いたのも僕だよ。なんていうの? あらゆる魔術の無効化? それができるのが僕ってこと」
 確かに魔女はこの東の王子のその能力を知っていた。その忌々しい能力のおかげで憎憎しい白雪姫を殺し損ねたのだ。魔女は射殺さんばかりに東の王子をにらみつけた。
「貴様……人質でなければ今すぐ殺してやる!!」
 魔女の怒号に、鳥子は飄々と肩をすくめる。
「貴様らはこの部屋からは一歩も出さん! いいな!!」
 魔女はそう怒鳴ると、ばたんと扉を閉めて鍵をかけてしまった。
 部屋に残された三人は顔を見合わせる。
「……お前のせいだぞ鳥」
「……ひどいですよぉ」
 広路と王維の二人の王子が鳥子に責めるような視線を向ける。
 鳥子が魔女によりによって口付けをしたせいで、魔女を余計に怒らせた事は確かだ。しかし鳥子は悪びれず口の端を上げてにやりと笑った。
「ばあか。僕はお前らを守ってやったんだぜ? あの時僕がキスしてあの女の言霊の力を無効化してなかったら、お前ら無意識にあの女の言う事に従うようになってたんだ。足を舐めろとか三回回ってワンと言えとか言われても不思議に思うことなくやってただろうさ。感謝してほしいくらいだぜ」
 魔女の言霊の力。
 あいにく、鳥子と違って広路も王維も魔術に関してはさっぱり勝手がわからない。そういうものなのかととりあえずは納得したが、あらためて部屋を見回してみて途方にくれた。
 その部屋は広いがあるのは大きなベッドとクローゼットだけ。窓もなければ、扉もいつのまにかなくなっていた。おそらくそれも魔術と呼べるものなのだろう。あの豪奢な扉は、魔女が鍵をかけた音がしたと同時にその場から消えてしまっていたのだ。
 つまり今、三人はまったくの密室に閉じ込められた形となった。
「よしじゃあ今すぐこの魔術とやらを解いて扉を出せ鳥。俺はすぐ帰る今すぐ帰る」
 命令しなれた傲慢な様子で広路は言ったが、鳥子はばーかともう一度言った。
「僕が無効化できるのは、僕に直接向けられた魔術か、僕がキスした相手の中にある魔術や呪いだけだよ。でなけりゃとっくにあの女張った押して逃げてるさ」
「微妙に役に立たないんだね、鳥子のその力ってさ」
 ため息をついて王維が言う。
 その言葉に鳥子はむっとしたように噛み付いた。
「あんだとぉ? キスさえすりゃどんな究極な魔術だって防げるんだぜ? 何が使えないってんだ?」
 確かにそれはすばらしい力のように思える。
 彼自身には魔術は効かないのだから、魔術師との対決では剣術も使える鳥子の方が圧倒的に有利だろう。しかし、魔術師の存在はそれ自体が希少で、だから鳥子が魔術師と対決する機会など一生で一度あるかないかだし、何より。
「白御前しろごぜんの前で他の女にその力使える?」
「ぐ」
 相手にキスをしなくてはならないというのなら、少なくとも妻の前ではできないだろう。たとえ魔術を無効化するためだと言っても、鳥子が他の女性にキスしている所を見れば白蓮が烈火のように怒るのは目に見えている。
「それに男相手にそれできる? できないでしょ? 使えないじゃん」
「うぐぐぐ」
 その力に助けてもらったくせに恩を微塵に感じていないような王維の台詞に、鳥子は恨めしげな視線をやった。
 そんな二人を無視して、広路は胸に下げたペンダントを手に取った。
 それはロケットになっていて、ぱちんと開くと中に肖像画が入るようになっている。広路の持つそれには、金色の髪を揺らして花のように笑う、早苗の姿が描かれていた。
「すぐ帰るからね、早苗」
 そう言うと、彼は妻の笑顔にそっとキスを落としたのだった。




「おや、いらっしゃい。待ってたよ」
 三人の姫君たちは、一人の老婆のもとを訪ねていた。
 老婆は西の城下町の裏路地に店を構える占い師である。皺と区別のつかない細い目と穏やかな口元は、老婆に優しげな雰囲気をプラスしていた。彼女は百年以上を生きる、三人の姫君たちの最も信頼する占い師であった。何故ならシンデレラに魔法をかけて城へ行かせたのも、眠り姫にかけられた呪いを緩和する魔法をかけたのも、この占い師の老婆であったからだ。
 姫君たちは協議の結果、魔女の事は魔女に聞くのが一番とばかりにこの老婆の元を訪れたのだ。
 老婆は馴染みの三人の姫君を歓迎した。
「突然ごめんなさいおばあさま。でも大変な事が起きたのよ」
 黒髪の多い東大陸では目立つ金髪を隠すためのフードを取って、早苗は挨拶をするかわりに老婆を抱きしめた。早苗の後ろにいた白蓮と新那もフードを取る。
 三人の姫君は、そのドラマチックな物語のおかげで国の周辺では結構な有名人となってしまったため、外出時にはフード着用が必須となったのだ。
「待ってたってどういう事? おばあ様」
 玄関の外に立ったまま、白蓮が聞いた。
 早苗との抱擁をといた老婆は、聡い東の王子妃殿下に、にっこりと笑顔を向けた。
「儂を誰かとお思いか? さぁ、三人とも中にお入り。お茶の用意はもう出来ておるでな」
 見ると、部屋の奥の木造のテーブルの上にはすでに、四人分のお茶の用意がしてあった。新那は感嘆して老婆を見やった。
「さすがじゃな。赤い魔女殿」
「それは古い呼び名ですな、赤の姫君」
 そして三人の姫君は占い師の家に招かれた。


「さぁ、それでお前たちはどうしたいんだい?」
 老婆はただ一言そう聞いた。
 そのほかのことは一切聞かなかった。
 けれど三人の姫君は不思議には思わなかった。
 この老婆の魔力は本物なのだ。もう何年生きているのかもわからないが、少なくとも新那が生まれたときから「赤の魔女」として人々に慕われていた。
 四人の座った部屋は薄暗く、そこにはテーブルとたくさんの薬瓶の並べられた棚しかなかった。
 ハーブの匂いは、老婆の用意した紅茶に入れられたものだ。
「当然、取り返すのよ」
 白蓮が自明の事を言うように言った。
「逃すには惜しい男共じゃからな」
 新那も同意する。
 そして老婆は早苗に目を向けた。
 白蓮も新那も、彼女たちの間に座る金髪の少女を見る。
 早苗はにっこり笑った。彼女はどんな時も、笑顔を忘れたりはしないのだ。
「どうしたら私たちの夫を取り返せるかしら? おばあさまのお知恵を拝借したいわ」
 老婆も彼女に笑い返した。
 そして鷹揚に頷いた。
「簡単な事だ娘たちよ。お前たちの夫はすぐにお前たちの元へ戻る事だろう。それがあるべき姿なのだから」
 老婆の言葉は強く響いた。
 その確信的な言葉に、三人の姫君たちは満足げに笑ったのだった。

魔女、まさかファーストキスではあるまいな?