肉料理(後)


 きりがない。
 王維はそう小さく吐き捨てた。
 床を蹴り、鈍重な土くれの膝のあたりを蹴ってその右腕を切りつける。
 手ごたえはあった。もし相手が人間であったなら、これで右腕は皮一枚を残してたれさがっていることだろう。しかし今回はそうはいかなかった。土くれは、痛そうな様子も見せずに切れた場所も周囲の砂で修復にかかる。一瞬後には切りつける前の状態のそれに戻っていた。便利な回復機能である。まったく、忌々しい事であるが。
 あまりにも鈍い敵の動きゆえ、王維は身体に傷一つ負う事はなかったが、体力には限界がある。
「……よくないわ」
 顔をしかめて呟いたのは白蓮だ。
 彼女は立ち上がって、新那の隣で王維の戦闘をじっと見守っていた。白蓮は肩で息をし始めた王維に気付き、小さく舌打ちをした。
「どうにかしてここを脱出しなきゃ。王維の体力も限界よ」
「わかっておる」
 落ち着いた様子で新那が答えた。
 彼女はまだ壁の模様をなぞっていた。
「『はるか最も遠きにある星、あれこそ我の欠けてはならぬ永遠の君』」
 これの意味するものはなんなのか。
 あの八体の像はこの文句を守る番人に違いない。ではこれを解読すればあの番人達も大人しくなるだろう。新那はそうとふんで、夫の応援代わりに文句の解読に頭をひねった。
「……ふむ」
 そう言ってぺろりと舌を舐めるその様子は妖しく美しい。
 新那は、百年前に生まれた姫君である。
 彼女は生まれた時に魔女の呪いを受け、百年の眠りに落ちた。彼女は眠りに落ちる前に、一人の男性と逢瀬の約束した。次の日もまた会おうと約束し、しかし魔女の手に落ちてその約束は果たされなかったのだ。そして百年後に再び出会ったのが、王維である。彼は覚えていた。百年前に約束をした姫君を。そして森の奥の誰も知らない塔に彼女を捜しに駆けつけたのだ。
 目覚めた新那には王維がかつて逢瀬を約束した彼だとは思えなかった。何故なら百年の時が経ったのである。彼が生きているわけがない。まして転生なんて、ありえないと新那は思っていた。
 だから、彼女が王維の求婚を受け入れ、彼を愛したのは、決して王維の向こうにその前世の姿を見たからではなかった。それは王維だから。あの、純粋に真っ直ぐと、自分を愛してくれるあの青年だからこそ。
 新那は白蓮の言葉を思い出した。
『石じゃなくて砂でできてるのね』
 砂。土。
 それは器だ。
「王維」
 肩越しに夫を振り向いた新那は呼んだ。
「何ですかっ? 新那さんっっ」
 振り下ろされる土くれの拳をかわしながらも、王維は嬉しそうに答えた。
「一番遠くにいる輩の額の部分を狙うといい」
「了解しましたっ」
 根拠を語らない突然な新那の指示に、王維は疑問を挟まなかった。
 王維は眠り姫に、盲目の愛を捧げる。
 母を慕う子供のように。神に従う信者のように。
 王維は目の前の敵の膝と腕を蹴りその頭部に躍り出ると、石飛びの要領でその頭上を飛んだ。
 王維の戦いのその最大の武器は素早さだ。彼はまるで背に羽が生えているのではと思えるような身のこなしをした。ただでさえ狭い場所ででかい図体を抱えた土くれたちは、そんな彼の動きに翻弄された。
 一分も立たないうちに殿を務めていた像の前に躍り出る。
 王維は口の端を、戦闘で高揚した気分のままニヤリとあげた。
 後ろから二番目の像の手が、自分の頭に乗る無礼者を叩き落とす前に蹴って飛ぶ。剣は上段に構える。空中から、眼下に標的を見下ろす。
「悪いけど、わが姫君の命令だからね」
 言い終わるが早いか、王維の剣の切っ先は殿の額の部分を深々と突き刺していた。そのまま剣の柄から手を離し、王維はすたと地面に着地する。一瞬周囲の時間が止まったかと思ったら、次の瞬間、王維は砂の雨をかぶっていた。
「ぶわっ」
 それは、一歩下がった白蓮と新那から見ればこの上なく幻想的な光景であった。
 それまで確かに形をなしていたものが一瞬で崩れ去り柔らかな砂粒に戻る。崩壊の生み出す至上の美しさである。
 その素晴しい光景の中で、口の中に入った砂をぺっぺと吐き出そうとする王維の姿は滑稽とも言えた。
「ぐえーぺっざらざらするー目も痛いよー」
 新那は笑った。
「ふふ、王維こっちへ来い」
 そう言われて、素直に新那の元へやってくる姿は、先ほどまで敏捷に巨人と戦っていた男のものとはとても思えなかった。目に砂が入ったためか涙さえ流している。新那は、夫の顔についた砂を優しくはらってやりながら言った。
「土で出来た人形を動かす方法は三つある。一番難しいのが他の生きた動物の魂を移す方法で、次に難しいのが自分の命の一部をちぎって人形に埋め込む方法。一番簡単なのが、土砂の精霊と契約をして動かす事なんじゃよ。さらに、妾のいた国では星は額を象徴するもの。あの魔女もまた妾の国に住んでいた者じゃからな、一番遠くで守られていた者の額に精霊との契約が記されていると思った。あの愚かな魔女に、自らの命の一部を削る度胸も、他の生き物の魂を移す魔力も、ないじゃろうからな」
「ふーん」
 相槌を打ちながらも、王維はこの上なく幸福そうに顔をゆるませながら、妻にされるがままになっている。新那の白い指が頬の撫でるのが心地よく、王維はあーもー幸せーと思った。
 そんな二人の雰囲気をぶち壊すように、薄暗かったその場に地響きのような大きな音がして、光が差した。
「誰が愚かだって?」
「……そなたの事じゃよ。パーティに招待されず逆恨みなど、愚かな子供のようなものじゃ」
 王維の頬に手をおいたまま、新那は不敵に笑って言った。
 折角のいい所を邪魔された王維は不快気に声の主に目をやる。白蓮も、目を眇めて突然開けたその場所を見ていた。
 左右に開いたのは、例の恋歌の記してあった行き止まりと思われた壁だ。
 その向こうには今や、レンガ造りの部屋があった。広さはお城の食堂ほど。蝋燭で照らされた部屋はしかし奇妙なほどに明るく、つんとした薬草の匂いが鼻をついた。白蓮はこの匂いに覚えがあり、顔をしかめた。
 昔、この魔女が彼女の母として城にいた時、魔女の部屋からした匂いだ。
 部屋の隅には本が散乱していて、粗末な棚には数え切れないくらいの瓶や甕が置いてある。おそらく異臭はあそこからするのだろう。奥には大きな甕が置いてあり、薄汚い扉もあった。
 魔女の部屋。
 まさにそれを体現したような部屋だった。
 三人の王子王女が足を進めその部屋に入ると、王維は軽蔑するように周りを見回した。
「趣味悪いね」
「凡人には理解できないでしょうね」
 ふん、と魔女は鼻で笑った。
 魔女は部屋の中央に佇んでいて、その身には黒いローブを身に纏っていた。不自然なほど赤い唇をぺろりと舐めるその様子は、妖艶だ。そこらの男ならころっとまいってしまいそうな色気だが、王維はますます不快気に眉間の皺を濃くしただけだった。
 妖艶さで言ったら彼の妻もまけていない。いや、魔女にあるのはふしだらでいやらしい色気ではあるが、彼の妻である新那にあるのは、どこか不敵で高潔な艶やかさである。
 王維はため息をつき、聞こえよがしに言った。
「変態の考える事なんて理解できなくて結構。それよりとっとと家に帰ろう、新那さん」
 魔女は激昂した。
「っ『そう簡単に帰すと思ってか』!」
 言葉にこめられた魔力。
 言霊。
 それが、身体の細胞一つ一つに入り込み、束縛する。
「っ!?」
「う、動けない!」
「王維!? 白!」
「は。やはり新那姫には効かないかしらね」
 百年間魔女の魔力で眠らされてきた新那には、魔女の魔力に対する耐性がついていた。しかしそれは、魔女自身にも予想されていたことのようだ。
 まるで見えない糸に絡められたように身体の自由を奪われた白蓮と王維をかばうように前に出て、新那は魔女をにらみ付けた。しかし魔女は、無駄な抵抗だとでも言うように、それを鼻で笑った。
「賢い姫君。けれど、愚かね。一人で何ができるというの? 王子さまの影で守られているしかできないくせに」
 明らかな嘲笑。
 この明確な劣勢を前に、しかし新那は臆する事などなかった。
 つんと顎を上げ、あくまで誇り高く。流れるような赤い髪。きらりと光る赤い双眸。
 百年眠った眠り姫は、気高く美しい。
「こちらの台詞じゃ、愚かな魔女よ。お前が求めていたのはなんじゃ? 妾たちの悔しがる顔か? しかし見てみよ。妾が醜く顔を歪めておるかえ? 白蓮が敗北に打ちひしがれておるかえ?」
 新那はあくまで高圧的に魔女を見据え、白蓮も身体は動かないまでも冷静に魔女を見ていた。
 白蓮はただ自由になる声帯と口を使って言葉を紡ぐ。
「馬鹿で中途半端な女ね。私達へ復讐? 逆恨みもいいとこじゃない? 子供じゃあるまいし」
 魔女は、怒りに口の端を歪めて笑った。そっと両手を上げ、魔術を構成する。
「愚かね白雪。あなたの大事な王子様はもうこない。今度こそ殺してあげる。真っ赤な血を流して、殺してあげるわ!『切り裂……」
 魔術が放たれる、その刹那。
「もうこないって決め付けないで欲しいんだけど」
 第三者の声。
 最後まで言われる事のなかった呪文は、闖入者の指がくいこんだ魔女の喉の奥に押し込められた。不完全な魔術は散開する。魔女はその両手を喉にかけられた手にやって、睨むように目線だけで背後を見た。
「貴様……」
「あ、いいね。お姉さん、怒った顔の方が魅力的だよ」
 にこにこと笑顔のまま言われた言葉とは反対に、鳥子は魔女の喉を持つその指に力をこめた。
 ぐぅ、と魔女が喘ぐ。
「ところで今すぐうちの奥さんにかけた魔術を解いてもらおうか?」
 魔女に選択肢はなかった。
 鳥子に魔術は効かない。喉にくいこむ力で、その本気がわかる。
 魔女は悔しさに奥歯をかみ締めながら、白蓮の魔術を解いた。
「きゃっ」
 突然自由になった体に反応できず、白蓮が前のめりに倒れこむ。
 それを間一髪で支えたのは、素早く動いた鳥子だった。
 倒れそうになった妻の腰に腕を回し、彼は満足げに笑った。
「ごほうびくれる?」
「いや君何僕まだ全然動けないんだけど」
 文句を言ったのは、なるほどまだ魔術に縛られている様子の王維である。
 鳥子はその声に、初めて王維の存在に気付いたかのように振り向き目を見開いた。
「あれー? お前もいたんだ。こりゃびっくり」
「うーわーもーやる気なくすわーほんとに。いやむしろ鳥子どっから現れたのさ?」
「ん? あの後ろの扉から歩いて入って来た。あ、そっかお前魔女で見えなかったのか。白蓮と新那姫は気付いてたよな?」
「ちょっとあんた手離して欲しいんだけど」
「ん? あれ、白蓮顔赤いよ。もしかして照れてる?」
「っさい!」
「新那さーん」
「安心しろ王維、赤の魔女殿ならなんとかしてくださるだろう」
「あああああんたたち!」
 首を撫でながらも怒りに顔を真っ赤にして魔女は叫んだ。
「なに人のこと無視しくさってんのよ! ふ、ふざけてんじゃないわよ!」
 魔女は両手を上に上げる。
「魔術じゃなくってもあんた達を殺す事はできるわ! 見てらっしゃい!」
 びしっびしびしっっ
 突然の不穏な音に、三人ははっと天井に顔を向けた。唯一顔を動かせない王維だけが「なにっ!? どうしたの!?」と慌てている。
 三人が見たのはレンガ造りの天井に入った大きなヒビ。
「ま、まさか……」
 白蓮が口を引きつらせた。
 新那が魔女に目を向けると、魔女は自分の周囲だけに空気のバリアを張っていた。
 新那はため息をついた。
「レンガに頭をぶつけて死ぬのは嫌じゃな」
「新那さんは僕が守る!」
「いやお前動けないし。守れないし」
「あーもーあんた達落ち着きすぎっ!!」
 そう白蓮が叫んだとき。
 ドガン!!
 轟音。
 とっさに鳥子が白蓮と新那をかばって床に引き倒した。いまだ動けない王維が新那の名を叫ぶ。
 レンガが崩れる音。舞い踊る埃。
 四人は痛みを覚悟した。
 が。
「おお、ドンピシャ。さすが俺」
「あら、ほんと、皆そろってるわね。よかった」
 聞き慣れた声に、その場にいた者達はまさかとでもいうふうにその声の方を振り向いた。
 壁に開けられた大穴。
 どうやらさきほどの「ドガン!」はこれが穿たれた音であったようだ。
 今まさにそれをくぐって部屋に入ろうとしているのは言うまでもなく、広路と早苗だった。
 二人の服は少々汚れていたものの、身体には傷一つないようだ。
 魔女は、早苗が手に持つものを見て悲鳴を上げた。
「あっあっそ、それは!!」
 魔女の目線を追って、早苗はきょとんとした様子で手に持ったものを見た。
 右手には例の魔道書。左手には赤ん坊の拳大の球体である。球体は、淡くオレンジの光を放っていた。
「あーこれ、途中にあったから拾ってきちった。綺麗だし。インテリアにいいかなと思って」
 へらりと笑って言ったのは広路だ。
 新那には、その球体が何だかすぐにわかった。
「魔力増幅器……」
「いやあああああ! 言わないでええええ!!」
 魔女は真っ赤になってその場に蹲った。
 服をはらって立ち上がった鳥子は、妻に手を貸して立たせながら聞いた。
「魔力増幅器って何?」
「聞いたこともないけど……」
「そのままじゃ。魔力を増幅する機械」
 こちらは自分で立ち上がった新那は、珍しいものを見るように早苗の手の中にある球体を見つめた。
「私が生まれた時代より昔に、希代の天才が作ったと言われる伝説の代物じゃ。その製作者は魔術師としても科学者としても天才を持っていて、ほんの片手間に人間の持つ魔力を増幅する機械を作った。仕組みはよくわからんが……とにかく、その機械はしかしほとんどの魔術師が気にしながらも、誰も手を出そうとはせなんだ」
「どうして?」
 白蓮が聞く。
 そんな便利なものなら、誰もが欲しがりそうなものではないか。
「プライドだよ」
 答えたのは王維だった。
「僕達だって、もし筋力を上げる機械や戦闘の勘を鋭くさせる機械があれば気になりはするけれど、手に入れようとは思わない。だってそれって自分に筋力や勘がないって認めてるようなものだろう? 恥ずかしいじゃないか」
「あーわかるわかる。ずるして勝っても嬉しくないしねー」
 うんうんと広路がうなずくと、早苗が首を傾げた。
「そういうものなんですか?」
「そういうもんなの」
 とことん合理的な早苗は、結果がよければ全てよしの考えである。
 たとえずるをしようとも、結果がこちらによいものであればそれでよいのではないかと思えるのだが、そういうわけにもいかないのだろう。それが、プロのプライドというものだ。
「え、という事はなに? この女自分の魔力水増ししてたわけ?」
「そういう事になるなぁ」
「魔力増幅器を持っているということは魔術師としては最高潮に恥ずかしい事じゃな」
「僕なら金もらってもいらないって言うけどね」
「水増ししてるってことばれたら俺なら死んじゃうよ」
「……じゃあ、お母さまは本当はそんなにすごい魔女じゃないということですか?」
 最後の早苗の言葉がジャブとなって魔女にとどめを刺した。
「……」
 魔女はゆっくりと顔を上げた。
 その目には涙が溜まっていて、六人は思わず憐憫の情を覚えた。
「あ、あんたたちなんか、『もう二度と顔も見たくないわあああああああ』!!」
 そして、ブラックアウト。

みよ、まさにたたみかけるようなこのクライマックス