夜の蝶に降るようなキスを 3


 僕と彼女が出会った時、彼女は二十七歳バージョンだった。
 時刻は夜十一時で、若い女性が一人で公園をうろついてもいい時間ではない。
 彼女は星を見ているようだった。
 どこか違う世界の人間のように、あの空のどこかの星へ帰りたがっているかぐや姫のように見えた。
 いや、かぐや姫は月に帰るんだけどさ。
 僕は彼女に声をかけた。
 会社帰りのサラリーマンが、ちょっと飲んだ帰りのサラリーマンがね、ナンパかよ。
 女性に声をかけたのなんて、あれが始めてだ。きっとこの先もないと思う。
「すいません」
 それにしたって、まったく面白みのかけらもない話しかけ方だった。
 「すいません」 はないだろう。 「すいません」 は。
 けれど彼女は振り向いて、焦点の合っていなかった双眸を僕に合わせた。
 それからの変化は劇的だ。
 夢うつつだった彼女が現実に戻ってきたかんじ。
 僕をその目で認識して、少し時間を置いて、驚いたように目を見開いて、そして。
 彼女は蝶のように笑った。
 開花する花よりも、脱皮した蝶のように。
 ひらりひらり。
 蝶は飛んで、僕のもとへやってくる。
 彼女はふわりと僕を抱きしめた。
 まるで恋人に会ったかのように。嬉しそうに。
 自分から声をかけたにせよ、初対面のはずの女性に突然抱きしめられて、しかし僕は不思議な安堵感を感じた。
 ああ、よかった。
 あのまま飛び立っていかないでくれて。
 僕のところに降りてきてくれて。
 よかった。





 そして僕と彼女の共同生活が始まった。
 まぁ、ぶっちゃけてお持ち帰り?みたいな?
 でもさ、さすがにびっくりしたよ。
 目が覚めてさ、隣見たら小学生が寝てんだもん。
 ンなファンタジックな 彼女は魔法をかけられた。
 九時を境に昼は子供。夜は大人。
 白鳥とかになんないだけマシかも。
 そんな広い水場、うちにはないしね。





 子供の彼女が作った夕飯を大人になった彼女と食べ終わって、僕らはソファに座ってテレビ鑑賞に興じた。
 食器洗いは後。
 面倒だから。
 彼女を膝の上にのせて、僕は彼女の肩に自分のあごを置く。
 自慢じゃないけど、僕らはものすごいラブラブだ。
 彼女が二十七歳の姿に戻ったら思う存分いちゃいちゃする事にしてる。
 だって僕はロリコンじゃないし。
 さすがに、十一歳の小学生といちゃいちゃする気にはならない。
 でも外見はどうあれ好きなひとだからね。
 嬉しそうに笑ってもらったり、おかえりなさいのキスなんかされると、嬉しいわけですよ。そりゃ。
「ねぇ」
 テレビを見ながら彼女が言った。
「ん?」
 ブラウン管の向こうでは何年も前のアニメ映画をやっている。人魚姫をハッピーエンドにアレンジした作品。
 僕は小学生の頃からこの映画がなぜか好きで、子供ができたら絶対一緒に見ようという野望を持ってたりする。
「さっきの考え事って何?」
「? ……ああ」
 何かと思ったら。
 そんな事覚えてたんだ。
「気になる?」
 さっきのお返しではないが、僕はにやりとからかうように笑って彼女の顔を覗き込んだ。
「うん。気になる」
 こくり、と彼女は頷いた。
 彼女は素直だ。
 時に拍子抜けするほど。
 まるで本当に十一歳の子供のように。
「キスしてもね、僕のお姫様の魔法は解けないなぁと思ったんだよ」
 ほら、お伽噺でよくあるじゃない。
 キスして魔法が解けるってやつ。
「ああ」
 そうにやっと笑うと、彼女はぱっと僕の膝から立ち上がって腰に手をあて、少し高慢そうな仕草で僕を見下ろした。
 彼女はころころと雰囲気が変わる。
 少女から女へ。
 女から少女へ。
 それは彼女の外見がどちらであろうが関係ない。
 でも、僕は知ってるんだよ。
「それはねきっと、愛が足りないからだわ」
 女の顔で彼女は言った。
 僕にはその顔が、なんだか泣きそうに見えた。
「どっちの愛が?」
「さぁ? どっちかしら」
「ねぇ。まのさん」
「なあに?」
「あなたに魔法をかけたのはだれ?」
「さぁ? だれかしら」
「知らないの?」
「知ってるわ」
「本当に?」
「本当よ」
「じゃあ言ってごらん」
「あたしに命令するの?」
「頼んでるんだよ」
「うそよ」
「本当だよ。だって僕は知ってるんだ」
「なにを?」
「だれがあなたに魔法をかけたかを」
 彼女はすこしいらついているようだった。
「うそよ」
 僕はじっと彼女を見上げた。
 少し潤んできた彼女の双眸を見上げた。
「本当だよ」
「うそよ」
「じゃあ教えてあげようか?」
「教えて」
 気付いたのはいつだろう。
 少女の彼女も、女の彼女も、おなじこの人なんだって。
 ああ。
 この綺麗な蝶のこころは今、さなぎに包まれている。
 そして出る事を拒んでる。
 かたくなに。
「魔法をかけたのは、あなただよ。真野夜蝶さん」
 彼女は泣き顔を隠すように、僕の首に腕をまわした。