その後のその後

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「あら、おかえりなさい皆様」
 子供達が帰ると、前庭で薔薇の剪定をしていた南の国の第六王子妃が彼らを出迎えた。
 昔のように使用人服でこそないが、王子妃としてはいささか簡素すぎる上衣とスカートを身にまとった彼女は、剪定した木の枝を布でくるんでまとめてから立ち上がった。
 金色の髪が樹々の間から降り注ぐ陽光に透けて光る。その双眸は晴れた日の青空のようだ。
「今日は何をなさったの?」
 早苗は優しく微笑んだ。
「かくれんぼ」
 年長の少年がそっけなく答える。今年で八つになる彼の眼は血を固めたように赤い。両親の色を継いだものではなく、魔女の持つ色だ。魔法を使う異能者の色。
「まぁ、素敵ね。ロウが捜す役かしら? アレイ様、楽しかったですか?」
 そう彼女が聞くと、二人の少女に両手を引かれた幼い方の少年が、はにかんでこくりと頷いた。
「はい」
「でもアレイがすぐ泣いてしまうのでやめたんです」
 少女の一人が悪戯っぽく笑いながら言う。するとアレイは手を少し強く引いて抗議の声を上げた。
「オウナ姉さま!」
「あら、本当のことでしょう?」
 ころころと少女が笑う。
 すると一見して双子だとわかるもう一人の少女が、嗜めるように彼女を呼んだ。
「オウナ」
「アレイってばからかうと面白いんだもの。ヒサネもそう思うでしょう?」
「アレイが泣くわ……」
「泣いたらいいわ。またからかってあげる」
 オウナがにやにやと笑いながらアレイを覗き込むと、さっそく目尻に涙を溜めていた少年は、ぐっと唇を引き結んで少女を睨みつけた。その双眸は吸い込まれるような黒で、目鼻立ちは幼いながらにはっとするほど美しい。
 子供を産んで一層美しさを増したと囁かれるかつての北の王女の美貌は確実にその子供に受け継がれているようだが、性格までは継がれていないようだ。
「……あら、泣かないの?」
「……」
 少年はぷるぷると唇を震わせている。あと少しつつけばその眼から大粒の涙が溢れるだろうと思われたその時である。
「オウナ、ヒサネ。戻ったのかえ?」
 上から振ってきた声に、彼女達は顔を上げた。
 見ると、塔屋敷の窓から女性がこちらを覗き込んでいる。その髪は鮮やかな赤だ。この距離からでは影になっていてわからないが、その双眸も宝玉のような赤い色を持っている。ロウと同じだ。
 西の国の第二王子妃である。
「「お母様」」
 そして双子の姫君の母親でもあった。
 その横からひょいと眼鏡をかけた男も顔を覗かせた。妻に似た二人の娘を目に入れても痛くないほど可愛がっている西の国の第二王子である。
 彼はここ数年切っていない色素の薄い髪を一つにまとめている。その眼鏡の向こうの双眸が、娘達を見つけて優しく細められた。
「二人とも上がっておいで。前に君達が頼んでいた赤穏織がつい先ほど届いたんだ。綺麗だよ」
 それを聞いた二人の少女はぱっと顔を輝かせた。正確にはヒサネという名の少女の方に関しては一見して表情が変わったようにはあまり思えないが、親しくなればその違いはわかる。
「行こうヒサネ」
「うん」
「どこに行くんだい? 姫君方」
 その時子供達の背後から声が投げかけられた。
「あら」
 子供達の正面にいた早苗が声の主とその連れを見つけて微笑む。
「おかえりなさいませお二人とも。お疲れ様です」
「ああ、ただいま早苗。やっと終わったよ。ったく、予定より時間くっちまった」
 連れの男が言う。王族の略装を身につけた賢者の第六王子は、まっすぐに妻のもとへ行くと、その肩を抱いて頬に口付けた。早苗はくすぐったそうに笑った。
 それを見てロウが顔をしかめる。
「息子の前でそういうのはやめてくれないかな父上」
 少年が文句を言うと、賢者の王子は大げさに眉を上げた。
「どうしていけない?」
「恥ずかしい」
「見なければいいだろうが」
「目に入る」
「目を瞑れ」
「……」
 それ以上抗議することを諦めてロウは早々に口を噤んだ。
「あっ」
 と声を上げたのはアレイだ。
 少年は、いつの間にか大きな腕に掬い上げられていた。
「おお。この間より重くなったんじゃないか? アレイ」
「お父さま!」
 アレイは自分を抱き上げた男の顔を認めると、先ほどまで涙を浮かべていたことなど忘れ顔を輝かせてその首に抱きついた。
 三年前に即位したばかりの東の国の国王は、にこにこと笑いながら息子の歓迎を受ける。
彼は略装に身を包み外套を手に持って、今この《赤い森》の塔屋敷に戻ってきたばかりのようだった。賢者の王子も同じである。
何かと女性の噂が絶えなかった破魔の国のかつての第一王子は、妻子を持ってなお、社交界のご婦人方の人気を集める爽やかさを失ってはいない。
「ここ最近忙しかったからな……なかなか構ってやれなくてすまなかった。明日一日は休みをもぎとったから、なんでもしてやるぞ」
「ほんとうですか?」
「俺がいなかったらその一日の休みもなかったな」
「ああわかったわかった感謝してるよ広兼」
「東大陸魔術師協会の……」
「わかってる。その件は最優先で進める。もういいだろう? 一家団欒させてくれ!」
 鳥代が悲鳴のような声を上げると、頭上の窓から顔を覗かせたまま、王伊が笑った。
「あはは。お疲れ様鳥代」
「うお。なんだ。そこにいたのか。やあ。新祢姫。ご無沙汰しております」
「久しいのう、鳥代。しかし少し遅かった。残念じゃ」
「? 何がです?」
 新祢の言葉の意味がわからず、鳥代は笑ったまま首を傾げる。
「鳥代様? そのう……」
 珍しく早苗が端切れ悪く切り出した。
「先ほど、新祢のところに赤穏織を届けにいらした方が、鳥代様にお手紙を……」
 鳥代ははっ、とした。さぁ、と顔が青ざめていく。
 王伊は窓枠に頬杖をついて笑っている。新祢は憐れむように少し眉を寄せていて、双子は顔を見合わせた。アレイはきょとんと目を丸くして、子供達の中で唯一察しのついたロウだけが、呆れたように破魔の王を見た。
「君さぁ、まめなのはいいけど期待させちゃだめだよ」
「ちょ、いや。待て。とりあえず珀蓮はどこだ」
 言いながら鳥代は息子を地面に降ろす。
「調理場です」
「調理場?」
 聞いたのは広兼だった。
「調理場で何をしてんだあの女?」
 珀蓮は料理などできない。新祢と違って習おうともしていないからだ。
 けれど早苗は困ったように笑って答えた。
「今夜の鳥代様のお食事は自分が作るのだと……」
 東の国王は駆け出した。
「まぁ……」
 そのあまりの素早さに早苗は息を吐いた。
「自分の生死がかかってたらそりゃあんだけ必死にもなるよな」
 広兼が笑う。
「アレイ、鳥代様はなんだか大変そうだから、あんたはあたし達と一緒に赤穏織見に行く? 大きくて綺麗よ。鳥代様はすぐ戻ってくるわ。きっと」
 オウナが言うと、アレイは素直に頷いた。
「ロウはどうする……?」
 ヒサネに聞かれ、ロウは首をすくめる。
「俺は本でも読んでる」
「お母様、お父様、今上に行くわ!」
「気をつけて来るんじゃぞ」
「あ、そうだ。ロウ、これ欲しがってたろ?」
「え? うわ、これ……うそだろ。やった!」
「ルヴァインに取り寄せさせた」
「なんですか?」
「最新の魔術書だよ」
「まぁ……」
 その時、調理場の方からがしゃーんという凄まじい音がした。
 次いで「ちょっと待て!」という悲鳴と「お黙り!!」という怒声が聞こえる。
「今のは大皿が四枚かしら……」
 早苗は考えるように言ってからにっこりと微笑むと、夫を見上げて続けた。
「弁償金はすべて東の国に持っていただきましょうね」
「当然だ」
 と賢者の王子は答えたのだった。



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