三人王子の出会い


 西の王妃が亡くなった。
 国中が喪に服し、その訃報は東や南の国にまで届いた。
西の王妃は優しく控えめな人柄で、国民によく慕われていた女性だった。東や南からも妃達が葬儀に訪れ、その死を悼んだ。
 かの女性には一人の息子がいた。長年子宝に恵まれなかった王妃が、数年前にやっと授かった子供だった。その時既に側室が第一王子を産んでいたので、西の国にとっては第二王子の誕生である。
王妃はその王子を心から慈しんだ。
そしてそれを知っていた誰もが、一人残された第二王子の悲しみを思って泣いた。


「王伊殿下、こちらは私の息子の鳥代、そして南の広兼殿下でございます」
 東の王妃にそう紹介され、鳥代はにこりと笑って右手を差し出した。
「よろしく王伊。おれのことも鳥代でいいよ」
 東の王妃と南の四妃に連れられて、鳥代と広兼は西の第二王子に引き合わされた。
 彼らは明日の西の王妃の葬儀のためにこの国に入国していた。誰もが身につけているのは窮屈な黒い服で、王宮自体が暗く重い雰囲気に沈んでいる。そんな中引き合わされた西の第二王子は、少し俯きがちの大人しそうな少年だった。
 はっきり言って、鳥代も広兼も、この国の第二王子にさして興味はなかった。
 女性ではない、という時点で鳥代にとっての存在価値は半減していたし、広兼もまた兄弟が多いためか新しく友人をつくることよりも一人でゆっくり本でも読んでいる方が好きだったからだ。
 だが二人はそれぞれの母である東の王妃と南の四妃に、王伊殿下をお慰めするようにと厳重に言われていた。
 目の前の少年は母親を亡くしたのだ。
 それは同情すべきことだった。
「俺は広兼」
 南の王子も笑顔で名乗り、鳥代と同じように小さな手を差し出した。こうして笑顔を作ることは、広兼にとってさして苦ではなかった。世の中愛想が悪いのではうまく立ち回れない。これも賢者の王子としての処世術である。
しかし王伊は顔を上げて二人の顔を一度見ただけで、ふいと踵を返して廊下の奥に歩き出してしまった。
 無視されたかたちになった二人の王子は一瞬呆然とした。
「……んだよあれ」
「無視された……」
 広兼は顔をしかめ、鳥代は衝撃を受けた様子だった。
「まぁ……広兼様のお顔がおそろしかったかしら」
 おっとりと南の四妃が言う。
 広兼は子供ながらに目つきが悪く、普通にしていても睨んでいるようにみえた。だからこそ彼は、人一倍爽やかな笑顔を心がけているつもりであった。南の王子はちっと舌打ちをした。
「笑って損した」
「何をしているのあなた達。追いかけて差し上げなさいな」
 東の王妃が二人の王子の背を押す。
「いや、お母様。でも彼は一人にして欲しいのではないでしょうか」
「大切な人を失った時は、誰かに黙って側にいてほしいものですよ。いいから行ってきなさい。なんのためにあなた達を連れてきたと思っているの?」
 一国の王を尻に敷く王妃殿下にぴしゃりと言われ、二人の王子は顔を見合わせしぶしぶ歩き出した。
「なんで俺がこんなこと」
「おれの台詞だよ。ああ……男の尻を追いかけたって何もおもしろくないのに」
 二人は文句を言いながらたらたらと歩く。すると背後から叱責が飛んだ。
「走るのよ!」
 二人の母親は後ろで彼らをじっと見ている。どうやら逃げ出したりするのではと疑っているらしい。
「……最悪だ」
 広兼は嘆息した。
「仕方ないな……」
 鳥代もため息をつく。
 そうして二人の王子は、廊下の向こうへ歩いていった西の王子の後を追いかけたのだった。


「大体最初は俺じゃなくて兄貴のどれかが来る予定だったんだ。なんでいきなり俺が」
「あ、それおれのせいかも。広兼は来ないのかってお母様に聞いたからさ」
「あ? お前のせいだぁ?」
「だってこないだ会った時に貸したお金、まだ返してもらってないだろう? 二百三十一イン」
「うわ、せこっ。てゆうかそれ、お前賭けに負けた分だろ」
「広兼イカサマしてただろ」
「してねぇよ」
「嘘つけ。してたよ」
 ギャーギャーと言い合う東と南の王子の前を、西の王子が黙って歩いている。
 彼らは中庭に面した廊下に差し掛かった。中庭がある方には壁がなく、無骨な柱だけが並んでいる。その向こうにある庭は、これからくる冬の準備をするように、あるいは王妃の喪に服しているかのようにひっそりとしていた。
「そーだ、なぁ」
 広兼はふと思いついて前を行く少年に声をかけた。
「お前のとこの図書室、見せてくれねぇかな」
 他国の蔵書というものに彼は興味があった。以前東の国へ行った時も図書室を見せてもらったが、広兼が見たことのない本が何冊かあって、東の国王に頼んで貸してもらったりしたのだ。
 知識というものは与えられるのを待っていても得られない。それは南の王宮での常識だった。
 自分の呼びかけを無視しててくてくと前を歩く西の王子に、広兼は再びむっとしたようだった。南の王子は突然その場を走り出し、前の少年に追いつくとぐいとその肩を引いて彼の足を止めさせた。
「おい! 聞いてんのかよ!」
 目を吊り上げて怒鳴った広兼は、しかし王伊の様子を見ていささか拍子抜けをした。彼はきょとんと目を丸くしていて、どうして自分が突然怒られたのかわかっていない様子だったからだ。
「……ええと、ごめん。聞いてなかった、です」
 これが、東と南の二人の王子にとっての西の第二王子の第一声だった。
 広兼は盛大に顔をしかめた。
「お前、俺達が後ろ歩いてるのに気付いてた?」
「……気付いてなかったです。あの、何か用事ですか? あ、厠(トイレ)ならこの廊下を戻ってもらって」
「ちげぇよ!」
 南の王子はまた怒鳴った。すると後ろにいた東の王子が苦笑する。
「広兼はさ、今君に図書館を見せてもらえないか聞いたんだよ。ついでにおれ達は、君のそばにいてやれって追い立てられたんだけど……」
 その時王伊は、困惑したように眉間に皺を寄せた。どうして鳥代達が自分のそばにいてやれと言われたのか、本当にわからない様子だった。
「図書館は……父上の許可がいるから、ぼくだけじゃあ連れて行けないです。あとあの、ぼくはもう六歳になるし、一人でも大丈夫なんだけど……」
「あ、おれも六歳だ。そこの広兼も」
 正確には鳥代は次の月で六歳になる。
「ああ、そうなんですね」
 王伊はさして興味がない様子だった。
 鳥代は苦笑した。
「おい、鳥代。お前今体術習ってるって言ってたよな」
 広兼が、王伊を睨みつけたまま言った。
「え? なんだよいきなり」
「自信はあるか?」
「そりゃあ、それなりにね。先生にも筋は悪くないって言われてるし」
「じゃあ王伊、お前鳥代と勝負しろよ」
 広兼は西の王子に言った。
「は? なんでだよ」
 友人の突然の提案に、鳥代は声を上げた。広兼は王伊を見ている。王伊もまた眉間に軽く皺を寄せて妙なことを言い始めた南の王子を見ている。
しかししばらくして何かをあきらめたのか、彼はため息をついて「いいですよ」と言った。
「庭でやりましょう」
「おい、広兼。お前どういうつもりだよ」
「いいから黙って行けよ。あのすました顔をこてんぱんにしてこい」
 広兼の言葉に、鳥代はまんざらでもなさそうに肩をすくめた。


「なんだお前!!」
 鳥代は悲鳴のような声を上げた。
 身体中もうぼろぼろだ。喪服のあちこちに土がつき、むき出しの肌には擦り傷ができている。王伊に投げられ背中を地面に打ち付けた鳥代は、起き上がろうと地面に膝をつきながら目の前に立つ少年を睨みつけた。はっきり言ってかなり痛い。
 王伊には傷一つない。彼は平然とそこに立っていて、東の国の第一王子を見下ろしていた。
「なんでそんなに強いんだよ!」
 鳥代は泣きそうだ。
 王伊は鳥代よりも少し身体が小さい。最初彼はそれを慮り、あまり怪我をさせないようにしなきゃ、とまで思っていたのだがこれでは予定と違う。それどころか先ほどまでの投げ方を見ていると、王伊の方が鳥代になるべく怪我をさせないように手加減しているようにさえ思えた。
「なんでって言われましても……」
 王伊は困惑している。
「当然だ」
 側で見ていた広兼がきっぱりと言った。
「西の王家は軍人の一族。俺やお前が同じ年の西の王子に勝てるわけないだろ?」
「お前がこてんぱんにしてこいって言ったんだろうが!!」
 鳥代が怒鳴る。
 けれど広兼は彼を無視して王伊を見た。
「どうだ。こいつかわいそうだろ。馬鹿だし弱いし女を追いかけるしか能のない残念な破魔の一族の第一王子なんだ」
「残念って言うなー!!」
 南は賢者の一族、西は軍人の一族、東は破魔の一族と呼ばれている。破魔とは魔法を破る力のことで、魔法や魔女がお伽話の世界にしか存在しないと思われている今の世の中では、今一つ使いどころのわかりにくい一族ではあった。
「……別に、かわいそうだとは思いませんけど」
 王伊が無表情のまま言う。
「そうか」
 広兼は言って笑った。
 次の瞬間、鳥代は驚いてえっと声を上げた。
広兼が突然、王伊の頬を殴りつけたのだ。
 がきっと音がした。不意打ちをくらった西の王子は避けることもできずに頬に衝撃を受け、条件反射的に自分を殴ってきた南の王子の腕を取ると、それをそのまま捻って関節を取った。流れるような体術である。
「いててててて」
 広兼が唸った。
「……何するんですか」
 どうやら王伊は唇を切ってしまったらしい。少し血が滲んでいた。彼は不愉快そうに眉宇をひそめ、広兼を見下ろしている。
「お前、自分のこともかわいそうだと思ってないだろいてててて」
 関節をとられたまま、南の王子が言う。
 王伊のこめかみがぴくりと動いた。
「お前は母親に死なれたかわいそうな子供なんだよばーかばーかあいてててて」
「広兼……お前が馬鹿っぽいぞ……」
 東の王子は同情の目を向けた。
「見てねぇで助けろ!」
「なんでおれが」
 自業自得だ。東の王子はそっぽを向いた。もはや立ち上がるのはやめて、地面に座り込んでしまっている。
「いててててっていうか本当にいてぇ! お前、力入れんな!」
 広兼は悲鳴を上げた。
「ぼくはかわいそうじゃない」
 西の王子は呟くように言った。
 ぎりり、と広兼の腕をさらに捻る。
「かわいそうなのはぼくじゃないんだ」
 広兼は舌打ちをした。こめかみを汗が伝う。このままでは本当に折れてしまう。
「鳥代!」
 彼はもう一度東の王子を呼んだ。
 鳥代はやれやれとため息をつくと、少し身体を起こして王伊に言った。
「それくらいにしときなよ、王伊王子殿下。他国の王子の腕を折ったって、いいことなんか何もないよ」
 その言葉に西の王子がこちらを振り向こうとしたところで、鳥代が身体を低くしたまま足払いをかけようとする。
 が。
「げ」
 王伊はそれをひらりと避けて、二人の王子に正対する位置に着地した。
 広兼の腕はもう放している。
「……おお、折れるかと思ったぜ」
 南の王子は右腕をさすった。
「今絶対捕らえたと思ったんだけどなぁ」
 鳥代は不満そうな顔をしている。
 しかし二人は、顔を上げた西の第二王子を見て言葉を失った。
 彼は、ぽろぽろと涙を零していた。鼻頭や目を赤くすることなく、ただ泉から水が溢れ出るかのように目から涙が零れ落ちていた。
「ぼくにはずっと、心に決めたひとがいる」
 彼は声を震わせることなく言った。
「ぼくは彼女を愛してる。彼女だけがぼくのすべてだ。彼女以外は何もいらない。彼女が手に入るのなら……ぼくは母上だって捨てただろう」
 そして王伊は、少しだけ、つらそうに顔を歪めた。
「だからかわいそうなのはぼくじゃない。母上だ。母上はあんなにぼくを愛してくれたのに、ぼくは母上のようには母上を愛せなかった。ぼくには、彼女以上に大切な存在なんかなかったんだ」
 鳥代にも広兼にも、彼の言っている意味はよく理解できなかった。
「ぼくが愛するひとは彼女だけだ。後にも先にもこれからも一生ずっと、彼女だけなんだ」
 とにかくそれが熱烈な告白で、西の王子にはこの年にして、そんなにも思う相手がいるのだということだけはわかった。
 広兼は眉間に皺を寄せ、鳥代は感嘆で目を丸くした。
 王伊は、目の前の二人の王子を見ているわけではなく、ただ虚空を睨みつけているようだった。それは自分を非難する目にも、母を憐れむ目にも見えた。
「こんな風に狂った息子をもった母上は、きっと、世界で一番かわいそうなひとだった」
 彼は言った。
 中庭に風が吹く。冬を前にした風は少し肌寒く、木々をかさかさと揺らした。冷たい空気の匂いがする。西の王子は言葉を失ったように俯き、その場を風と木々の音だけが寂しく流れた。
「……それは、お前が決めることじゃねぇ」
 広兼が、たまりかねて唸るような声を出した。
彼は西の王子に歩み寄ると、その胸倉を乱暴に掴んだ。右腕が痛む。彼は、王伊を睨み付けた。
「それを決めるのはお前じゃねぇ。誰かが幸せかどうかは、本人が決めることだ。お前が、誰でもない西の王妃殿下が心から愛したはずのお前が、母親をかわいそうだとか言うな」
 王伊の目は、零れ落ちそうに見開かれていた。
 その頬には涙が通る跡ができていて、茶色の双眸は濡れて今にも溶けてしまいそうだった。
「……」
 次の瞬間、西の王子はくしゃりと顔を歪めた。
「うお」
 彼が突然、がしりと広兼に抱きついたので、南の王子は思わず声を上げた。
「……」
「……え、何? どうしたの。広兼首絞められてるの? 死にそう?」
 鳥代がおそるおそる声をかける。
 すると広兼は、顔だけで振り向いて不愉快そうに眉宇を寄せた。
「いや、すげぇ泣いてる。あああ。俺の肩がなんかいろいろな液体で濡れる……」
「あー。手拭(はんかち)貸そうか」
「貸せ」
「うーん。これは女性の涙を拭くために持ってるんだけどなぁ」
 仕方がないか、と言うと鳥代はポケットから手拭を取り出して広兼の横に差し出した。
「きちんと洗って返してね」
 と鳥代が言うやいなや、王伊が彼の手から手拭をぱっと取ってぶぃいと鼻をかんだ。それを見て鳥代が一瞬固まる。そして笑って言った。
「……あー。やっぱり返さなくていいよ。うん。あげる。それ」
 広兼はその手拭でもう一度鼻をかむと、今度は服の袖で自分の涙を乱暴に拭いた。
 そして顔を上げる。冷たい風は止まっていた。
「……ぼくは王伊。よろしく、鳥代、広兼」


「それがね、僕らの出会い。最低でしょ?」
 腕の中に恋人を抱いたまま、彼はくすくすと笑った。草の絨毯の上に広がる恋人の赤い髪は、極上の絹糸のように彼の手の中でさらさらと流れる。
「そうか? 妾は、素敵じゃと思うがのう」
 彼より一回り小さな恋人は、彼の腕の中で楽しそうに笑った。
 初夏の太陽の光は心地よく、柔らかな若葉は横たわった彼らの身体を優しく受け止めてくれている。あまりにも天気がよかったので、適当な場所を見つけて二人して横になったのだ。すると思いのほか心地よく、なかなか起き上がれないでいる。
「広兼も鳥代も、僕は最初、なんて不躾な奴なんだろうと思った」
「手拭はどうした」
「ああ、どうしたかな。捨てたかも。洗って返してはいないと思うよ」
「なんじゃ。普通そういうものは大切に取っておくものじゃぞ」
 恋人が血よりも濃く赤い双眸で自分を軽く睨み付ける。その表情さえも可愛らしく、彼は幸せそうに笑った。
「そうかな。男のくれた手拭を大事に持っている方が気持ち悪いと思うけど」
「友情の証ではないか」
「僕があの手拭をまだ持ってるって言ったら、広兼も鳥代もすごく嫌な顔をすると思わない?」
「……そうじゃのう」
 彼女は少し考え込むように目を伏せた。
 そんな彼女の可愛らしい額に、彼は優しく口付けを落とす。そして彼女を抱く腕に力を込めた。
甘い香りが鼻腔をくすぐる。ずっと昔から、彼女のこの魅惑するような甘やかな香りは変わらない。それが愛おしくて、彼は彼女の名前を呼んだ。
 彼女の手がそっと背中に回される。
 大切にして、それが許されるということは、こんなにも幸福なのだと彼は思った。
「……そなたの母上は、きっと幸せであったろうな」
 腕の中で彼女が言う。
 彼は少し腕を緩めて、彼女を見た。彼女は笑っていた。その笑顔はひどく綺麗だった。
「妾がこんなにも幸福なのじゃ。そなたを産んだ母上が、幸福でなかったはずがない」
「……うん」
 王伊も笑った。
 もう一度、彼女を抱きしめて目を瞑る。
 母のことで思い出すのは、優しい声と、柔らかな手。記憶はもうおぼろげだが、穏やかに微笑む、優しい人だった気がする。王伊が夢の中で見る赤い髪の女性の話をしても、他の人間達のように怪訝そうに見なかった。ただ頷いて、彼の話を聞いてくれた。
 彼は、愛していたのだ。母を。
 目の前のこの恋人に向けていた心臓を焦がすな愛情とは違う感情で、愛していた。
 それでよかったのだ。
「うん」
 王伊はもう一度言って新祢の髪に頬をうずめた。
 涙が一粒、落ちて彼女の赤い髪を濡らす。
「そうだね」
 と彼は言った。