三人王子の幽霊騒動


 その年の春迎祭を終えても西と南の幼い王子達が東の国に留まっていたのは、何も特別なことではなかった。
 同年代の三人の王子は殊のほか仲がよく、春迎祭などの行事で一所に集まればその後ひと月近くは共に過ごしている。特に十歳という年齢の彼らは、ふくらむばかりの好奇心とそれに見合った行動力を持て余していて、毎日どこかへ出かけていた。
「倉庫の幽霊?」
 広兼は馬鹿にしたように言った。
「何? お前マジで幽霊とか信じてんの?」
「信じてるっていうかそういう噂が流れてるんだよ!」
 鳥代が噛み付くように答えると、王伊はどこかどうでもよさそうに聞いた。
「倉庫ってどこの?」
「武器庫だよ。地下にあるやつで、普段あまり使ってない」
「ふうん」
 気のない返事だが、武器庫と聞いて王伊の足取りが少し軽くなったのを広兼は見過ごさなかった。西の国の王子は普段何事にも無関心なくせに、武器や戦闘のこととなるとほんの少しだけ興味を示すのだ。
「それってどういう幽霊なわけ?」
 正直な話、広兼は幽霊をまったく信じていないわけではなかった。
 このあたりの土地では、死んだ人の魂は地姫に迎えられ土の下であらゆるものと混じり合うことになっている。やがて混じり合った魂は大地に芽吹き、それを食べた生き物の腹に新たな生命として宿るのだ。
 だから死んだ後の魂が地姫に迎えられるまでの時間、この大地の上の世界を彷徨っているのが、いわゆる幽霊と呼ばれるものとなる。
「武器庫整理をしていたら上から落ちてきた鉄の甲冑の下敷きになってしまい圧死したあわれな幽霊だ」
 鳥代が答えると、広兼は顔をしかめた。
「確かにあわれだな……」
「顔面はぐちゃぐちゃになったらしいぞ」
「鉄の甲冑って……あれ飾りでしょ? どうして武器庫にあるの?」
 軍人の国の王子が不思議そうな顔をして聞いた。
「西にはあれで本当に戦争してる国もあるらしいな。たぶん昔のうちの王族が面白がって輸入したんだろうけど、実践向きではないよな」
「あんなの着て戦えるの? すごいなぁ。一回相手してみたいね」
 王伊が少しだけ目を丸くすると、広兼は憮然として言った。
「俺は嫌だね」
「おれもやだなー。怖いし。あんなのが襲ってきたら」
「そうかな? 面白いと思うよ」
「それはお前が馬鹿だから」
「失礼だなぁ、広兼」
 と言って、西の王子は笑った。
「ほら、着いた。ここだ」
 一番前を歩いていた東の王子は、廊下の突き当たりで立ち止まった。目の前にはほとんど装飾のない、そしてなんだか不気味な雰囲気を醸し出す扉があった。
 鳥代はごくりと息を呑むと懐から錆ついた鍵を取り出す。
「いいか? とりあえず中を一周して、ここに戻ってくるんだ」
 広兼が手に持っていた灯りに火を入れた。王伊がきらきらとした目で頷いたのを見て、鳥代はそっと扉の鍵を開けた。




 扉の向こうはすぐ階段になっていて、彼らは手燭を持った広兼を一番前にしてそろそろと階段を降りていった。
 空気はひんやりとしていて、ひゅうひゅうと空気の通る寒々しい音が聞こえる。
 階段の上の扉は閉められていた。先ほど鳥代が取り出したこの武器庫の鍵は、彼がこっそりと持ち出したものだったからだ。扉が開きっぱなしになっていれば、少年達が忍び込んだことがすぐにばれてしまう恐れがあった。
「暗いな……」
 鳥代は広兼に寄り添うようにして歩きながら呟いた。
「武器庫の中なら燭台があるだろ」
 ぶっきらぼうに広兼が答える。
 彼は灯りを持つ自分の手が震えないようにしなくてはいけなかった。
 ちらりと鳥代の後ろを見ると、王伊が飄々とした様子でついてきている。楽しそうにさえ見えるのは、きっとこの先が武器庫だからなのだろう。
 広兼は小さく舌打ちをした。
 鳥代はともかく、自分が怯えているなどと、認めたくはなかったのだ。
 階段はすぐに終わり、少年達が緊張と共に足を踏み入れた武器庫は整然としていた。
「……そんなに広くないんだな」
 鳥代がどこか安堵したように言う。
 そこは、広兼の持つ手燭の灯りだけで十分見渡せるだけの広さしかなかった。剣を立てるための木枠が並んでいて、壁際には木箱が積み上げられている。籠った匂いが鼻についた。天井は低い。
 広兼は入り口横の壁に垂直に設置された棚に手燭を置いた。
 鳥代がようやく彼から離れて、王伊はてくてくと歩いて木枠に数本だけ立てかけられた剣に触れた。
「……刃こぼれしてる」
「不要なものを置いてるんだ」
「一周するまでもないな」
 広兼は言った。
「うーん。つまんないなあ」
 鳥代が顔をしかめて腕を組むと、王伊が笑う。
「鳥代、怯えてたくせに」
「べっ別に怯えてなんかいない! ちょっと……なんていうか、寒気がしただけだ。空気が籠ってるし……」
「あの木箱には何が入ってるんだ?」
 広兼は倉庫を横切って奥の木箱に近付いた。そして顔をしかめる。どうにもそれはひどく不安定な積まれ方をしていて、今にも崩れ落ちてきそうだった。
 一番上の木箱は、どうやら大人の男が背伸びをしてぎりぎり届く高さにあるようだ。おそらく踏み台を使うことを面倒臭がった結果がこれだろう。
 上から甲冑が落ちてきて死んだ男の話も、ここに原因があったのではないかと賢者の王子が思ったその時である。
「……うう」
 何者かの呻き声が聞こえた。
 広兼はぞっとして振り向く。
 すると、入り口のすぐ近くで鳥代が顔を覆っていた。
「鳥代?」
 どうした、と広兼が問おうとした時だった。
 少年の身体が傾いで、すぐ横にあった棚に思い切りぶつかった。
「王伊!」
 広兼ははっとして叫んだ。
 鳥代がぶつかった拍子に棚が後方に倒れ込む。けれど広兼が危険を知らせる前に、棚の影にいた西の王子はその場から飛びずさっていた。さすがの身のこなしである。
 どおん!
 次の瞬間、棚が地面に倒れた大きな音と共に室内を照らしていたささやかな灯りが消えた。
 いくつかがしゃん、という甲高い音も聞こえた気がする。手燭が割れたのだろう。
 一瞬で室内が暗闇に落ちる。
「……鳥代、王伊?」
 広兼はおそるおそる友人の名を呼んだ。
「ぼくは無事だよ」
 王伊の声がすぐに答える。
「鳥代は?」
「……」
 返事がない。倒れる直前、鳥代は顔を押さえていた。
『顔面はぐちゃぐちゃになったらしいぞ』
 なぜかふいに先ほど鳥代から聞いた話が蘇り、広兼は寒気を覚える。
「王伊……鳥代の様子を見れるか?」
 幽霊の呪い? まさか、そんなはずがない。
「ちょっと待って……」
 じゃり、と王伊が石畳を踏む音がした。手探りで歩いているのだ。暗闇では、音が引き立つ。
 広兼は手探りで火付け紙を取り出した。指先ほどの大きさのざらざらした紙と、先端に薬品の塊のついた細長い布だ。布の方はそれ自体が燃えてしまわないように特殊な液体が染み込んでいる。
 広兼は布を紙で挟んで素早く引っ張るということを何度か繰り返し、布の先の薬品に火をつけた。
 その火は指の爪のほどの大きさで、広兼の周囲をぼんやりと照らし出すことしかしなかった。顔を上げると、少し離れたところで小さな塊が動いている。
「鳥代、どうしたの? しっかりして」
 王伊だ。
 広兼は足早に友人達のもとへ行った。
「鳥代?」
 どうして鳥代は突然顔を押さえて倒れてしまったのか。
 危険な薬品を顔に被ってしまったのだろうか? けれどここは武器庫だ。そんな薬品が置いてあるとは考えにくい。
『武器庫整理をしていたら上から落ちてきた鉄の甲冑の下敷きになってしまい圧死したあわれな幽霊だ』
 もう一度鳥代の声が蘇ってきて、広兼は全身に鳥肌を立てた。
 幽霊というものが本当にいるとしては、果たして人を傷つけるものなのだろうか……。と思う。
 彼は二人の友人のもとにたどり着いた。
 そしてこちらに背を向けてしゃがみこんだ王伊の後ろから、覗き込むようにしてじりじりと熱い布の切れ端を上に上げる。早く灯火器に移さないと火はすぐ消えてしまうだろう。
 王伊は鳥代を抱き上げていた。
 横たわるその友人の顔をぼんやりとした灯りの中で見た広兼は、息を呑んだ。
「……ひっ」
 顔がぐちゃぐちゃだ……!
『倉庫の幽霊?』
 今度脳裏に響いたのは自分の声だ。
 そしてその時、じりじりと音を立てて限界を訴えていた布の先の火が、ふっ、と消えた。
 周囲が再び暗闇に落ちる。
「王伊! 走れ!!」
 広兼は叫んだ。
 王伊は、賢者の王子が言うことに疑問を差し挟まない。
 目の前にしゃがみ込んでいた王伊がもぞもぞと鳥代を背負う気配がしてから、今度は目の前からふいと消えて石畳を駆け上がる足音が聞こえた。広兼もそれを追うようにして走り出す。
 走り出すと、ぞわぞわと血を逆流するような不快感と共に、背後から追いかけられているかのような恐怖に襲われた。
「早く!!」
 広兼は悲鳴を上げた。
 バン! という大きな音を立てて扉が開かれる。外の世界は明るく、彼は一瞬目が焼かれたように錯覚した。
 どっと安堵を感じたが、王伊の背中でぐったりとした鳥代を見て青ざめる。やはり、鳥代の顔はぐちゃぐちゃだ。
「王伊、早く鳥代を医者に見せよう!」
 広兼が言うと、王伊は再び駆け出した。広兼もその後を追う。やがて捕まえた医者に、賢者の王子は半分泣きそうになりながら叫んだ。
「幽霊の呪いなんだ! 鳥代が死んじゃう!」




「それが沈瘡だったんですか?」
 晴れた日の空と同じ色彩の宿った双眸を、くるりと大きくしてから早苗は聞いた。
 広兼はというと、妻の前では珍しく、憮然とした様子のまま丸い椅子に座って芋の皮を剥いている。彼が皮を切り取った後の芋はひどくごつごつしていてほんの小さな塊しか残らなかったが、早苗は何も言わなかった。
 彼女はというと鍋の前に立ってその中を掻き回している。
 いい香りがした。
「そうだ」
 彼は呻くように答えた。
 沈瘡は、感染症だった。
 突発的に高熱と湿疹が出て、発症した人間は大人も子供もなく突然倒れてしまうというなんとも心臓に悪い病気である。ただし死にいたることは滅多に無く、適切な治療さえすれば高熱は一晩で下がる。後に残るのは湿疹で、これは時間をかけて治していかなくてはならなかった。
「どうも春迎祭で広まったらしいんだけどな……結局あの後俺も王伊も発症しちまって……ひどかった」
「まぁ」
「あの後国に帰ったらしばらく兄達に馬鹿にされたしな。まったく……病気を幽霊の仕業だと考えるなんて……」
 広兼は恥ずかしさのあまりがっくりと肩を落とした。
「鳥代様が突然倒れたからびっくりされたんですね。動転されるのも無理ないわ。ましてその時は皆様まだ十だったのでしょう?」
「もう十だな。冷静に考えればわかったはずだ。沈瘡は知っていたし」
「広兼様はお小さい頃からご自分に厳しかったのですね」
 早苗は笑って言うと、混ぜていた鍋の中身を小さな椀に取って、「味を見ていただけますか?」と広兼に渡した。南の王子はそれを受け取って、椀に口をつける。ほとんど透明の液体だ。どうしてこれからこんなにもいい香りがするのか広兼にはわからなかった。
「……うん。うまい」
「よかった。じゃが芋も、ありがとうございます」
 早苗は実の部分が大きく残ったままの芋の皮も広兼から受け取り、それぞれ別の器に入れて水につけた。どうやら皮の方も使うらしい。経済的だ。
「本当にいたらいいのにと思いませんか?」
 その時唐突に、早苗が言ったので広兼は意味がわからなかった。首を傾げる夫を見て、彼女は少し恥ずかしそうに笑う。
「幽霊ですよ。本当にいたらいいのにと思いませんか? そうしたら、きっとお父様にもお母様にも広兼様をご紹介できるわ……珀蓮達だって」
「ああ」
 広兼は彼女の言うことを理解した。
 彼は料理をする妻に近付くと、そっとその額に口付けを落とした。
「そうしたら俺はあなたの父君の前で膝をついて請うだろうな。あなたが欲しいのだと」
 早苗が顔を林檎のように赤くする。
「まぁ」
 と彼女が言うので、それがひどく可愛らしくて、賢者の王子は声を上げて笑ったのだった。