鳥代と早苗


 東の国で仮面舞踏会が流行しているのは東の国の王妃がそれを好んだのが発端だった。もはや東の国の風物詩となった秋の収穫祭での仮面舞踏会も、もとはといえば王妃が考え出したものだ。
 そういうわけで、東の国では小さな貴族の屋敷での社交場でも、仮面が必須の場合が少なくない。
 仮面をつけるといっても、身体のどこかに家紋はつけておかなくてはならない。それは社交場での礼儀だ。仮面をつける本来の意味を見失っていると言われても、社交場はあくまで、家と家の繋がりを新しく持つ、または強固にするための場なのだった。
 もちろん鳥代は、家と家の繋がりなどに興味はない。彼がそういった場に出席するのはただ華やかなその場を楽しみ、数多いる女性達との甘やかな語らいを求めてのことだった。精悍な雰囲気を持つ彼が社交場に出ると、たとえその正体を隠していても自然に女性が寄ってくるのである。東の王子はそういったことにまったく不自由はしなかった。
 そして鳥代がその女性に気付いたのも、可憐な雪の妖精や湖の底の美しい水女に囲まれている時だった。
「いいじゃないか」
 髪を結い上げ、緑色の縁取りのある仮面で顔の半分を覆った女性が、少し肥えた男に誘われていた。彼がその女性に目を惹かれたのは、彼女の髪が見事な金髪だったからだ。仮面の下の唇は可愛らしく、肌も白く柔らかそうだ。恐らく自分と同じくらいの年の女性だろう。一方で彼女の腰に手を回そうとしている男は明らかに四十を超えていて、仮面こそつけているものの上流階級であることを表す家紋をこれみよがしに肩の部分に縫い付けていた。
 鳥代は妖精と水女に断ってその場を離れた。
 ほとんど無理やり女性を外に連れ出そうとしていた男の肩を叩く。
「申し訳ないが、私が先約なのです」
 この時鳥代は全身を黒で固めていた。仮面も黒だ。縁取りは金。さながら怪盗のように見えるかもしれない。
 男はあからさまに舌打ちをした。
「何だね君は」
 そして肩の家紋を見せびらかすようにする。
 なるほど彼は、ある伯爵家の家紋を持っていた。この仮面舞踏会は、裕福な商人が主催したものでそこまで上流の貴族が集まっているものではない。鳥代も、あえてそういう社交場を選んで出席していた。自分を知っている者が少ないからだ。
 この場では確かに彼は上位の貴族だと言えた。他は男爵や子爵、それに主催者自身がそうなので、爵位を持っていない商人も多くいた。
 鳥代はあくまで穏やかな雰囲気を崩さず言った。
「この女性と先に約束していたのは私です。ですからここは譲っていただきたい」
「はっ若造が。口の利き方がなっとらんな。聞かなかったことにしてやるから下がれ」
 男はしっしと手を振った。
 鳥代はため息をつきたくなった。まったく、面倒臭い。彼はずいと男の目の前に腕を出した。
 仮面舞踏会において家紋を身に着けておくのは東の国でのマナーだ。ただ鳥代は、国紋と同じ自分の家紋を、袖の折り返しのところに縫いこんでいた。普通にしていれば見えないような場所だ。こういう場では、王族であるとばれない方が身動きが取りやすい。
 けれど彼は、この時あえて袖の折り返しをめくってそれを男に見えるようにした。そして少し腰をかがめ、その耳元で囁くように言う。
「口の利き方に気をつけるのはあなたの方だ」
 最初は何のことかよくわからない様子だった男は、目の前の袖口に縫い取られた紋章の意味するところを理解してさーっと青ざめた。ぱくぱくと口を開くが、言葉が出てこない。
 アザミの花と笛の紋章は、東の国の国紋だ。そして国紋を家紋として縫い付けることができるのは、王に連なる一族しかいない。
 鳥代は男の言葉を待たずに女性の手を取ると、その場を離れた。
「ありがとうございました」
 少し離れた柱の陰で立ち止まると、女性は礼を言った。
「いえ。余計なことでなかったのならよいのですが」
 鳥代はこの時初めて、仮面の向こうの女性の双眸が明るい青色をしていることに気付いた。このあたりでは瞳の色は茶色か黒か、もしくは暗い色をしているのがほとんどだ。髪の色といい、彼女に異国の血が入っているのはあきらかだった。
 なぜもっと早くに彼女の存在に気付かなかったのか。鳥代は不思議でならなかった。
「とんでもないです。でも、あの方には少しお気の毒でした」
 鳥代はさりげなく彼女の服装に目を走らせた。家紋がどこにもない。商人の娘なのだろうか。あるいは鳥代のように見えにくいところにあるのか。
「私は里王と申します」
 こういう場では、彼はたいていこの偽名を使っていた。自分の納める呂王領をもじった名前だが、本名を使うよりもずっと自分の正体がばれにくい。
「早苗と申します」
 仮面の上からでもわかるくらい、彼女は柔らかく笑った。鳥代は彼女に好感を持った。
「先ほどはその場で嘘を言いましたが、よければ本当に二人で話をしませんか?」
 この屋敷は、主催の商人の別宅らしい。庭がなかなか見事で、色や花の咲く時期まで考えられているだろう樹々の配置が素晴らしいのだ。
「庭が素晴らしいと聞いています」
 そう言うと、彼女は一瞬、嬉しそうに顔をほころばせた。
「ありがとうございます」
 鳥代はなぜ礼を言われたのか理解できなかった。
 しかしその理由を問う前に、闖入者がその場にやってきた。
「まぁまぁ今日はようこそお越しいただきました」
 いささか痩せすぎな様子の否めないその女性は、この屋敷の主人であり主催者である。ヤエ商会という会社の当主で、その前の当主である彼女の父は、数ヶ月前に亡くなったばかりだ。
「お料理はいかがです? うちの自慢は庭と料理ですのよ。とくにあの焼皿。冷めてもとても美味しいの。召し上がられました? あら、お酒を持っていらっしゃらないのね。作らせましょうか? 何かお好きなものはありますか? 実はこの後でてくる焼き菓子もうちの自慢ですの。きっと召し上がってくださいね」
 そう言いながらも、彼女が素早く鳥代の全身に目を走らせたのに気付いて彼は苦笑した。あまりにあからさまだ。見覚えのない顔を見つけてやってきたのかもしれない。
「それは楽しみですね」
 鳥代が言うと、金髪の女性が壁に掛けられた時計を見て「あら」と声を上げた。
「申し訳ございません、私は失礼いたします」
 彼女は少し慌てた様子で膝を折ると、その場を辞して部屋を出て行ってしまった。ああ。と鳥代はとても残念な気持ちになった。
 その後出てきた焼き菓子は、なるほどとても美味しかった。外側がかりかりとしているのに中はふんわりと柔らかく、柑橘の爽やかな香りが鼻をくすぐった。よほど腕のいい料理人がいるのだろうと鳥代は思った。少し焼きすぎたかんじはしたが、それもまた悪くない。
 彼はその焼き菓子を持ったまま、庭に出た。
 本当ならそういう趣向でない限り、庭で立ったまま飲食をするのはあまり好ましくない行為である。案の定、室内は新しく料理やお酒が出てきたところだったので、庭には誰もいなかった。
 まだ外に出てもそこまで肌寒くないこの季節は、夜の庭が楽しめるように花を選んで植えられているようだった。白や淡い色の花が目につく。今夜は特に月の光があるので、明るい色の花びらが月の光の中で映えるように輝いている。
 その時鳥代は、月明かり以外灯りのない庭の一角で、なにやらしゃがみこんでいる人影があるのに気付いた。庭の隅の方なので、たまたま鳥代がそちらに目を向けなければ気付かなかっただろう。白いあれはエプロンだろうか。使用人が植えてある香草でも採っているのだろうと鳥代は思った。
 しかし身体を起こしたその使用人の、月光に生える明るい色の髪を見て、鳥代は驚嘆した。
「……早苗嬢?」
 呼ばれて振り向いた彼女は、鳥代の顔が見えないようだった。逆光なのだろう。しかししばらくして、彼女は顔をほころばせて笑った。仮面をつけていない分、月光の下のそれは花開くように可愛らしく見えた。
「まぁ。その焼き菓子はいかがですか?」
 鳥代は彼女に歩み寄った。
 早苗は、先ほどとはまったく違う格好になっていた。髪は下ろして一つにまとめられて、服装も使用人が着るような黒いワンピースに白いエプロンだ。その白い肌に仮面はなく、化粧さえも落とされているようだった。彼女からは柑橘の香りがした。腕には籠を下げていて、そこにやはり香草らしきものが入っている。
「……あの焼き菓子は、あなたが作ったのか?」
 鳥代は、かろうじてそう問うた。
 早苗は笑った。
「そうですよ。あれを焼いている少しの間だけ仮面を着けて出ようと思っていたのですが、伯爵様に捕まってしまって困っていたのです。鳥代様に助けていただいて、本当に助かりました。それでも少し焼きすぎてしまいましたけれど」
 理解できなかった。この屋敷では、使用人も社交場に出るのだろうか。早苗は鳥代の困惑を感じ取ったように言った。
「私はこの主催の妹です。義姉達が主催の時は私が料理をするのであまりこういった場には参加しないのですが、今回は珍しい方がいらっしゃっていたので、お義姉様に無理を申し上げて出させていただいたんです」
 早苗は自分を見ている。鳥代はこの時になってやっと、彼女が自分を『鳥代』と呼んだことに気付いた。
 彼女は自分が誰だか気付いている。
 あの男に見せた時に家紋を見られたか。いや、見えるような位置に彼女は立っていなかった。それに今、彼女はこう言ったのではないか。鳥代が来ていたから、義姉に無理を言って出てきたのだと。
 一国の王子が。
 鳥代は完全に困惑していた。早苗は軽く首を傾げる仕草をした。
「私は商人ですよ、鳥代様。商人は情報と人脈が命です。他にも気付いていらっしゃった方はおいでだったんじゃないかしら。あの水女に扮されていた方は、トウア座の当主様の四番目の妹君なんですよ」
 トウア座はこのあたりで一番大きな商業会社だ。北の国に本社を置いている。
「商売敵ほど効率のいい情報源はありませんものね。こういう場にはなるべくお呼びするようにしているんです」
「……なんてことだ」
 鳥代は呻いた。
「今からもう一種類焼き菓子を焼いて、皆様のお土産に持って帰っていただこうと思ってるんです」
 彼女は籠の中をちらりと見た。
 その髪と眼の色さえなければ、どこからどうみても何の変哲もない使用人に見える。
「なんてことだ」
 鳥代はもう一度言った。
「早苗嬢。どうやら私達はもっとわかりあう必要があるようだ。もっと貴女の事を知りたい」
 彼はさりげなく早苗のあいている方の手を取った。彼女の青い眼をじっと見つめる。しかしどこまでも包み込んでしまうような彼女の双眸は、まっすぐに鳥代を見返すとふっと細められて彼女は笑った。
「鳥代様の眼の奥には違う女性がいらっしゃるわ」
 今度こそはっきりと鳥代は動揺した。
 その動揺の隙に、早苗はするりと彼の手からすり抜けた。
「失礼いたします。里王様。焼き菓子を、きっと持って帰ってくださいね」
 そう言ってやはり花がほころぶように笑うと、彼女は金色の髪を揺らして奥の方へ行ってしまった。おそらくあちらに勝手口があるのだろう。
 鳥代は呆然としていた。
 最後は、たぶん、釘をさされたのだろう。名前を偽るのはマナー違反だ。彼はいわば彼女に借りができた形になる。ヤエ商会に、借りができた形になるのかもしれない。
「……ああ」
 しかも。
「見透かされた」
 ずっと。
 心臓の奥にある双眸。
 光の加減で色の変わるあの暗い色の眼。
 強い光を帯びていて、心を奪い取られるような澄んだ声。
 数ヶ月前に、問うてはいけない事を彼女に問うてから、彼はもう北の国には行っていない。数ヶ月会わない事など今までもあったのに、もう会えないのではないかと思うだけで心臓が焼けるようになった。
 どうしたらいいのかわからず、一人でいると暗い方へ考えが行ってしまうので、最近はこういった華やかな場に積極的に参加するようにしていた。自分を知らない人間ばかりの場所で、甘やかな言葉だけを交わしているのは心地いいのだ。けれどそれでもこの心臓の奥にはずっとあの北の王女の存在があった。
 どうしてこんなにも心を奪われているのか知れない。
 彼女の輝きを曇らせたくない。あの類まれなる宝石のような女を、もっと色んな人間に見せてやりたい。けれど誰にも奪われたくはない。
 一生愛していると、あの時言ったけれど、あれはきっと呪いにも似た真実だ。
「珀蓮」
 空に浮かぶ月に向かってその名を呼んだ。
 どうかこの声が月光となって彼女の上に降り注ぐようにと、彼は願った。