おかえり


 あの後屋上で泣いているうちに全身がずきずきと痛みだして、そのあまりの痛みに静は気を失った。彼女は正平達の手によって急いで病室に運び込まれ、看護師達にかなり怒られた。
 まだ全然出歩いていい身体ではないのだ。記憶と意識の混濁のせいで痛覚が鈍っていただけで。
 結局退院できたのは一ヶ月後で、年はもう明けてしまっていた。
「ああ久しぶりの我が家!」
 静は玄関を開けるなり胸いっぱいに息を吸った。そしていそいそと靴を脱ぐと、居間に入ってソファにそっと横になる。傷口が開くといけないので、倒れ込むことができないのが残念だ。
「落ち着くわー」
「ままー!」
 続いてお出かけ着の華子が居間に駆け込んできて静に飛びつきそうになるが、すんでのところで横から伸びてきた腕が抱き上げて止めた。綱だ。
「やー!」
「やー、じゃないだろ。ママは今イタイイタイだから抱きついちゃ駄目だって言ったはずだぞ」
「ただいまー綱ー」
 ソファに寝転んだまま静が言う。
「退院おめでとう」
「快適だったわよー。三食昼寝付き」
 今日は休日だけど綱は午前中ゼミがあったので、退院する静を病院まで迎えにきてくれたのは武一と広中と華子だった。正平は仕事だ。
 華子の世話もあるので静はこれからしばらくこの河野の家の方で生活する。そのため一度家に寄って正平がまとめておいてくれた荷物を取ってからこちらへ来たのだ。
「綱兄ー、ちょっと荷物運ぶの手伝って!」
 玄関の方から広中の声がした。
「おー」
 と綱は返事をすると、華子をそっと静の側におろしてやってから玄関へ向かう。
 入院当初に休みすぎたせいで、年が明けてからの正平はずっと働き通しだ。それでも今日は夕飯までには一段落をつけて帰ると言っていた。矢那も来てくれるのだという。
 久しぶりに全員が揃うのだ。楽しみだった。
「なんだこれ!」
 玄関の方から綱の悲鳴が聞こえる。
「全部静姉と華子の荷物だよー。正平さん家の中の二人のもの全部詰めたんじゃないのかな」
「そんなの向こうで減らしてこいよ」
「早く家に帰ってゆっくりしたいって静姉が言うんだもん」
 静はくすくすと笑った。
 正平が用意した荷物は海外旅行用のスーツケース三つ分だった。
 車に入ったのが奇跡だ。
「せまい?」
 ソファのすぐ横の床に座り込んだ華子が、ちょうど静の目線の先でかわいらしく首をかしげる。
 車の中で武一が後ろが見えない狭いと文句ばかりを言っていたから覚えたのだろう。
「家に持って入っちゃえば大丈夫よ。だってせっかくパパが私達のために私達の好きな服とか本とか玩具とか全部詰めてくれたんだもん。持ってこなくちゃ可哀想だもんね」
 と静が言うと、
「ねー」
 と華子も笑った。
 玄関への扉の向こうでどたどたと足音がする。荷物を一階の寝室に運び込んでいるのだろう。静が結婚してからこの家に泊まる時は、もっぱらかつて両親が使っていたその部屋を使っている。
「ただいまーっとー」
 がさがさとスーパーの袋の音をたてながら武一の声が玄関に入ってきたようだった。先ほどから開閉する音がしないから、玄関の扉は誰かの靴を挟んで閉まらないように止めてあるのだろう。
「綱、洗濯物取り込んどいたか?」
「えー? なにー?」
「洗濯物!」
「あ、忘れてた」
「お前なー」
「まだ靴はいてるし僕行くよ。居間の鍵開けといてよ」
「おー」
 という声とともに綱が居間に戻ってくる。見ていると窓の外の庭に広中が現れて、洗濯物が乾いているかどうかを確認してから物干竿から降ろしていく。綱がこちら側から窓ガラスの鍵を開けた。
 そうしているうちに開けっ放しの居間の扉から武一が入ってきた。
 両手にスーパーの袋を持った兄は、ソファに横たわる妹と姪っ子をちらりと見て確認してから、台所へ向かう。
「コーヒーでも入れるか」
 そして台所の台に荷物を置いてから、誰ともなく言ってやかんに水をいれはじめた。この家には武一の気に入っているコーヒーのドリップパックが常備してあるのだ。
「はい綱兄」
「おー。さんきゅー」
「これ乾いてないから浴室乾燥にして」
「了解」
 広中から洗濯物を受け取った綱は、乾いているものだけを絨毯の上に置いて、まだ乾いていないというものを持ってソファの横を横切る。その間に広中が玄関の方へ回って家に入り、扉を閉めた。
 広中は靴をきちんと揃えてから居間へ入ってくる子なのでこちらへ来るのは少し時間がかかるだろう。長男の教育の賜物である。
「静、コーヒーでいいか?」
 武一が聞いてくる。
「いいですー」
 静は答えた。すると華子が立ち上がって、武一の方へ走っていく。
「はなじゅーしゅ!」
「おー。さっき買ったのがあるぞ。待てよ」
「りんご!」
「りんご? さっき買ったのオレンジだぞ」
「りんご!」
「華子がさっきオレンジの方がいいって言ったんじゃないか。こっちで我慢」
「やー!」
「そうか。残念だな。じゃあもうジュースはなしだ」
「やー! じゅーしゅ!」
 静は顔をクッションに押し付けて、くすくすと肩を揺らして笑った。
 かちゃりと居間の扉の開く音。広中だ。
「あれ? どしたの静姉どっか痛いの?」
「違う。笑ってるの」
 静は慌てて顔を上げた。
 綱がお風呂の方から戻ってくる。
「武兄俺お茶がいい」
「自分で淹れろ」
「ひどい」
「じゅーしゅ!」
 台所の方は騒がしい。
「本当?」
 心配そうな顔の弟に、静は目尻に少し涙を溜めて笑ってみせた。
「笑ってるのよ」




「迷惑だ」
 と武一は言った。
「お前の罪悪感ははっきり言って俺達にとって迷惑以外の何者でもない」
 意識が戻ると学校を終えた広中も病室にいた。医師と看護師がやってきて改めて静に絶対安静を言い渡して部屋を出て行った後、「この際はっきり言っておくが」と武一は切り出した。
「例えば綱が昔お前のアイスを横取りして食べたことをうじうじうじうじ申し訳ないとか思ってたらうざいだろう」
「……武兄。ちょっとそれは例えがどうかと思うよ」
 過去のことを引き合いに出されて綱が控えめに抗議する。
「父さんと母さんが死んだのは事故だ」
 武一はきっぱりと言った。
 上体だけ起こしてベッドの中にいる静は、俯いたまま布団の上で手を握りしめた。
 あの日から、武一がこんなにもはっきりと両親の死について言及したのは初めてだった。
「お前のせいじゃない」
「わかってた」
 静は顔を上げた。目の前に座る兄を見て、次いで隣に立つ広中、窓際の綱を見る。
「わかってたわ。武兄達がそう言うことくらい。だから言わなかったのに」
 正平は華子を連れて席を外していた。
 正平が兄達に話したのだと知って、やはり、と静は思った。正平は気付いていたのだ。静の持っていた、この、罪悪感とでも呼ぶべきものに。
「正平を責めるのはお門違いだ」
 武一は射るような鋭さで妹を見たまま言った。
「責めてなんかいないわ」
「誰も責める必要なんかない。お前自身も」
「……」
 静は目をそらす。
 どうしたらいいかわからなかった。
 しばらく室内に沈黙が落ちる。
 綱も広中も喋らないのは、この場は家長である武一にまかせるべきだと承知しているからだ。彼らは信じてる。兄を。今までずっと、静がそうしていたように。
 扉の向こうから足音が聞こえる。誰かが部屋の前を通り過ぎた。外は暗い。もう面会時間も終わりだ。たぶん看護師だろう。その足音が遠ざかってから、武一は口を開いた。
「お前は」
 静は口を引き締める。
「覚えてるか? お前が病院で目を覚ましてから、俺が言ったことを」
 目を覚ましてから武一が言ったこと?
 いつのことだろう。静はもう一度兄を見た。そして驚く。
「父さんと母さんが死んだ時だ。お前は俺にごめんと言った」
 お兄ちゃん? と静は兄をそう呼びかけてやめた。
 武一はまるで今ひどい傷を負っているかのような様子で顔をしかめている。
「お前のせいじゃない、お前だけでも無事でよかったんだ、と俺は言った」
 覚えていた。
 忘れられない。
 あの時の兄はひどく絶望しているように見えた。それでも一言も静を責めるようなことを口にしなかった。
 あんなにも、傷ついていたのに。
 武一は一度大きく息をついてから続けた。
「あれは嘘だった」
 低く、何かを悔いているような声で言う。
「いいはずがない。父さんと母さんが死んだ。弟達を俺が守らなくちゃいけなくなった。そんなの無理だ。そう思ってた。いっそお前らなんていない方がいいとまで思った」
 違う。いない方がいいのは私だけだ。私だけなのに。と静は心の中で唱える。
「でもお前が」
 突然、武一の手が伸びて布団の上の静の手を握った。
 その時初めて、静は武一が震えていることに気付く。暖かくて大きなその手は、何かを我慢するかのように強く静の手を握りしめた。
「お前が、俺達を守った」
 あっと思う間もなく、兄の両の目からぼろりと涙がこぼれ落ちた。ひどく顔をしかめ、けれど睨みつけるように静を見て、兄はただぼろぼろと涙をこぼした。
 静は息を止めてそれを見ていた。
「お前が俺達を守ったんだ。立ち上がって、四人でいればそれでいいんだと言った。俺はあれで救われた。立ち上がれた。前を向けた。お前がいたからだ」
 そして兄は、本当に悲しそうに目を瞑って俯き、絞り出すように言う。
「……俺達を助けたお前が幸せになっちゃいけないなんて、誰が言ったんだ」
 静は再び俯く。
 自分の手を握る武一の手の甲に、ぽたぽたと涙がこぼれた。
 泣いている。さっきもあんなに泣いたのに、今自分の双眸からはまた涙が溢れ出てしまっている。
 涙というものは、こんなにも簡単にこぼれてしまうものだったのだ。と思う。
 くそっ、と武一は言って、左手で目を覆った。
 ごしごしと乱暴に涙を拭う。
「僕も」
 広中が声を上げた。
「僕も、兄達と静姉がいたから非行に走らずにすんだんだよ」
 ううう。といううめき声はたぶん武一のものだ。「俺も」と綱が続ける。
「俺も。二人がいたから高校卒業できたんだと思ってる」
「もうやめろ! 俺の涙が止まらん!!」
 武一は静の手を握っていた手を放すと、ベッドサイドに置かれていたハンドタオルを取って涙を拭い始める。武一の涙腺はかなり弱い。子犬映画を見てもぼろぼろと泣いてしまうのだ。
 しかし綱はなおも言った。
「二人には感謝してる」
「あーーー聞きたくない!!」
「俺が退学になりかけた時、武兄が直談判しにいってくれたの忘れないよ」
「お前絶対わざとだろ!!」
 武一はとうとうがたりと立ち上がって窓際の綱に怒鳴りつけた。
「心から感謝してる。働きだしたら初任給で焼き肉奢ってやるからもがが」
「ほんとお前黙れ」
「ちょちょ武兄鼻ごと口塞いだら死ぬよ」
 静は深呼吸をすると、おそらく真っ赤になっているであろう目で兄弟達を見た。
 窓際で、なおも綱の口を塞ごうとする武一を広中が止めていて、それを綱は「武兄泣き過ぎ」とからかっている。いい年をした男達がこんなふうにじゃれている様は見ていて面白い。愛すべき兄弟達。
「私も」
 静は声を上げた。
 すると三人はぴたりと動きを止めて、こちらを振り向いた。静は吹き出しそうになった。三人とも、こうして見るとそっくりだ。
「私もお兄ちゃんとあんた達に感謝してる」
 吹き出すのを我慢すると、自然と顔がほころぶ。
 誰かを安心させるための笑顔ではなく、ただ嬉しいから、そして楽しいから笑った。
「自慢の家族ね」
 広中が涙ぐみ、綱がそっと笑った。武一にいたってはうぐ、とまた変なうめき声を出して、最終的にはおうおうおうとむせび泣き始めて三人は慌てた。
「ちょ、武兄うるさい!」
「静ちょっと枕貸して口塞ぐから」
「枕で口塞いだら本当に死ぬと思うけど……」
 やがてまたかという顔の看護師がやってきて追い出されるまで、武一はずっとおいおいと泣き続けて三人は笑った。



「僕も見たかった。武一大泣き事件」
 夕飯の席で正平が言った。隣には子供椅子に座った華子がいて、彼は親鳥のようにせっせと娘に食事を供給している。
「子犬映画でも一緒に見たらすぐ見れるよ」
 もぐもぐと唐揚げを咀嚼してから綱が答える。すると武一の隣に座った矢那が、「あ」と声を上げて隣の恋人を見た。
「なんだ。武一さん泣いちゃうから絶対そういう映画見たくなかったの? 私が誘っても全然一緒に見てくれないから嫌いなんだと思ってたのに」
「人を泣かせるのを目的に作ったような映画は好きじゃない」
 先ほどから自分が大泣きしてしまったのをネタにされているのが面白くないのか、長男はずっと不機嫌そうだ。左手にお茶碗を持って、佃煮に手を伸ばす。
「泣かせるのを目的にって、なんか身もふたもないね。あー。そうだ。静姉結婚式やればいいじゃん。兄への手紙とか書けばまたああいう武兄が見れるんじゃない?」
 広中がにこにこと笑って提案した。
「結婚式? 嫌よ今更」
 それを静は一蹴する。
 結局静と正平は結婚式を挙げていないのだ。結婚当初はいろいろごたごたがあってそれどころじゃなかったし、すぐ華子が生まれた。
「それ、いいね!」
 しかし正平が食いついてきた。
「見たいな! シズのウェディングドレス姿!」
「面倒だから嫌」
 静はとりつくしまもない様子で言う。すると矢那がにこにこと笑って首を傾げた。
「静ちゃん、私達と一緒にする?」
「え?」
「あ、やっぱり武兄もうプロポーズしてたんだ!」
「ええ、そうなの武一?」
「なんだ。式まで決めてるの?」
 兄弟達の注目を浴びて、矢那は微笑みながら隣に座る婚約者を見る。武一が嫌そうな顔をしないところを見ると、どうやらこの話は矢那が切り出すものと決めていたらしい。
 長男は持っていたお茶碗を置くと、ごほんとわざとらしく咳払いをした。
「今年の四月に籍を入れる。式は夏だ」
 渋面で言うが、それが照れ隠しなのは兄弟じゃなくてもわかるだろう。
 矢那は嬉しそうに笑っている。
「もし綱君と広中君が嫌じゃなければ、この家に一緒に住まわせてもらおうと思ってるんだけど、いいかしら?」
「え! 矢那さんうち来てくれるの!?」
「武兄、新居持つだけの甲斐性もないの?」
 広中が顔を輝かせ、綱は目を細めて兄を見た。
「この家をお前と広中だけにできるわけないだろう!」
 武一が綱を睨みつける。
 広中は来年の入試がうまくいけば、四月から大学生だ。
「あ、言い忘れてたけど、俺就職先決まったから」
「え!!」
「嘘!?」
「何!?」
 兄弟達が声を上げる。
「どうしてお前はそういうことを先に言わないんだ!!」
 綱は今年で大学院を卒業するのだ。
 進路としては普通に卒業するか、大学付属の病院で働くか、研究者として残るか、としてあったはずで、綱が何も言わないので兄弟達は皆研究者として残るのだと思っていた。
 綱は平然とした顔でみそ汁と一口飲んでから続ける。
「隣の駅の動物病院。全然通える距離だけど一人暮らししようかとも思っててさ。武兄達がここを新居にするんなら広中俺が引き取るよ。新婚家庭に邪魔者がいちゃやっぱ駄目でしょ。いろいろ」
 今までふらふらとしていた次男の台詞に武一は唖然として言葉が出ないようだったが、矢那は目を吊り上げて綱を睨みつけた。
「邪魔者って何かしら?」
 華子はもう食事に飽きたらしく、皿に出した氷で遊んでいる。矢那は続けた。
「誰がいつあなた達を邪魔だって言ったの? ここは綱君達の家でしょう? 私が来ることで何か弊害があるのなら私は武一さんとはよろこんで別居結婚するわ」
 きっぱりとした矢那の言葉に、静が慌てて口を開く。
「別居結婚って、矢那さんそんな」
 武一がまた口をあんぐりと開けて矢那を見ているところを見ると、寝耳に水なのだろう。
「静ちゃん。私はね、武一さんと結婚するってことは、静ちゃんや綱君や広中君のお姉さんになることだと思ってるのよ」
 矢那は少し悲しそうに眉尻を下げて言った。
「一緒に暮らせないなんて兄弟じゃないでしょう? でもそれもしょうがないと思ってるの。あなた達にとってきっととても大切なこの家に、第三者が入ってくるなんて簡単に受け入れられることじゃないだろうって思うもの」
「え、いや、矢那さん、俺はそういうつもりじゃなくて……」
 珍しく綱が慌てた様子で言った。
「もう、綱兄がわけわかんない気を使うから矢那さんがそんなふうに思ったんだろ! 矢那さん。僕も綱兄も矢那さんがこの家に来てくれることは全然嫌じゃないよ。むしろ大歓迎だし。むしろ僕達にとっては正平さんの方がちょっと受け入れがたかったって言うか……」
 広中の言葉に正平が衝撃を受けた顔をする。
「あれ、今ちょっと僕日本語よくわからなかったんだけど、もしかして僕が邪魔だったとか言った!? ヒロ君!」
 広中はにこりと笑う。
「なんて眩しい作り物の笑顔!」
 正平が両手で顔を覆ってさめざめと泣く。
「ぱぱ?」
 華子が心配そうに父親を覗き込んだ。
 武一がもう一度ごほんと咳払いをする。
「綱、広中。矢那と暮らすのは嫌なのか?」
 改めて発せられたその問いに、二人の兄弟はあっさりと答えた。
「いや」
「全然」
 矢那が安堵した様子を見せて、武一は「それなら」と続けた。
「それならお前達が家を出る必要はない」
 きっぱりとした家長の言葉に、綱は肩をすくめて広中は笑った。
「一階の父さんと母さんの部屋を使うんでしょう? それならクローゼットの中片付けなきゃ」
 静が言った。
 一階の寝室にあるウォークインクローゼットの中には、両親の使っていたものがすべて残してあるのだ。
「あ、それなんだけど、私そんなに服は持ってないし、今のままでいいのよ」
 矢那は言ったが、静が手を振る。
「いい機会だもの。少し整理した方がいいわ。今なら私達が使えるものもあるだろうしね」
 両親が亡くなった時、兄弟達はまだ幼かった。けれどあれから十五年が経ったのだ。
「正平さん、元気だしてよ。冗談だから」
 まだ落ち込んでいる義兄に広中が苦笑しながら話しかける。
「ちょっと待って。あと五分は立ち直れない」
「面倒臭いから今すぐ立ち直りなさい」
「ぱぱー。げんき?」
「妻子の叱咤激励に僕は涙が出そうだよ……」
 矢那が笑う。
「そうだ。静ちゃん。まだ言ってなかったわ」
 静は将来の義姉を振り返って首を傾げる。矢那がワインの入ったコップを持ち上げた。
「おかえりなさい」
 これに兄弟達も続く。
「おかえりー」
「おかえり」
「お前は本当に周囲に心配をかけすぎだ」
「かえーり!」
「……」
 静は顔を歪める。そんな妻を、隣に座った正平は黙って抱き寄せた。
『welcome home ,my dear』
「……」
 こんなのずるい、と静は思う。
 そして同時に幸福だと、心から思う。
 彼女は少しだけ泣いて、そして言った。

「……ただいま」