13.理解不能な宣言をされる

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『これで部員全員だ。部活の名前はマド部。承認してくれ』
 熊男のその台詞を聞いた瞬間、わたしは、あ、これやばい巻き込まれそうだなと直感して脱兎のごとくその場から逃げ出した。
 熟練の職人のような素早さで靴を履き替え、大急ぎで校門を出てとりあえず近くの歩道橋のところまで疾走する……つもりではあったのだがなにぶん運動不足のわたしは校門を出てちょっと行ったあたりで疲れて失速してしまった。
 それどころか足を止めて両膝に手をついてぜーはーと肩で息をする。
 ああ、どっと汗が出てきた。ええっとハンカチハンカチ。がさごそと鞄からハンカチを取り出して噴きでた汗を拭う。ふぅー。ちょっとお茶でも飲みたいわね。
 とわたしが人心地ついていると、
「お前足おっせぇな」
 背後から声をかけられてきゅっと寿命が五年分くらい縮まった。
 おそるおそる振り返ると……
 熊だー! 死んだふりしろー!
 という猟師の幻聴が聞こえたのだが、それはあくまで幻聴であってそこに立っていたのはヒト科クマ目雄の熊男なのであった。
 え、なんでこいつわたしのこと追いかけてきてるの? ストーカー? 今流行のストーカー?
「きも! 変態!」
「いや、お前が逃げるからだろ」
 とか当然のように言われたので、
「逃げるから追いかけるって狩猟本能丸出しだなお前」
 などと思わず悪態をついてしまった。
 しかし熊は怒ることなく、子供のような無邪気な笑顔を振りまく。
「お前食っても美味しくなさそうだけどな」
 ……あーはん?
 その時我慢メーター的なものが振り切れてしまったわたしは思わず「ちっ!」と盛大に舌打ちをした。
 それもちょっと離れてても聞こえるくらい盛大な舌打ちである。鳥の鳴き声か!? と疑われるほどの舌打ちだ。ここまで説明すればこの時のわたしの苛立ち具合を理解してもらえるだろうか。理解して欲しい。
 昨日から眼鏡は壊れるし大事なローファー履いて学校来なきゃいけなくなるし女友達との『ウキウキ! 初めての一緒の下校と眼鏡選び!』は邪魔されるしわたしの鬱憤はこれ以上ないくらい溜まっていたのである。
「……本当カンベンしてくださいよ」
 八木原円は静かにぶち切れていた。ぐっと右足を出して熊男に相対し、下から舐めるようにして熊を見上げる。はーいこちらがいわゆる古典的な『メンチを切る』という技術ですよー。テストに出ますよー。
「わたしに何の用なんすか。マド部だかなんだか知らないですけど勝手にやってくださいよ。わたし関係ねぇだろ。他人巻き込むなよ大体マド部ってなんだよマドの研究でもすんのかよせめてウィンドウ部にしろよ全然だせぇよわけわかんねぇよこの窓枠の直線が綺麗だなはぁはぁとか変態プレイすんならわたしの目の届かないところでしてくれよ頼むから!」
 と熊男を睨みつけながらそこまで言い切ったわたしは、幾分すっきりしたのでにこっと微笑みを顔にはりつけ、
「そういうことですのでごきげんよう」
 と言うと踵を返してすたすたとその場を離れようとした。
 ふう。やばいやばい。思わず熊に喧嘩売っちゃったよ。ここはひとつ爽やかにこの場を去ることにしよう。颯爽と風のようにね。ウィンドになってね! ウィンドウと掛けてるんだよ! うまい! 座布団一枚!
 とか思っていたが、やはりすぐにがしりと首根っこを掴まれて「ぐえ」とまた変な声を出すはめになった。
「あああもう放してよ!」
 わたしは両腕を振り回してその腕から逃れ、今度はまっすぐ熊男を睨みつけた。
 なんだこいつ! 楽しそうににこにこ笑いやがって! 何がそんなに楽しいんだ! ぐえぐえ言う声が聞きたいならアヒルのいるふれあい公園にでも行きやがれ!
「なんなのよあんた!」
「お前、面白ぇなぁ」
「はぁ? 面白いのはあんたの脳みそでしょ!」
「もしかしてヤンキー上がりか?」
 失敬な!
「グレる余裕もお金もないわよ!」
 残念な告白ですが。
「それにしちゃあ結構な啖呵きるじゃねぇか」
「こ、こ、の、で、き、が、違うんですぅ!」
「はっはぁ。生意気な口だなぁ」
「いひゃいいひゃいいはいいい!!」
 口をつねるなあああああ!
 突然の暴力に軽く涙目になったが、熊男はすぐに右頬をつねっていたごつい手を放してくれた。
 ……お前、ほっぺたが取れたらどうしてくれるんだ。
 わたしの恨みがましい視線を無視して、熊男は「まぁとりあえず行こうぜ」と言って歩き出す。
「……は?」
 わたしはじんじんと痛む頬を押さえて間抜けな声を出した。
 なに言ってんだこいつ。
 すると熊はわたしを振り向いて、
「眼鏡作りに行くんだろ?」
 と言った。
「なんであんたと眼鏡作りに行かなきゃいけないのよ」
「あんたの眼鏡が割れたのは俺の責任だ」
「……」
 熊の口から責任という言葉が飛び出したので、わたしは目を丸くした。かろうじて言葉が通じる程度の暴力的野蛮人なのかと思ったら責任なんていう知的な単語を操れるのか。意外だな。
「安いところならいいんだろ? 来いよ。弁償するから」
「……いいです」
「まぁそう言わず奢られとけって」
 熊はすたすたとこちらに戻ってきて、わたしが手に持っていたローファーの入った紙袋と登校鞄を奪った。
「ちょ!」
「ほら、来いよ」
 ……もしかして人質ですか。警察! ポリス!
「……なんであんた手ぶらなの?」
「手ぶらで学校に来てるから」
 まぁ確かにうちは給食制なので、教科書なんかを学校に置いておけば手ぶらで来ることは可能……と言えなくもないのだが。
「あと、円」
 呼び捨てにすんじゃねぇよ!
 わたしが心の中でそう怒鳴っているとはつゆ知らず、熊男は口の端を上げて笑った。
「マド部はそのマドじゃねぇよ。ヤギハラマドカのマド。安西に聞いたけど、お前、すっげぇついてないらしいな? 去年も何もないところで転ぶのはもちろん、上から水かぶったりペンキ塗り立てのベンチに座ったり、トイレ入ってる時に鍵が壊れて閉じ込められたりいろいろあったらしいじゃねぇか。だから安西もお前のこと覚えてたらしいぜ。そういや俺達と会った時も車に轢かれかけてたしな」
 熊男は、はは、と声を上げて笑った。
「俺や王治にもビビらねぇし。お前、面白ぇよ。だから決めたぞ。八木原円」
 おいおい、人を指差しちゃいけませんってお母さんに習わなかったのか? まぁわたしは習ってないけどな。とわたしが呆れていると、熊男は本日最大の爆弾をわたしに投下した。
「お前は今日から俺様の下僕だ」
 あーはん?
 ご、め、ん、だ、ね!!



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