19.逃げられなくなる

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「何しやがんだ!」
 せっかく脚を揉んでやっていたのになぜか蹴り倒されたパシリの人は、当然ながら目を吊り上げて立ち上がった。
 熊男と一緒にいるから低く見えるけど、身長はたぶん舜と同じくらいじゃないだろうか。ひょろりとした体格で、短い髪をつんつんとおっ立てている。普通の子と不良の中間ってかんじ……? パシリにされるような人には見えないんだけどな。
「なんだお前興味ないふりして本当は俺達の部活に興味があったんじゃねぇか」
「ありません」
 奥のパシリさんを見ていたわたしの視界をぬっと遮り、女子の細腕を掴んだままの熊男が寝ぼけたことを言ってきたのできっぱりと答えてやった。勘違いさせたら悪いからね!
「今日は友達の付き添いです」
「付き添い?」
 聞いて驚け見て驚け! この子はわたしの友達の美少女こと清水麗華様だ!
「清水さんがこの部活に興味があるって言うから……」
 と言っている間にも、麗は戸口から化学室の中を覗き込んできょろきょろと周囲を見回している。……さては王子を探しているんだな。このフォーリンラブガールめ!
「れ……」
 と彼女に話しかけようとしたその時、
「っだ!」
 と目の前の熊が声を上げ前のめりになって一歩脚を踏み出したので、女子二人はびくりと震えた。
「俺の話聞けよこの馬鹿!」
「……須磨、てめぇいい度胸してんじゃねぇか」
 背中をおさえながら、熊が呻く。うお、こええ。人を殺しそうな目だね! と思っていると、麗が怯えたようにそっとわたしの制服の袖を掴んだ。かわいくてきゅんきゅんする。大丈夫だよ! 何があっても麗は守るからね!
 一方そんな殺人アイズにぎょろりと睨まれたパシリさん(やっぱり須磨って名前の人だった!)は、一瞬びびって後ずさったが、虚勢をはるように仁王立ちになって「にににに睨んでも怖くなんかねぇからな!」と言った。
 超びびってるようにしか見えないんですけど。
 そんなパシリさんの手にはさっき熊が読んでた分厚い漫画雑誌が握られている。ああ、あれで背中殴られたのか。そりゃ痛いわ。
 熊は振り向くとぐいとパシリさんの胸倉を掴んだ。
「ひいいい!」
 とパシリさんはもう半泣きだ! てゆうか足が浮いてる。足がじたばたしてる。
「怖くねぇだと? 強くなったじゃねぇか。よーし今日は特別コースで料理してやんよ」
 駄目だ。このままだとパシリさんはぶつ切りにされて焼かれて煮込まれて美味しくいただかれてしまうに違いない、と思ったその時、
「円ちゃん来てくれたんだ」
 と誰かがぽん、とわたしの肩を叩いた。
「おい、玄、須磨。何じゃれついてるんだよ。せっかく可愛い女子が遊びにきてくれたんだから茶でも出したら?」
 わたしの頭の上から化学室を覗き込んで王子は言う。そうすると自然とわたしの服の袖を掴む麗と顔が少し近付き、彼女に気付いた王子はにっこりと笑った。
「あ、もしかして円ちゃんのお友達? 歓迎するよ。お菓子とかないけどゆっくりして行って」
 その王子ボイスを間近で聞いた麗は、ぼん! と音とたてて顔を赤くした。
「あああああああああああの!」
 すっげえどもってるけど可愛いよ! がんばれ麗!
 麗は酸欠の金魚みたいにぱくぱくと口を動かして何か言おうとしたが、なかなかそれは言葉にならないようだった。うんうん。恋する乙女だもんしかたがないよね。じゃあわたしが何か助け舟を……と思ったその時、彼女は思いも寄らない行動に出た。
 わたしの制服の袖を掴んでいた手で今度はわたしの二の腕をガシ! と掴み、脱兎のごとくその場から逃げ出したのだ。
 えええええ!
 引きずられるようにして階段のところまで連れてこられたわたしは、「れ、麗!」とそのカモシカのような足を止める。この状態で階段上り下りさせられたら怪我する。下手したら転がり落ちる。それは困る。
「お、落ち着いて、麗」
 距離にして数メートルしか走ってないのに、麗はぜーはーと肩で息をしていた。興奮状態の犬みたいだ。
 目を吊り上げて険しい顔をしていた麗は、くしゃりと顔を歪めると悲痛な声を上げながらわたしに抱きついてくる。
「ふえーん。円ぁ。信じられない……私、逃げてきちゃったよ」
 うん。そうだね。狩人を前にした小型動物のような素早さだったよ。とわたしは心の中で思った。
「だ、大丈夫だよ。ちょっと深呼吸して戻ろう? わたし麗のこと紹介するからさ。王治先輩だって麗のこと覚えてるかも……」
「無理無理絶対無理! またあの目で直接声かけられたら私死んじゃう!」
 わたしに抱きついたまま、麗がぶんぶんと首を振る。
「でもそんなんじゃああの部活に入れないよ?」
「うう」
 美少女は泣きそうな声で呻く。
 かわいそうだけど、ここは友情のために心を鬼にしなきゃね!
「麗がぼんやりしてたら他の女子があの部活入って麗より王治先輩と仲良くなっちゃうかもよ? それでもいいの?」
「うう。嫌だぁ」
「なら頑張らなきゃ、ほら」
 ああ。今わたし超友達の恋愛相談にのってる。ハイスクールライフを漫喫してる。とわたしが一人悦に入っていると、「……なら、円が入って!」と麗が言った。
「へ?」
 麗は「そうよ!」と言うとぱっとわたしから身体を離し、なぜか晴れやかな笑顔を浮かべてわたしを見てくる。なに?
「麗があの入部してくれればいいのよ! それで王治先輩の話をたくさん聞かせて! ついでに他の女子牽制して!」
 ええええええ。
「でもわたし、バイト……」
 しようと思ってたんですけど。
「馬鹿ね円! 一生で一回の高校生活よ! 満喫するなら部活に入らなきゃ! それにせっかく綾小路先輩や王治先輩と仲良いなら、お世話になった方がいいよ! あの二人中学の時もいろいろと面白いことやってたんだから!」
「……たとえば?」
 参考までに聞こうじゃないか。
「ええと、屋上からバンジージャンプとか、国語の授業中にプール入るとか?」
 それ完全に不良のやることだよね。
「とにかくいつも楽しそうなの!」
 そりゃ自分のやりたいこと自由にやってたら楽しそうだよね!
「お願いよ円。私なんでもするから!」
 麗が両手を合わせてわたしを拝んでくる。いやー、いくら大切な友人の頼みでもこればっかりはなぁ。と思っていると、麗は「……だめ?」と上目遣いでわたしを見た。
「もちろんいいよ」
 ……はっ!
 しまったああ! あまりの可愛さについ反射的に受諾の言葉が口から飛び出してしまった! こわい! 可愛いってこわい!
「本当!? やったあ! 円大好き! ありがとう!!」
「ううう」
 大はしゃぎする麗に抱きつかれながら、わたしって可愛い女子にこんなに弱かったんだなぁと自分の弱点を初めて知る十六の春だった。





「……そういうわけで入部させてください」
 善は急げとばかりに麗に送り出されたわたしは、警察署に出頭する犯罪者のようにがっくりと肩を落としてそう言った。
 あの後化学室に戻るといつの間にか金髪不良もそこにいて、以前と同じように奥の椅子に座って本を読んでいた。どうも本のカバーを裏返してタイトルとかわからないようにしているようだ。あやしい奴だな。やっぱりエロ小説だろうか。
「どうしたの円ちゃん、どういう心境の変化?」
 とお茶を淹れてくれた王子が驚いたように言う。
 ……え、ビーカーでお茶飲むんですか?
「心境ではなく状況の変化です。ところで王治先輩には彼女とかいらっしゃるんですか?」
 ここはもうさっさと麗と王子とくっつけてしまえばいいのだとわたしは結論づけていた。麗の恋心が通じればわたしもこんなスパイみたいなまねごとしなくていいし、麗も幸せだし万々歳だ。友人の恋人が魔王だってとこには仕方がないから目をつむろう。
「いないけど、なに? 僕に興味があるの?」
 王子がにこにこ笑いながら聞いてくる。
「いえ、特にわたしは興味ありません」
 友達と三角関係なんてまっぴらごめんだ。それにわたしの好みは不器用で優しいタイプの男性なのだ。こんな王子面は間違っても好みではない。
「やんごとない事情です。ところで王治先輩、寺井中出身の清水麗華ってご存知ではないですか?」
「清水麗華?」
「そうです。小金丸君の友人の超絶とびきりの美少女です」
「丸の友人? てことは一つした? うーん」
 その小金丸君はたぶん今頃委員会の集まりに顔を出している。彼が入ったのは新聞委員で、どうも新聞委員の新入生は、今月発行の校内新聞にコメントを載せなくてはいけないらしいのだ。そのため他の委員会よりも一足先に集まりがあった。
 ちなみにその他の委員会の集まりは来週らしい。超憂鬱だ。
「ミス寺井中だろ?」
 言ったのは熊だった。
「顔は覚えてねぇけど、そんな名前じゃなかったか?」
 さすが麗! ミス寺井中だったなんて! わたしには無縁な世界だわ!
 てゆうかあの熊の足元に横たわっているのはパシリさんじゃないだろうか。死んでないよね? あ、ぴくりと動いた。生きてる。よかったよかった。彼が先ほど武器にした分厚い漫画雑誌は今、彼のダイイングメッセージを伝える何かのように床に転がっている。
「あ、そうなんだ。僕中学の時はほとんど文化祭とかそういう学校行事出てなかったからなぁ」
 魔王ですもんね。魔王はそんな中学生の行事なんてつまらないですよね。
「お前、俺と違ってグレてたもんなー」
「あはは。玄はそういうの真面目に出てたよね」
 え、超意外。
「いや、そういう行事ん時ってイキがった他校の奴らが何人かでつるんで来たりすんじゃん。そういうのシメるの楽しかったんだよなー」
 はい。なるほど。きらきらした子供のような目で言ってるけど全然ピュアな発言じゃないからね。言っとくけどね王子、この熊が周囲に怯えられるのって絶対顔だけのせいじゃないからね。
「そういえば、安西って中学ん時からそんな髪だったの?」
 王子がそう言って話題を振ると、それまで我関せずを決め込んでいた金髪はやっと顔を上げた。
「ああ?」
 そういえば金髪不良は中学違うんだよね。あの気絶してるパシリさんもかな?
「違ぇよ」
「壮介は姉貴に反発して金髪にしてんだもんなぁ?」 
 にやにやしながら熊が言うと、金髪はぎろりと熊を睨みつけた。
「うるせえよ」
 そう言うと、金髪はもう興味を失ったかのように読書に戻った。あれがエロ小説だったらマジうけるんだけどな。
「安西のお姉さんもこの高校なんだよ」
 金髪と熊のガンのつけ合いによって化学室の空気は少し悪くなったが、王子はそんなこと気付かない様子でわたしに言った。
「しかも生徒会長。入学式の時喋ってたんだけどわかる?」
 残念だけどわたし入学式出てないからな。……って生徒会長だと?
 わたしの頭の中にぽんと思い浮かんだのは、三つ編み眼鏡の颯爽とした上級生。
『はじめまして、私は安西理子。もうすぐ任期は終るけど、一応まだこの高校の生徒会長よ』
 そう名乗った彼女の声がふいにリフレインした。
 あー。なるほど。どこかで見た顔だと思ったのは弟とすでに会ってたからか。うんうん。似てるわ。全体的に不思議と整ったかんじがするところとか。
「あ、あと、そこで気絶してるのが話した須磨君だから。須磨久吉君」
 王子が横たわるパシリさんを指差して言った。
 ええ、ええ。そうだと思っていましたよ。
「それに小金丸で、部員は全員だね。よろしく円ちゃん。マド部を盛り上げていこうね」
 王子はそう言って右手を差し伸べたが、わたしは到底その手を取る気にはなれないのであった。
 うん。わたしの名前を入れた部活なんて速攻つぶしてやるからな!
 楽しみにしてろよ!



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