さて、友人を庇って不良達に捕まるという稀に見る勇敢な行動を起こしたわたしですが、早くも後悔しております。
「逃げた女はまだ見つかってねぇのかよ」
「最近の女子高生は怖ぇなー。護身用にスタンガンなんて持ってるとはね」
「てゆうか誰もお前みてぇなブス襲わねえし! クソ!」
「お前すっげぇ悲鳴上げてたもんな」
「うるせぇ!」
といきりたった馬鹿男スズキが、ガムテープで手首をぐるぐる巻きにされて床に座り込んだわたしの前をうろうろしている。そしてそんなわたしの隣には同じように拘束された麗の弟が横たわっていた。
少年はあの後顔もぼかすか殴られていたので、瞼が切れて口の端は赤くなっている。起き上がろうとしないのは蹴られた腹が痛いのだろう。弟は涙一つ流さず、すべてを諦めたような顔で床を見つめていた。
おいおい。まだここに捕らえられているか弱い女子高生がいるんだから、逃げ出す算段とかつけようぜ少年。
「何とぼけた顔してんだブス」
麗はちゃんと逃げられたかな。警察に通報してくれてたらいいけど。
うーん、でもこういう奴らって仲間がいるから、下手にそういうことしたら後々まで禍根を残すんだよね。学校の前で待ち伏せされたりさ。
「おい、無視してんじゃねぇよブス!」
あー!
それはまずいよ絶対まずい。そういうのって先生方にも印象悪いよね。ただでさえ一回留年してるんだから、次問題起こしたら退学かも……。いやいやわたしは被害者なんだし、そんなことはないか。いやいやいやしかし。
「こっち向けやブス!」
ガッ!
という衝撃が肩にきて、あやうくわたしはそのまま後ろに転倒して頭をぶつけそうになった。
「お前自分の立場わかってんのか!?」
と今私を蹴った馬鹿男スズキが怒りも露わに怒鳴る。
「……」
が、わたしはわざとふいと横を向いて今度かあからさまに無視した。
うん。大丈夫。ちゃんと全部聞いてるよ。
お前がわたしのことを何回ブスって言ったかもきちんと数えてるから安心しろ?
後でただじゃおかねぇからな?
「てめぇ!」
バキ!
その瞬間、目の前に火花が散った。
何が起きたのかわからない。気付いたらわたしは床に身体を投げ出していて、遅れて感じた頬骨のあたりの痛みに、顔を殴られたのだと理解した。視界は完全にぼやけている。おそらく衝撃で眼鏡もどこかにふっとんでしまったのだろう。
「おい、その辺にしとけよスズキ」
「けどよ、このブス!」
「無抵抗の女痛めつけても馬鹿にされるだけだぞ。やめとけって」
「……クソ!」
ズキン、ズキン、と今まで感じたことのないような痛みが脳を刺激する。
頭の奥と目の辺りが熱くなり、わたしは唇を噛んだ。手のひらをぎゅっと握り込む。
泣くわけにはいかない。
彼は。孝重郎は絶対に、こんな場面で泣いたりはしなかった。
ただ信じて待ったはずだ。逃げ出す機会を。相手の隙を。
「……大丈夫っすか」
悪態をつきながらスズキがわたしの側から離れたところで、小さな声がかけられる。
よく見えないけど、たぶん麗の弟だろう。彼は座っているわたしの背中側に顔を向けて横たわっていたので、今のわたしとはなんていうかこう、顔だけ向き合っているような感じになっているのかも。
「……すんません」
まったくだ。そもそも君がこんなところに来たりしなければ麗もここに踏み入れなかったし、わたしもこんな目に合わずに済んだのだ。損害賠償を要求する!
と心の中のわたしは高らかに言ったが、また不良共の神経を逆なでてしまうとアレなので「謝罪ならお姉さんに言いなさい」と真面目な顔で言うのに留めた。
弟が少し沈黙する。
殴られたわたしを見て罪悪感が刺激されたのか、少年は聞いてもいないのに語り始めた。
「……すんません。うち共働きで、誰も俺のことなんて気にしてねぇし……それで、俺」
まぁ待て。
君がどうしてここにいるような連中と遊び始めたかなんて正直わたしにはどうでもいいんだ。懺悔ならお姉さんにしたまえ。美少女な君のお姉さんに。
「おい、何をこそこそ喋ってやがるんだ」
あー、ほら。せっかく少し離れていてくれた不良共がこっちに戻ってきちゃった。
弟の馬鹿!
「おいヒロ、あんまり俺達のこと舐めてんじゃねぇぞ」
と馬鹿男スズキが言う。
「……舐めてないです」
「なんだその目は、ああ? コラ」
「……」
「生意気なんだよてめぇ!」
女を痛めつけることを諌められた馬鹿男スズキが、今度は無抵抗の中学生を痛めつけようとしているようだ。なんだか痛そうな音の後に、少年の苦悶の声が聞こえる。
「……!」
「この脚折ってやろうか? ああ?」
今度は周りの不良共も止めようとはしない。ぼんやりとした視界の中で、どうやら馬鹿男スズキが麗の弟の脚を踏みつけているようだとわたしは判断した。
馬鹿男スズキは馬鹿だからか本当に弟の脚を折ろうとしているようだ。この距離にいても、ミシリという骨の悲鳴が聞こえてくる。
「いい加減にしろよ、馬鹿男」
と気付いたらわたしはそう声に出して言ってしまっていた。
ストップ! 自分! と頭の一部が警告を発するが、もうとっくに箍は外れていたのだ。
「無抵抗な中坊相手にいきがってんじゃねぇよ。その股間にゃちゃんとつくもんついてんのか? ああ? 中坊から舐められたくなけりゃ嫌がる女に言いよるようなクソみてぇな真似してんじゃねぇよ、この低能が!」
「……んな」
馬鹿って咄嗟にこういう罵倒に反応できないのよね。馬鹿だから理解するのに数秒必要なのだ。脳みその容量が小さいって憐れ。
「なんだとこのブス!!」
そして馬鹿男はブチ切れた。
わたしは何らかの衝撃を覚悟したが、ドガン! というその音はわたしの肋骨が折れた音でも頭蓋骨が陥没した音でもなかった。
「円!」
というわたしの名を呼ぶ声がする。
残念ながらその時わたしは戸口に背を向けていたので、それが誰だかわからなかった。
けれど確かに頭に浮かんだ存在はいたのだ。
こういう時、きっと助けにきてくれる人。
わたしの英雄。
ただ一人のヒーロー。
……ん?
あれ、おかしいな?
どうして今一瞬ふっと脳裏に熊が浮かんだんだろう。
訂正訂正。
あれはただの危険な猛獣。デンジャラスアニマル。
わたしのヒーローと一緒にしちゃ駄目。
危ない危ない。
「円、おい! 大丈夫か!?」
「……」
ぐいと肩が引かれ顔を覗き込まれる。さすがにこの距離だとはっきりと相手が見える。
わたしは思わずあからさまに顔をしかめてしまった。
「……どうしてあんたがここにいるの? 舜」
そんなわたしを助けにきたのは、意外きわまりない男だったのだ。