7.「脅される」

 いやいやいやいや、怖い怖い怖い怖い。
 わたしは正直ドン引きした。
 唯一性格良さそうな王子が魔王と聞いた今、ここは魔窟にしか見えない。
「お、きたきた」
 と魔王が言った。
 生贄がですか?
 と聞きたくなるのをぐっと我慢する。
「お疲れ様です」
 と小金丸君が挨拶をした。
 すると魔王が、奥の椅子に腰掛けなにやら本を読んでいる金髪不良に言う。
「安西、改めて紹介するけど彼が小金丸友春。僕達の中学の後輩ね」
「よろしくお願いします、安西先輩」
 小金丸君はにこやかに笑って頭を下げた。しかし安西はちらりと顔を上げてこちらを見ただけで、またすぐ興味がなさそうに読書に戻る。何読んでるのかすごい気になるな。エロ小説か?
「それで、八木原円ちゃん? 呼び出してごめんね。さっき安西に聞いたんだけど君りゅ」
「ちょっと待てええええ!」
 とわたしは慌てて王治の言葉を遮った。
「え!? いきなり言うのそれ!? 小金丸君追い出してからとかいう配慮はないわけ!?」
 わたしの新しいクラスメートの小金丸君にはまだ留年してるってことはバレていないはず! それなら永遠の秘密にしておきたいというのが乙女心だ。
「あ、でも丸も部員の一人だから、部活内で秘密にしておくのは難しいと思うよ?」
「……は?」
 部活? なんの話?
 にこにこ笑う魔王にわたしが困惑して視線をさまよわせると、化学室の黒いテーブルの
上に胡座をかいて座っている熊と目があった。……なんだお前ニヤニヤ笑いやがって。見せ物じゃないぞ。
「この学校では、一つの同好会を作るのに三人、部活を作るのには六人の部員が必要なのを知ってる?」
 へー。
 知らなかった。去年も部活なんか入ってなかったし、そもそも興味なかったし。
「今この化学室は僕達が同好会の部室として去年から使ってるんだけど、一年間新入部員が増えず部活に昇格しないとなると、部室は一度没収されて、また新しい部室を抽選で勝ち取らないといけないんだ」
 ふーん。大変ね。まぁそういうルールでも作らないと、どうでもいいことをやってる同好会がいつまでも部室と称して教室を占領してることになるからだろう。こいつらみたいに。
「ところが僕達は化学室をとても気に入ってる」
 魔王は左手を持ち上げて、三本の指を立ててみせた。なんだ。三本の矢の話でも始める気か? 知ってるので遠慮します。
「現在部員は僕と玄と安西、そして新入部員として僕達と同じクラスの須磨、それに丸が加わる予定なんだけど」
 魔王はそう言いながら、指を全部広げて手のひらをこちらに見せる。
 須磨って今朝の人かな? 熊にそう呼ばれてた気がする。結局同じクラスになっちゃったのか。……深く同情するぜ。
「見てわかる通り、六人には一人足りないんだ」
「部員獲得頑張ってください。わたしにはまったく関係ありませんね」
 わたしはにこにこ笑ったまま言った。
「というか部員が欲しいなら公募したらどうですか? お二人には女子生徒の中にファンだっているようですけど?」
 その女子生徒にわたしは今朝リンチされかけたのだ。
 ううう。恐ろしい。ガクガクブルブル。
 しかし魔王は謙遜一つ挟むことなくしれっと答えた。
「残念だけどだからこそ公募にできないんだ。僕達目当ての女子生徒を新入部員にはしたくない。面倒臭いしね。部室にいる時間は僕達の好きにしたい。だから下手な人間を入れるわけにはいかない」
「……他の男友達に入ってもらったら?」
「残念ながら僕達の友人は皆活発でもれなく運動部か忙しい委員会などに所属してるんだ」
「……帰宅部の人を脅せば?」
「友達を脅すなんてできるわけないじゃないか」
 え? でもあんた達わたしを脅す気なんじゃないの? 今まさに留年してることを秘密にする代わりにってわたしを脅す気なんじゃないの? そういう会話の流れでしょこれ!
「だから留年してることバラされたくなかったら円ちゃんが新入部員になっ」
「っおかしいだろあんたそれー!」
「え? 八木原さん留年してるの?」
「あああああああ小金丸君いいからちょっとそこで待ってて! あんたの口止めは後でするから!」
 そう怒鳴りつけると、わたしはすたすたと歩いていって魔王の、行武王治の胸倉をがしっと掴んだ。そして低い声で言う。
「おかしいでしょ? どうしてそうなるわけ? あれだけわたしが言うなって言ってたのにどうしてあっさりバラしちゃうの? 馬鹿なんじゃないの?」
 もうこうなったらイケメンとか関係ない。こういうのは引いた方の負けだ! いざとなったらこの左腕にぶら下がってる教科書でパンパンの鞄で殴る!
「わたしがそんな脅しに屈するとでも思ってるの? ぜったいごめんよ!」
 まさか黒髪眼鏡女子がここで自分の胸倉掴んできてはむかうとは思っていなかったのだろう、王治は驚いたように目を丸くしていたが、次いでにっこりと微笑んだ。うっ! 無駄に眩しい!
「円ちゃん、もしかして暴力沙汰で留年したの?」
「違う! 単純に出席日数が全然足りなかったのよ!」
「はっ。登校拒否か?」
 熊の方を睨みつけると、熊は先ほどからずっとご機嫌な様子で笑っている。いつの間にか安西壮介も本を読むのをやめていて、にこりとも笑わずにこちらを見ていた。
「……あんた達に関係ない」
 わたしは唸るように言った。
 そうだ。
 どうしてわたしが留年したかなんてこの男達には関係ないし、わたしのこれからのハイスクールライフを邪魔する権利もない。
「そうだね。僕達には関係ない。だからこれは取引だって思ってくれて構わないよ? 僕達はこの化学室を部室として長く使いたいからできれば一年生の中から新入部員が欲しい。でも丸以外の寺井中出身者は僕や玄を怖がってるみたいだし、公募ではなく初対面の新入生に勧誘かけるのは難しい。一方で、円ちゃんは一応一年生だし僕達に君が留年しているということを黙っていて欲しい。取引の条件は揃ってると思わない?」
「……ともかくわたしはあんた達の望み通りなんかにはならない! 一昨日きやがれ!」
 と、血気盛んなわたしはメンチ切って化学室を飛び出した。
 ああああもう、腹立つ!
 いいわよいいわよ。いくらでも言いふらすがいいわ! わたしは絶対脅しなんかに屈しない……! 屈しないんだから馬鹿ー!
 とわたしは半泣きで廊下を走った。すると角を曲がったところで全身に衝撃を受けてひっくり返る。
 バサバサ! カシャン! となんだかいろいろ落ちる音がした。角を曲がってきた誰かにぶつかったのだ。
 もう今日こんなんばっかりだよ……!
 ぶつけた鼻の頭をさすりながら、「しゅ、しゅみましぇん……」とわたしは謝罪を口にした。数度瞬きをして、視界が完全にぼやけていることに気付く。
「め、眼鏡!」
 説明しよう! 眼鏡がなければわたしの世界はもやもや空間に早変わりしてしまうのだ! やばい!
 わたわたしていると、かちゃりという音とこめかみに慣れた感触がして視界が戻った。誰かが眼鏡を拾ってかけてくれたのだ!
「あ、ありがとう」
 ございます! という言葉は空気に消えた。
 なぜならそこにいたのは今朝わたしを無視した眼鏡をかけた優男、樋口舜その人だったからだ。
 舜はわたしと目が合うとすぐ立ち上がって散らばった書類を拾い始めた。廊下に尻餅をついたままのわたしは、それを手伝うこともせずに「な、なんで……」と呻く。
 W(わたしも)A(あいつを)M(無視する)の刑なんて完全に頭から抜けていた。
 落とした書類をすべて拾い終えた舜は、こちらを一瞥することなくその場を去ろうとする。けれどわたしは思わず彼を呼び止めていた。
「舜!」
 すると彼はぴたりと立ち止まった。
 そのことにまた驚く。
 舜はわたしを蛇蝎のごとく嫌っている。その理由を、わたしは嫌というほどわかっていた。だから今朝無視された時も、心の中で悪態をつくと同時にやっぱりと思った。舜がわたしを助けるはずがない。
 なのに。
「あの……」
「円」
 わたしの言葉を遮り、舜は短くわたしの名を呼んだ。
 その見慣れた背中をこちらに向けて、振り向かないままで。
「俺はお前の学校生活を潰す」
 しかしその声は、しっかりとわたしに届いたのだ。
 低く、重く、強い声。
「……お前が幸せになることなんて認めない」
 舜はそう言い捨てると、何事もなかったかのようにすたすたと廊下を歩いて行ってしまった。
 そしてわたしは何も言わずにその背中を見送った。
 俯いて、眼鏡に触れる。
 舜はわたしの目がとても悪いことを知っている。だからそうするつもりなら、視界ゼロ状態で困るわたしを嘲笑して見ていることだってできたのだ。
 けれどそうしなかった。
 そのことの意味を、わたしは気分が悪くなって考えることができなかった。