帝国の王子の父の苦悩


 アルヴェルト=リーン=ティウディメルは困惑していた。
「ヴィシック=イースをどこに隠されたのです、父上」
 まだ四歳になったばかりの息子が流暢な言葉遣いで問いただしてくるからだ。
「あれは僕の女です」
「彼女はものではないよ、イーニアス」
 彼はかろうじてそう諭した。
 金色の髪も甘い顔立ちもあの無邪気な妻に似ているのに、どうして息子がこんなふうに成長したのかアルヴェルトにはまったく理解できない。遊び相手としてあの魔術師をつけたのがいけなかったのだろうか。
 しかしこの帝国の第一王子であるイーニアス=イブ=ティウディメルは、以前からその驚くような才覚を周囲に見せつけていた。
「……イアン。ヴィシックに薬を盛ったそうだね?」
 今回息子を呼びつけたのはアルヴェルトの方だった。
 事情を聞いた時は飛び上がったものだ。あの魔術師にはアルヴェルトでさえ頭が上がらないのに、そんなことをするなんて。
「大人しくさせるためです」
 イーニアスはいけしゃあしゃあと答える。
「……どうして大人しくしてもらわなくてはならなかったのだ」
「僕の部屋に閉じ込めようとしたら、ヴィシックは逃げ出すでしょう?」
 アルヴェルトは頭痛を感じてこめかみに手をやった。
 いやいや、諦めてはいけない。と自分を叱咤する。
 自分は他ならぬこの子の父親なのだから。
「それがわかっていながら、どうしてそんなことをしようとしたんだ」
「正直にあろうとしたからです」
「?」
 アルヴェルトは息子の言っている意味がわからなかった。
「どういう意味だ」
 正直→薬物投与→軟禁という図式が理解できない。
 それとも自分はもしかして馬鹿なのだろうか。
 帝国の王が困惑していると、その息子はまっすぐに父親を見上げてよどみなく答えた。
「僕はヴィシックを他の誰にも渡したくない。けれどあの女が僕を結婚相手として見るにはまだ数年の時間が必要でしょう。だからそれまで閉じ込めておこうと思ったのです。その方が安全だ」
「……」
 アルヴェルトはため息をつきそうになった。
 イーニアスは頭がいい。後継者としてたのもしい限りなのは間違いがなかった。けれど行動があまりに極端なのだ。その言動が目に余るようだったので帝国の魔術師に相談したのだが、失敗だったかもしれない。
 彼女に出会ってからイーニアスは確かに目に見えて落ち着いた。周囲にまき散らしていた不安と呼べるようなものが消えたのだ。けれどまさか、息子が帝国の魔術師にここまで執着するとはどうやって予想できただろう。
「……イアン。ヴィシックは帝国の魔術師だ。お前の妻にはならないよ」
「それは障害ではありません」
 イーニアス=イブ=ティウディメルはよどみなく答える。
 これは呪いだろうか、とアルヴェルトは考えた。
 彼の父アーデルベルトは、偉大な王だった。
 類希なその才覚で帝国を治め、人心をひきつけ、妻子を愛した。けれどその王が、秘密の恋をしていたと知っているのはいったい何人いるだろう。
 アーデルヴェルト=ヴェル=ティウディメルは帝国の魔術師を愛していた。
 気付いたのは偶然だ。
 父王は完璧にその恋心を隠していた。
 その時アルヴェルトはリリアンナに恋をしていたので気付いたのだ。同じ男としてその熱情に。針の穴から一時的に帰国していた帝国の魔術師を最初に目に入れた時の、父王のその双眸の奥の炎に。
 アルヴェルトは衝撃を受けた。
 母ステラに対する裏切りだ、そう思って怒りにかられた。
 だから彼はその死後もずっと父を許せなかったし、帝国の魔術師を憎んでいた。
 その怒りが溶かされたのは、死の床についた母によってだ。
『あなたも知っていたのね。それなのにわたくしには何も言わなかった……。優しい子』
 それはアルヴェルトが即位して間もない時だった。
 彼は皺だらけの母の手を取って泣いた。
『……でもどうか、お父様を許してさしあげて。とても広いお心を持った方だった。たとえ心の片隅に忘れられない誰かを置いていたとしても……わたくしは女として十分に愛されたという自信があるわ。だから……』
 許してあげて、と。
 そして母は、帝国の魔術師に自らを看取ることを許した。
 室内に入ってきたヴィシック=イースを見てアルヴェルトは怒鳴りつけそうになったが我慢した。そうすべきではないとわかっていたからだ。彼女達はまるですべてをわかりあったかのように視線を合わせて、穏やかな言葉を交わした。
 そして、母は逝った。
 たった二年前のことだ。
 今はもう、ヴィシック=イースはアルヴェルトにとってよき相談相手となっている。
 変われば変わるものだ。
 今となっては、なぜ父が帝国の魔術師を忘れられなかったのもなんとなく理解ができた。
 彼女は誠実で、優しい。どんな暗闇にも光を見いだす才能を持っている。
 だからこそ彼女にイーニアスのことを相談したのだと、アルヴェルトは思い出した。
「……ともかく、ヴィシック=イースはしばらく戻ってこない。どこへ行ったかは私も知らない」
「父上」
 そんなはずがないだろうとばかりに身を乗り出す息子に、アルヴェルトは苦笑して教えてあげた。
「だがなイーニアス、お前の言う通りだ。あの方が帝国の魔術師であるということはお前の願望の障害ではない。障害があるとすれば、それはあの方ご自身だ。心してかかれよ。手に入れようとして、簡単に手に入るような女性ではないのだからな」
 あの、威厳ある王でさえ真実彼女をその手にすることはできなかった。
 息子だって一筋縄ではいかないだろう。
 しかしそう言うと、帝国の王子は一瞬年相応の驚いたような顔を見せたが、すぐににこりと笑ってみせた。
「もちろんです父上。僕は手段を選ぶつもりはありませんので」
 まるで獲物を狙う獣のようなその笑顔に、そっと帝国の魔術師に同情した王であった。