会いたい
遇いたい
逢いたい
再びお前を抱けるのならもうなんだっていい。
待っていろ、今行くから。
「桃太郎さん、ぜんっぜん逆方向に行こうとしとったんじゃなぁ」
「うるせっ」
俺は猿に手に持っていた石を投げつけた。
狼男の話によると、かぐやのいる場所は俺が次に行こうとしていた所とは真逆だったらしい。
だからなんだ。
俺がかぐやを愛してる事に変わりはねぇぞ馬鹿野郎。
今日は天気が悪く、深い夜闇の中、厚い雲によって、月は隠されている。
俺達は閑静な住宅街の中の、ある公園にいた。俺はジャングルジムのてっぺんに座り、下僕三匹はそのジャングルジムの下で立ったり座ったりしている。狼男と言えば、人間の姿でジャングルジムから少し離れたベンチで一人座ってやがる。
「......なんだよ」
さっきから俺を睨んでいる狼野郎に、俺は口の端を上げて笑ってやった。
あきらかに嘲笑ととれるそれに、狼野郎は一瞬殺気をたぎらせたが、ふいと顔をそらす事でそれを抑えた。
こいつは、あの夜以来俺達に攻撃をしかけてこない。
けれどあからさまな敵意は向けてきやがる。
理由はわかるさ。
どうせかぐやに懸想してる愚か者だろう?
あれに救われたとか言ったっけ?
女神のように崇めてるわけだ?
は。
馬鹿らし。
ああ。
今日は何て綺麗な夜だ。
俺は空を見上げた。
雲に隠れてなお、月の光は失われない。
夜の闇。
それさえも侵食する月光。
隠夜。
気分がよかった。
「なぁ、昔話をしてやろうか?」
俺の声は夜のしじまに響いた。
狼男だけでなく、三匹の下僕達も俺を見る。
俺は目を細めて笑った。
「俺が、鬼退治に行ってた時のはなしだよ」
昔々。
かぐやがじいさんに拾われて、俺がばあさんに拾われて、十数年経った時。
鬼が出た。
やつらは女王であるかぐやを狙い、現れた。
鬼は女王の恩恵を受けない者達。
奴らはその恩恵を妬み、女王を狙った。
俺は旅に出た。
鬼を退治するために、鬼の巣窟である島へ向かった。
俺のかぐやを守るため。
覚えてるよな?猿、犬、雉よ。
その時俺はお前らに会った。
けれど、あの旅に出なければよかったと。
後悔しない日はなかったんだ。
俺が旅に出て、俺がお前ら三匹に会った頃、かぐやは一人の月の子供に会った。
その子供はかぐやの月の光に魅せられ、かぐやを崇めてかぐやを慕った。
かぐやもその子を可愛がり、子供を側に置き共に遊んだ。
子供の名前は何と言ったか。
まぁ、そんな事は問題じゃない。
ある日、一匹の鬼が現れた。
むかつく事にな、そいつはあまりに幼い鬼で、俺も見逃しちまった鬼だった。
鬼は本能的にかぐやを狙った。光を狙った。
それは新月の晩だった。
月の子供はかぐやを庇って傷を負い、それでも鬼を撃退した。
強い子供だった。
不運だったのは、その子供の『死の条件』が、『月の眷属に傷つけられる』事だったって事だ。
鬼だって月の眷属にはかわりない。
子供は死んだ。
水になった。
かぐやの目の前で。
子供は自らの崇高なる女王陛下を守れた事に満足し、水になった。
覚えてるよな?犬、猿、雉よ。
俺達が帰った時、かぐやは半ば狂ってた。
子供が死んだ場所から離れず、泣いて、罵り声を上げていた。
『お前などが女王であるものか!』
『愚かで無力な醜い女』
『何故あの子供が、お前を守って死なねばならない?』
『お前が......私が死ねばよかったのに......!』
手のつけようがなかった。
ばあさんやじいさんの声も届かなかった。
俺が帰った事にも気付かなかった。
かぐやはまだ幼かったんだ。
一人にすべきじゃなかったんだ。
俺が。
誰よりも長く側にずっといた俺が。
守ってやるべきだった。
俺はかぐやを襲った鬼を憎んだ。
かぐやを守って死んだ月の子供を憎んだ。
かぐやを一人にした自分を憎んだ。
俺を見てくれない、かぐやを憎んだ。
ある。
満月の晩だった。
俺は誓った。
決して俺は死なないと。
お前を置いて、死にはしないと。
ようやく、かぐやの目に、光が戻った。
驚きに眉をよせる狼男がひどく愚かに見える。
この男は、俺のかぐやを崇拝してる。
女神のように思ってる。
万能のように思ってる。
愚かだ。
いやいっそ、殺してしまった方がいいかもしれない。
こんな奴がいるから、かぐやが狂う。
「それからかぐやが今のように笑うまで、三年の時を要した。......いや、今もまだあれはその悲嘆を忘れてなどいない。今もまだきっと、無力だと自分を罵っているだろうさ」
かぐやは月の女王だ。
俺達月の下僕全ての主。
満月の夜の彼女の力は計り知れない。
その気になれば、月をこの地球に落として壊してしまう事だって出来る。
けれど言ってみれば、そんな事しかできないのだ。
彼女は万能ではない。
助けを求められても、救えない時がある。
助けたいのに、救えない時がある。
そんな時、かぐやは自分の無力を嘆いて泣く。
壊れそうなほどに自らを罵る。
何度そんな彼女を見てきただろう。
俺はその度、彼女に救いを求めてきた奴を。
彼女に救いを求めて、救われなかった奴を。
八つ裂きにしてやりたくなったんだ。
「忘れるな、狼男」
俺の声は、この夜のしじまに、ひどく響く。
「かぐやへ救いを求めるな。その身、あれの前で月へ還すな」
崇拝するな。万能だと思うな。
「もしお前がその片鱗でも見せた時、俺は死せないお前の身体を八つ裂きにして、この地面に埋めてやる」
その時、狼男の目に恐怖が見えた。
俺に対する恐怖。
いや、狼男だけではない。
下僕達も、俺を畏怖するような目で見てる。
俺は嘲笑した。
雲が、
晴れて。
月が、
現れる。
満月だ......。
電車で行くより、満月の下本来の姿で夜の街を飛んで行った方が速いのはあきらかだ。
始めこそ狼の先導で行っていた俺だが、しばらくして抜いた。
感じた。
気配を。
かぐやの。
俺は狼と下僕達を引き離して走った。
もともと月の眷属でなかった奴らと俺とでは、そもそも力量が違うのだ。
糸のような、かぐやの気配を辿り。
走る。
一人。
狼から、かぐやの言伝を聞いた。
待っているから。
いつまでも。
約束したのだ。
迷子になったら、そこを離れるなと。
俺が迎えに行くまで待っていろと。
それを彼女は守っている。
かぐや。
かぐや。
俺は鮮明に思い出せる。
初めてお前に会った日を。
ばあさんに拾われ、桃から生まれ、お前に会ったあの時を。
俺もお前も赤子だった。
けれど互いに、名前がわかった。
存在が。
俺は泣いた。
大声で泣いた。
彼女を拾った老夫婦に拾われた幸運に、感謝した。
たどり着いたのは、一軒の喫茶店だった。
『喫茶月桃亭』。
その喫茶店の名前に、俺は思わず泣きそうに顔を歪めた。
感じる。
強く。
この場所から。
最後にかぐやと住んでいたのは、小さな茶屋だった。
後五十年はここで暮らそうと、二人で話していた。
あの茶屋の面影を残したままの建物が目の前にある。
もう、二百年も経ってしまったのに。
それでも建っていられるのはかぐやの力だろうか。
昔は障子の引き戸だった扉のノブを掴んだ。
心臓が高ぶる。
「ただいま」
そう、言った。
カラン カラン
とドアベルの音がした。
彼女は、正面の椅子に座っていて、俺の方を見ると、笑って、「おかえり」と言った。
かぐや。
隠夜。
死にそうに辛かったよ。
この、二百年。
ずっと、会いたかったんだ。