「三とせが程は鴛鴦ゑんわうの衾のしたに比翼の契りをなし、片時みえさせ給はぬさへ、兎やあらむ角やあらむと心をつくし申せしに、今別れなば又いつの世にか逢ひまゐらせ候はむや、二世の縁と申せば、たとひ此の世にてこそ夢幻ゆめまぼろしの契りにて候とも、 必ず來世にては一つはちすの縁と生まれさせおはしませ。」
約束したでしょう?
もう一度会おうって。
忘れたなんて言わせないわ。
月から生まれた者は執念深いの。
知っていて?
あなたが玉手箱を開けてしまったのは、
許してあげるわ。
だってあなたは十分に罰を受けたのだし、
それくらいで幻滅できるほどわたくしの恋は弱くはないからね。
わたくしは乙姫。
竜宮城の主。
あなたを追ってここまで来たわ。
海を出て、陸へ上がって。
さぁ、もう一度契りましょう。
わたくしの浦島。
「あれ? 三浦は?」
教室に彼はいなかった。
「ん? 先に帰ったわよ。そそくさと」
雑誌を回し読みしていたらしいクラスメートの言葉に、私はちょっと目を細めて鼻で息をした。
「ふん。待っててくれてもいいじゃない」
今日は私は地学室の掃除当番だったのだ。
彼は教室。
昨日も一昨日も一緒に帰ったのに、待っててくれるのが礼儀じゃない?
......まぁ、一緒に帰ったって言うより私が強引に付いていったってかんじだけどさ。
「ねぇ、海音(あまね)」
「ん?」
「海音って、別に三浦と付き合ってるわけじゃないんでしょ?」
教室に残っていた女子三人が、好奇心を隠し切れずにこっちを見ていた。
人間の、こういう感覚って本当に理解できない。
他人の色恋沙汰を聞いてなにが楽しいっていうの?
雑誌見て女磨く前に相手見つけろって言うのよ。
けれど学校は小社会だ。
スムーズに生活するには人間関係も円滑にせねばならない。
私はにっこり笑って、彼女達の好奇心を満たすべく口を開いた。
「別に付き合ってるわけじゃないよ。ただ私が好きなだけ」
付き合ってもいないのに好きだと公言するのは学校社会ではあまりない事らしい。
明日にはさっきの私の発言も尾ひれがついて学校中に広まっている事だろう。
ああ。
失敗したかも。
彼の苦虫噛み潰したような顔が目に浮かぶわ。
迷惑だって、言われるだろう。
わかってる。
彼が私に恋をしてないって事くらい。
けれど止まらないわ。
なんと言っても千年越しの恋。
やっと彼が転生を果たした時には、狂喜したものよ。
それから彼の幼馴染の座に収まって、好きだと言い続けたの。
彼は私に恋をしていない。
けれど知ってるわ。
彼は私を嫌いなわけじゃないのよ。
彼は優しくて優柔不断な男だから、
無条件で自分を愛する幼馴染を嫌えないのよ。
彼を捜すのは難しくない。
彼の霊を捜せばいいのだもの。
そして学校から出てほどなくして私は彼を見つけた。
喫茶店『月桃亭』。
こんな喫茶店あったんだ。
カラン カラン
「いらっしゃいませー」
なんかレトロな感じの喫茶店だわ。
従業員は......二人。
カウンターに男が一人と、ホールにはウェイトレス。
どっちも普段着にエプロンをつけただけってかんじ。
なんだろう、この感じ。
この店全体を包む、懐かしく安心できる雰囲気。
彼は奥の席にいた。
一人でコーヒーを飲んでる。
砂糖は二杯、ミルクは一杯入れたコーヒー。
ああ、よかった。
だれか女といたら、しばらく立ち直れない所だったわ。
「三浦っ」
私は彼に駆け寄った。
その時彼は始めて私に気付いたらしい、私を見て驚いた顔をした。
「海音......」
「一人で帰るなんてひどいじゃない。隣いいかしら?」
「別に一緒に帰る約束なんてしてないだろ。......なんだよ、座っていいって言ってないぞ。だいたいなんでここにいるって知ってるんだよ」
強引に隣に座った私に、彼はあからさまに顔をしかめる。
「今までかくれんぼして、私があんたを見つけられなかった事なんてあった?」
「......」
恨みがましい目でこっちを見てくる。
ふふふ。
私は、あなたのその目が好きよ。
目には魂が宿るもの。
かつて私が恋したあなたという男の魂が見える。
だから思わず口元がゆるむ。
「大好きよ」
「......やめろよ」
「あら、どうして?」
「失礼します。ご注文はなんになさいますか?」
私はウェイトレスに笑顔のままアイスティーを頼んで、また彼に向き直った。
「三浦。昔から言ってる事よ。私はあなたのものだもの」
「海音......」
「なあに?言いたい事があるのならはっきり言って、三浦」
『何がおっしゃりたいのです。はっきりおっしゃってください、浦島様』
「海音」
『乙姫』
ああ、既視感。
海の底での出来事。
「お前は俺を好きなんじゃない。家族としての愛情を、恋と勘違いしてるんだ」
『あなたは私に心寄せていて下さるのではありません。ただ陸の男が珍しいのでしょう』
「『違うわ』」
ああ。
泣きたくなる。
悲しいのです。
あなたに信じてもらえない事が。
浦島。
私はあなたに恋してる。
どうして信じてはくれないの?
初めての恋だった。
恋とは何か知らなかった。
けれどわかったの。
最初で最後の、これが恋だと。
なのにあなたは否定する。
何故なの?
それでは何が恋なの?
こんなにもあなたを慕う私の心は、恋でなくてなんなの?
お願い教えて。
私の恋を否定して、あなたは陸へ帰っていった。
今度もまたそうするの?
私を否定して、私を置いてゆくのね。
残酷だわ。
涙が出るほど。
それでも私は、あなたを好きなのだけれども。
ぱあん
店の中に高い音が響いた。
「あんたさぁ、何様のつもり?」
店内の客が皆、驚いたように彼女を見ていた。
私だって、驚いた。
横からにゅっと伸びた白く細い腕が、突然目の前の彼の頬を平手で殴ったんだもの。
いい音がしたわね。
片手にアイスティーをのせたお盆を持った彼女は、彼を叩いた方の手を腰にやって見下すように、頬をおさえて呆然とする彼を見た。
この店のウェイトレス。彼女は十代の、可愛らしい顔立ちをした少女だった。
「勘違いしてる?っは。笑っちゃう。たかだか十年やそこら生きてきただけの坊やが、何わかったような口きいてんのよ。そういう口はね、せめて恋をしてみてから吐くといいわ。好きな男追いかけて陸に上がった、可愛い乙姫のようにね」
今度こそ、涙が出てきた。
まさか?
そんな。
こんな所で会えるなんて。
「......かぐや姉さま?」
私達、月の者達の女王。
麗しきかぐや姫。
かぐや様は、一転して優しい表情で、私に微笑みかけた。
すこし、申し訳なさそうに。
「ごめんね乙姫。あなたの浦島を侮辱したわ。許してちょうだいね」
懐かしき故郷。
月の化身。
ああ、この空気か。
さっき私を包んだのは。
「......わけわかんねぇ。帰る」
彼がぼそりと言って立ち上がった。
頬が赤くなっている。
そりゃあ、彼にはわけがわからない事だろう。
彼は私を押しのけて、かぐや様を横切って、レジに小銭を置いて、黙って喫茶店を出て行った。
カラン カラン
ドアベルが鳴る。
とたん、店内に喧騒が戻った。
まるで何もなかったかのように。
そう、本当に何事もなかったのかのように。あのドアベルの音を境にして。
かぐや様が茶目っ気たっぷりに片目を瞑った。
「この店で出す飲食物にはね、月の光を入れてるの。ちょっとした暗示よ。あなたの浦島も、もうこの店の事さえ覚えていないわ」
「姉さま......」
私は恨みがましい目で目の前のひとを見た。
「ひどいわ。浦島の心を操るなんて」
「そうかしら?」
「そうよ」
「そう?」
「そうだわ。姉さまだって、桃太の心に入られたらきっと、いい思いはしないでしょう?」
かぐや様は優しく微笑んだ。
「そうね。賢い子。行っておいで。そして思い知らせてやるといい。月の女の執念深さを」
「ええ、姉さま」
思い知らせてやります。
彼に。
私が、どれだけあなたを愛しているか。
私は小走りで店を出た。
懐かしい月の気配が遠ざかる。
またもう一度これるだろうか?
月の女王のおわす所。
走って少しもしないうちに、彼の背中が見えてきた。
「三浦!」
紅潮した頬のまま彼を呼ぶ。
彼は振り向いた。
それが嬉しい。
彼は、浦島は陸へ帰る時振り向きはしなかった。
わたくしへの未練などないようだった。
だからこそ、彼が振り向いて、走って来るわたくしを仕方がなさそうに待ってくれるのが
「大好きよ!」
涙が出るほど嬉しいのだわ。
好きです。
あなたを好きです。
愛してくれとは言わないけれど、
どうかこの思いだけは否定しないでください。
海に全てを捨てて。
陸にのぼった私には。
まるで童話の人魚姫のように。
あなたへの恋しかないのです。
どうか絶え間なく好きと言わせてください。