祝言をあげよう。
 突然桃太郎がそう言った。
 本当に突然で、一瞬言われた意味さえ図りかねて眉をひそめた私に、彼はにやりと笑って見せた。
 呼ぶぞ。全員。この国中からな。

マイ ディア ダーリン


「まさか本当に呼ぶとは思わなかったわ……」
 私は呆れた様子を隠す事もなく言った。酒呑童子、一寸法師、雪女のお雪や海の下に住んでいたはずの乙姫さえもそこにいたのだ。そりゃ驚くってものよ。
 場所はかつて朱雀門のあった場所。平安京の端。名のない鬼の住む所。彼だけは生まれた場所を離れる事ができないからと、桃太郎は祝言の場所をそこに決めた。
 時刻は丑三つ時だった。空の月はまだ満月でなく、辺りは薄暗い。私は月の光をより集め、この場所を照らすようにした。その光の中で、何十もの月の眷属達が酒を酌み交わしている。中には人の姿をやめその本性を現している者もいた。私の隣に立つ桃太郎は眩しそうに目を細めて笑った。
「便利だなぁ、お前」
 私を明り取りみたいに言うのなんてあなただけよ桃太郎。だって私は女王だもの。月の、王。ここに侍った眷属たちの主。
「この度はおめでとうございます」
 私の前に跪いたのは酒呑童子だった。私は女王らしく微笑んだ。
「ありがとう酒呑。わざわざ足を運んでもらって感謝します」
「もったいないお言葉……」
 酒呑は真面目な子だった。人間の女を攫ってはもてあそんでいるようだが、私に会った時はこんな風にきちんと挨拶をしてくれる、根はまっすぐないい子なのだ。ただちょっと、寂しいだけで。
 ここにいる皆が、月の産んだ子供達だ。
 彼らは私の子供のようなものだった。可愛い可愛い私の子供達。この星に生まれ落ちてから、各々に顔を見せる事はあってもこんな風に一同が会する事などなかった。だから少しどきどきした。
「お姉様っ!」
 突然後ろから抱きつかれて、私は前に転びそうになった。するとそれを横から伸びた腕が助けてくれた。桃太郎だ。
「乙ー。てめ危ねぇだろうが」
 桃太郎は顔をしかめ、私にしがみついた可愛らしい女を嗜めた。竜宮城の乙姫。
「なによ。いつもお姉様を独り占めしてるあんたと違って私はなかなかお姉様には会えないんだからね」
 乙姫はそう言うと、ぱっと私の背中から離れて私の正面に回り込んできた。海の下では魚達の主人らしく振舞っているようだけれど、この子は私の前ではほんの小さな女の子のようだ。
「お姉様。きっと考え直した方がよろしいわ。祝言なんてあげたら、桃太郎がもっとつけあがるに決まっているもの」
 乙姫はきゅっと私の手を握り、真摯な目で訴えた。あまりに真面目な様子のその表情に、私は思わず笑みをもらした。
「そうかしら?」
「ええ、そうに決まってますとも」
「そうね」
「かぐや!」
 焦ったような桃太郎の声に、私はふふふと笑った。
「冗談よ」
「まぁ、お姉様」
 乙姫は大げさなくらいに悲しそうな顔をした。
「乙の言葉は聞いてくださらなくて?」
「かわいい乙姫。そんな顔をしないで。私は十分幸せなのだから」
 そう。
 幸せだ。
 私は。
「ねぇ?」
 傍らに立つ桃太郎を見上げて私は言った。桃太郎はやはり口の端をあげてにやりと笑っただけだった。





 私と桃太郎を拾って育ててくださったおじいさまとおばあさまが亡くなってから、私たちは旅を始めた。時には年月と共に姿を変えるようにして一所に留まった。
 先日私達が後にした村にも、三十年間暮らしていた。私達の住んでいた家は村からは少しはずれたあばら家で、畑から採れる野菜を時には町の方に売りに行ったりして生活していた。本当は私達は食べものを食べなくても生きていけるのだけれども、人間になりきるのは楽しかったし、人間達と接するのは嬉しかった。
 多くの友人がいた。私達が村を訪れた頃からの友人はもう結婚していて、多くの子達には子供がいた。彼らは私達に子供ができないのを優しく気遣ってくれていた。
 いい村だったと思う。
 穏やかで、まるで月の光を浴びているような暖かな日々。
 満月だった。
 満月の日は月の光が強すぎて、私も桃太郎も本性を現さずにはおれなかった。それまではいつも満月の日は町に野菜を売りに行くと言って森に篭っていた。家にいては友人達が訪れてくる恐れがあったからだ。けれどその日はそうはいかなかった。
 村の子供が、迷子になったのだ。
 遊びに行くと言っていなくなった。
 神隠しだと騒がれた。
 私と桃太郎は森に捜しに行った。
 木のくぼみの中で泣きつかれて眠る子供を見つけた私達は、子供を抱いて村に戻った。
 忘れられない。子供の母の、あの、目。
 私達はどこか、彼らなら、この私達の本性を見ても受け入れてくれるのではないかと思っていたのだ。でなければ、あんな風に無防備に彼らの前に姿を現すべきではなかった。
 子供の母は、私達の前で泣き崩れた。彼女もまた友人だった。桃太郎と私の仲のよさをいつもひやかしては快活に笑った女だった。
 彼女は、まるで彼らの言う神様を前にしたかのように額を土に擦り付けて請うた。
 どうかわたしらの子供を返してください。どうかどうか。
 さらってゆかないでください。
 私達は子供を返した。
 その日の月は泣いているようだった。私の心に同調しているようだった。
 私達は逃げるように村を出た。
 畏怖。
 それの宿る目で見られる前にと、急いで村を後にした。
 いつもの事だ。
 私達は人ではないのだから。
 彼らの生活に混じりきる事などできない。
 それでも私はちょっぴり悲しかった。
 今回は違うと思っていた。
 だからちょっぴり悲しかったのだ。
 祝言をあげようと桃太郎が言った。
 皆を呼ぼうと桃太郎が言った。
 彼が、どうにかして私を元気付けようとしてくれているのがわかったので、私は嬉しくて笑った。
 そうだ。
 私にはこの子達がいる。
 誰よりも私を愛してくれる、可愛い子達。
 月の霊処。





 お雪から手の甲に祝福の口付けを受けた後、一寸法師がやってきた。生まれた時は今の私の指ほどしかなかった彼が、いつの間にか大きく成長し、そして傍らに人間の女性を連れていたので驚いた。彼が人間の女を連れ歩いているのは知っていたが、会ったのは初めてだった。
「あなたが……?」
 変装のためか黒髪をざっくばらんに切り落とし、決して外見的に美しいとは言えない女だった。目は大きすぎるし肌は浅黒かった。かつて姫と呼ばれてかしずかれていたはずの女は、まるで農民の女のようにたくましく見えた。
 彼女はしかし気品の見える様子で足を折った。
「お初にお目もじ仕ります、月の陛下。このような身で御身の前に姿をさらした事をどうかお許しください」
「ちょっとちょっと。猫っかぶりも度が過ぎるよ? お姫様」
 彼女の隣にいた法師が大きな口をあけて笑った。
 すると彼女は片眉を上げてぎろりと法師を睨みつけた。
「お黙りなさいな。仮にもあなたの主人という方でしょう? 妻として当然の礼節です」
 妻。
 そうか。彼女は妻なのだ。
 法師の妻なのだ。
 不思議な感じだった。
 これまで、月の者が人間に恋をする事はあってもその恋が実るのは珍しいと言えたから。人間と私達は根本が違う。私達の強い思いに耐え切れる人間は多くないのだ。
「どうぞお見知りおきを、月の陛下」
 彼女は言った。
 私は、自然と顔がほころぶのを感じた。
「......ええ。法師の姫君。ええ」
 嬉しい。
 法師が笑っている。
 彼女が自らを妻と称して、それを聞いて法師はとても幸せそうに笑っている。
 それが嬉しい。
「ありがとう、姫君」
 私は笑った。嬉しくて嬉しくて、涙が出そうで、あふれ出す感情のままに顔をほころばせた。
 私の感情に呼応して月の光が強くなる。
 目の前にいる彼女が息を呑んだのがわかった。法師でさえも、言葉を失ったような顔で私を見る。周りにいた何十もの月の者達が私を振り向いて、どこか泣きそうな顔をした。懐かしい故郷を見るような、神聖な何かを見るような。
 すると、私の視界はふわりと何かに遮られた。それが桃太郎の持っていた身にまとうための麻布だと気付いたのは、彼に後ろから抱きしめられたからだ。
「そんな顔を俺以外の奴に見せんなよかぐや」
「私、変な顔をしていたかしら?」
「馬鹿だね、お前」
 彼はふわりと笑った。
「お前の前ではあの空の月も色褪せるよ。夜をも隠す俺の姫君」
 彼は呼ぶ。
 隠夜姫と、私をそう呼ぶ。
 彼だけは。
 誰よりも私の心を知る彼にだけは、呼んで欲しくない呼び名がある。
 女王と。
 まるで従うように、どうかこの名を呼ばないでいて。
 あなただけは。
 どうか私にかしずかないで。
 ずっとずっと。
 ただあなただけが、私の横に立ってくれる。
 そして私を思ってくれる。
「ありがとう、桃太郎」
 私は目を瞑った。
 大丈夫だ。
 私は大丈夫だ。
 だって人間にも、私達を愛してくれる人がいる。私の子達は嬉しそうに笑ってる。
 だから大丈夫だ。
 それを私に教えてくれる、あなたがいるから。
「大好きよ」
「ああ。知ってるよ」
 笑った。





 マイ ディア ダーリン。
 泣きたいくらいに大切なあなた。
 あなたがいるから私は女王であれる。
 どうかそれを忘れないでね。
 いつか月に還る日まで。