ポエム

「いと高き枝のいただきに
 赤く実りし林檎よ、
 小枝の高きの甘き林檎よ、
 摘むひとの摘み忘れたるや、
 忘れたるにあらず、
 なにびとの手にも届かざるため
 今なお枝に残れるのみ」

 彼女は歌うように言った。
「何それ」
 彼が聞く。
「詩。 『林檎』 。バーイサッフォー」
「誰?」
「詩人」
「あっそ」
 興味をなくしたように手元の本に視線を戻した彼に、しかし彼女は身を乗り出した。
「素敵じゃない? 高嶺の花って事よ。誰もが気にしてるのに、決して手は届かないの。格好いいわ。月と一緒ね。cry for the moon。知ってる? 月が欲しいと泣く子供。手に入らないものを欲しいって言う事。駄目よ。相手はあまりにも高みにいるわ。見てるしかないのにね」
「そう?」
「そうよ」
「そうかな」
 なおも食い下がる彼を無視して、彼女は続ける。
「あたし、この 『なにびとの手にも届かざるため』 てとこ好きよ。高潔で、傲慢なかんじ。この『摘むひと』てのは畏怖さえもきっと感じてるわ。この 『林檎』 を、自分とは違う世界にあるもののように感じてる。この詩の中には二つの世界があるわね。 『摘むひと』 の生きる世界と、 『林檎』 のある世界と。二つには大きな隔たりがあるのよ」
「ほおって置かれて林檎は寂しくないのかな?」
「秀でたものは孤独なものよ」
 そうつんと顎を上げた彼女に思わず笑みを漏らして、彼はその手元の詩を読んだ。
「ばらの花を盗もうとして 指にとげをさしてしまった
 血がふきこぼれた 吸っても 吸っても 血はまた傷のところへ帰ってきてふきこぼれてしまう
 その血が白いはなびらをぬらしても 花びらはそれをはじいて染まらない。
 美しいひとが通ると ばらの花とほほえみあって通りすぎる そのひとは 花を盗もうとしない
 とげがこわいのだろうか しおれてしまうのが心配なのだろうか。
 わたしはやっぱり盗む
 傷から血がみんなこぼれでてしまっても。
 傷口からふきこぼれなくても わたしのなかでいつかは色あせてしまう血ならば。
 わたしが盗まなくても だあれも手折らなくても いつかは枯れてしまう花ならば」
「なにそれ」
 きょとんとして彼女は言った。
「詩。 『花とわたし』 。バーイ木村信子」
「ふうん」
「俺、 『花びらはそれをはじいて染まらない』 てとこ好き。高潔で、傲慢なかんじ?」
 さきほどの彼女の言い回しをまねて彼は言った。
「そう?」
「そうだよ。この花は孤独じゃない。 『美しいひと』 と微笑みあったりしてるし。友達もいるんだね。そのうえでとげがある。ちゃんと自分を守ってる。それでも自分に近寄ろうとする奴がいても、決してそいつに媚びたりなびいたりしない。かっこいいと思わない?」
 彼女はふんと顔を横にやった。
「無粋よ。花を手折る奴なんて」
「見てるだけよりずっとましだよ」
「何が言いたいの?」
「見てるだけで何が変わる? 『林檎』 は今もまだ残ってる。何にも変わりはしないよ。 『林檎』 だってつまらないだろうさ」
「 『花』 を摘んだ人は血にまみれた上に、 『花』 だって枯れてしまう。いい事なんてないじゃない」
 彼はそっと本を閉じた。
 机の上に頬杖をついて彼女を見る。
「それでも側に置きたいと思うんだよ。怖気づいて手に入れるのをあきらめられる 『林檎』 より、血にまみれても手に入れたいと思える 『花』 の方がずっと魅力的だと言えないか? 始めから隔絶した世界にいて他を拒むより、同じ世界にいてそれでも染まらない方が格好よくないか?」
「わけわかんない」
「そう?」
「そうよ。あんた何が言いたいわけ?」
「まぁつまり俺にとってお前は 『花』 だってこと」
 にっこり、彼は笑った。
「お前の棘にいくら血を流しても盗んでみせるよ。高潔で傲慢な、お前という女をね」
「ばっかじゃないの」
 知ってるよ、と彼は言って席を立った。