剣を抜き構えよこれは戦いである 1

 ジーリスはあまり後宮から出ない。そのため公国内では近寄りがたい存在として人々に敬遠されがちな彼女ではあるが、国の外、つまりかつて戦場女神としての彼女と行動を共にした国では彼女のファンが多かった。
 それは、彼女の魅力というものが戦場でこそ明らかになるものであったからである。そして戦場で彼女の魅力に参った男たちと言えば、剣を持ち戦場で戦った男たちであった。




「剣術大会ですか?」
 帝王陛下の執務室に呼ばれたシェンロは、主人のまた突飛な提案に眉をひそめた。
 今日も今日とて麗しき帝王陛下は、普段御璽を振り回し机にたまった書類の採決をとるその手を組み、書類がまだ数十枚残っている机に頬杖をついてニッコリと笑っておっしゃった。
「そうだ。春の花祭りはずいぶんと前に終わったし、秋の収穫祭もずいぶんと先だ。民には娯楽も必要だろうし、何よりたるんだ兵士の気合入れにもなる。各国から多くの猛者が集まり、我が帝都も賑わうだろう。経済効果も抜群だ」
 ザーティスの言葉はまったくの正論であったがしかし、長年彼の側近くに仕えてきたシェンロには、彼の言葉をそのまま受け取れるだけの素直さが欠けていた。いや、ザーティスの相手を二十年以上してきてその言葉を素直に受け取れという方が酷なのだろう。とりあえずシェンロは、陛下のその帝国の君主としては申し分ない申し出にこう答えたのだった。
「何をお考えでしょうか?」
「お前のそういう所が私は大好きだよ」
 笑顔のままザーティスはそう言った。
 うれしくないシェンロだった。
「大会というものには賞品がいるだろう? そして剣術といえば我らが戦場女神だ」
「まさか……」
 ある予感がシェンロの脳裏をよぎった。
 かつて戦場を走った戦場女神という呼び名を持つ軍師を知らない者は、この帝国内にはいないだろう。彼女の剣技は舞うように優美で美しく、その髪の色ともあいまって月のようだとも評されたものである。そしてその戦場女神が、現在のリグリア帝妃、つまりこの目の前の帝王陛下の細君である事を知らない者もいないと言っていい。
 まさか、いくら陛下であろうともそんな事はなさらないだろう。非常識だ。そう自分を騙そうとするが、彼の帝王陛下が日ごろから全く非常識であらせられるのは疑うべくもない。
「我が妻を賞品とした剣術大会を開くのだ」
 シェンロはきりきりと痛む胃に顔をしかめた。




 当然帝妃殿下はお怒りだった。
「あんた何考えてんの? 馬鹿じゃないの? アホじゃないの? 脳みそからっぽなんじゃないの?」
「失敬な」
「失敬なのはどっちよこの馬鹿帝王」
 人間を賞品と表現する方が失敬であるのは当然の判断だろう。
 その時ジーリスは、大公が所有する後宮にある大公妃テシィリアのサロンで午後のお茶を楽しんでいる所だった。彼女とテシィリアの座るテーブルには、心地よい香りを漂わせる紅茶とビスケットが置いてある。母と楽しく談話をしていた所に夫がやってきて、言った台詞が 「お前を賞品にして剣術大会を開く事にした」 ではどんな温厚な女性でも怒りを覚えるだろう。
「お前一人の身体で国庫が潤い民が活気付くんだ。安いものではないか」
「まぁ、ザーティス」
 さすがにテシィリアが嗜めた。
 今日の大公妃はその銀の髪を結い上げていて、年相応な落ち着きが見える。
「ジーリスよりも国庫が大事だと言うつもり?」
 そんな事は許さなくてよ、とでも言うように、テシィリアはテーブルを挟んで向かいに立つ息子を軽くにらみつけた。ジーリスの傍らに立ったザーティスは、テシィリアに目を移すとにっこりと笑った。
「まさかそんな事は言いませんよ母上。ジーリスは私にとって、この世界よりもはるかに重要な女性。まして国庫などとは比べるべくもありません」
 帝王としてはマイナスな発言だが、テシィリアの心は満足させる事ができたようだ。彼女は鷹揚に微笑むと頷いた。
「そうでしょうとも。そうでなくてはならないわ」
「……そうであってはならないと思うのですけれど、お母様」
 どうやらこの場で一番帝国の事を考えているのはこの帝妃殿下のようだった。
 テシィリアは驚いたように目を見開いた。
「あら、ザーティスは帝王である前にお前の夫なのよ、ジーリス」
 深窓の令嬢とも言えるテシィリアは、政治にはとんと疎い。そしていつもジーリスに女の幸せとは何かを説いている。
 彼女が言うに、女の幸せとは夫に愛され夫を愛し幸せな家庭を築く事にあるらしいのだが、どうもジーリスはそれに全面賛成することはできなかった。帝王という責任ある地位にある以上、ザーティスはそれなりの責任感を感じるべきだと彼女は思うのだ。
 このようにちょっと執務を抜け出して妻に会いに来たり、国家単位の行事を軽々しく決めるのは好ましくないと、彼女はいつも夫を嗜めている。シェンロにしてみれば、ジーリスはこの帝国の良心とも言えただろう。
「そしてザーティスは私の夫である前に何百万という人の頂点でもあるんですよ、お母様。ですから王とは民の見本になるべきなんです。ザーティス。人を物のように扱うのはやめなさいと私はいつも言ってるはずよね」
 後半を隣の夫を冷たく見上げて言ったジーリスに、ザーティスはまるで心外だとでも言うように肩をすくめた。
「お前だからこそだよジーリス。お前が表に現れるからこそ民は活気付く。各地方から人が集まる。お前という人格を、俺は信頼している。多くの人間を集めるに足る人間だとね。だからお前を選んだのだ」
 本心から言っているのがわかるような真摯な双眸であった。
 しかしそれに流されないのがジーリスであった。彼女は鼻をならして夫を突き放した。
「馬鹿言ってないで仕事に戻れば? どうせ議会が許すわけないんだから」
 リグリア帝国は、帝王をたて帝国と名をうっているが、実際の所独裁ではない。かつて王国であった国々の国王による議会があり、帝王一人では国の政策を決定できないような造りになっているのだ。だからザーティスの突飛な思いつきが全て採用されるというわけでもない。
 しかし全てが却下されるというわけでもないのだ。
 ジーリスの言葉に、ザーティスは待ってましたとばかりの笑顔を見せた。
「ところがとっくに爺達の了解は取り付けてあるのだよ」
 そして彼が懐から取り出した書類。それにジーリスは目をむいた。
 剣術大会と大きく書かれた字に、その詳しい内容日時、会場設営などの文面。そして最期には議会と帝王の捺印。完璧な書類だ。思わずそれを奪い取ってまじまじと確認し、ジーリスは低く呻いた。
「ザーティス」
 ジーリスの手から書類を受け取り文面に目を通すと、テシィリアはあらまぁ、と声を上げた。
「大変ね、ジーリス」
 今ひとつ緊張感の足りない大公妃の発言であった。




 その後、ジーリスはこのような馬鹿げた遊びは即刻やめるべきだと議会にかけあったのだが、既にザーティスの手が回っていたのか取り合ってもらえなかった。シェンロを呼び出して問い詰めても 「すいませんすいません」 と謝るばかりで、そうこうしているうちに、その日はやってきてしまった。
 参加者には年齢制限があるものの、国籍性別の制限がないので、全国から多くの挑戦者がやってきた。もともと好戦的な所のある西大陸の人間である。各国で行われる剣術大会の類を渡り歩いている者などもいて、帝都では、いよいよ本格的な剣術大会の様相を呈してきていた。会場は城下町の広場に即席で建設された。真ん中に円型の舞台があり、それを囲むように観客席がある。二万人ほどを収容できるその観客席は、三十パーセントが帝国の貴族、後の七十パーセントが一般に開放されたものとなった。チケットは即日で売り切れ、巷では値段がどんどん跳ね上がっているらしい。各方面からやってきた人々で大通りの商店はにぎわい、宿屋はどこも満室状態となった。
 国庫を潤させ、民に活気を与えるという目的はどうやら果たされているようである。
「さて、後は私の個人的な楽しみだな」
 観客席の中でも屋根のついた特等席に座って肘掛に肘を付き、ザーティスは言った。
「……やはり個人的楽しみではないですか」
 ザーティスの隣で警護の任についているシェンロがうんざりしたようにこめかみを押さえる。
「当たり前だ。自分が楽しくなくて政治ができるか」
「楽しくなくてもやってくださらないと困ります」
 シェンロのその言葉に、ザーティスはまるで楽しい冗談を聞いたように笑った。
「それはそうだろう。私は王だからな」
「自覚があるのなら結構です。安心しましたよ……と、おはようございます、ジーリス様」
 その時、支度を終えた帝王妃殿下が、帝王の横に対になるように作られた席の前に現れた。
 彼女は銀の髪が映える濃い青のドレスを身に纏い、顔はヴェールで覆い隠していた。気品のある様子で裾をさばき流れるような動作で椅子に座る。ザーティスは、そんな妻を見て片眉をあげた。
「支度に時間がかかったな」
「こんなものよ」
 ヴェールの向こうから彼女が答える。
 このような公式の場では、高貴な女性がヴェールをかぶるのは礼儀である。ただそれは形骸化されたものであって、最近では結婚式などの場でしか守られていない作法だ。
 ザーティスは嗤った。
「茶番だな」
 帝王妃殿下はなにも言わなかった。
 さて、今後リグリア帝国では欠かせない年中行事となる、西大陸剣術大会第一回の、幕開けである。