太陽と月があればとりあえず世界は輝いて見える 3

 ジーリスがサリィスに伝えた作戦はこうだった。
「真正面から行くわ」
 それを聞いてサリィスは顔をしかめる。
「正気か? ジーリス。向こうは我が軍の二倍はあるのだぞ。私達に援軍はない」
「ええそうね。けれど私達の軍を増やす事ができないのなら、向こうの軍を減らせばよいじゃない?」
 まるで自明の理のように彼女は話す。
「簡単な事よ」
「しかしどうやって……」
「サリィス」
 困惑を隠しきれない王に、彼女は自信たっぷりに言い放った。
「私達の武器は最大限に利用すべきなのよ」




「サヒャン王国は強弓で有名だったな」
 鎧を身体に装備しながらザーティスは言った。
「はい、殿下。なんでもざっと四リロは飛ばす事ができるとか」
 答えたのはやはりシェンロである。
 彼は元傭兵なので独自の広い情報網を持っており、各国の事情によく通じていた。ザーティスが彼を重宝している理由はそんなところにもあった。
「なるほど」
 がちり。
 装備は最後に胸当てを装着して終わりだ。ザーティスは自分で鎧をつけていた。王侯貴族の人間にしては珍しい事だと言える。彼もかつては身の回りの世話は従者にやらせていたのだが、彼の妻が自分の事は自分でやるタイプだったので、それにならっているのだそうだ。
 今では結構自分ひとりでも大丈夫になってきている。
「シェンロ」
「はい」
 彼は従順に答えた。
「あれからどれくらい経った?」
「一年です、殿下」
 シェンロは即答した。考えるまでもない質問だったからだ。
 ああ、そうだ。
 一年が経つ。
 この日を指折り数えて待っていたのは、彼の主人だけではない。シェンロ自身もまた、夢に見るまでこの日を切望していた。
「そうだ一年だ」
 ザーティスは繰り返して言った。
 この時の彼の目を見たシェンロは、もう引き返せないのだと確信した。
 ザーティスがこの、一年という時間を耐えただけでも、それは賞賛に値する事だ。もちろん耐えたといっても周囲に甚大なる被害を与えてはいたが、少なくとも死者だけはださなかった。その事実だけとっても、彼は 「耐えた」 のだと言えるだろう。
 シェンロはこらえきれず、そっと目頭をおさえた。
「城の者も喜びます。皆、今日の日をずっと待っていた」
「……」
 ザーティスは何も答えなかった。
 ただ、剣呑な光を眼に浮かべて笑った。




 ジーリスは鎧を着けなかった。彼女の防具は胸と胴を守る楔帷子だけだ。武器も二振りの剣のみ。馬にさえ防具をつけないので、馬上の人となった彼女はまるでどこかの山賊のようにも見えた。彼女のこの格好は、軍隊の顔となる指揮官としては、もちろんいただけない。指揮官に必要なのはまずはったりだ。剛健な印象を敵にうえつけ、少しでも怯ませられれば上等という所だろう。まぁ、二十そこそこの女性を指揮官とした時点で、そんなはったり効果は誰も期待していないだろうが。
 初め、サリィスは彼女のその格好に顔をしかめた。これでは殺してくれと言っているようなものだ。腕っ節に覚えのある男なら、華奢な彼女の腕くらいは掴んでひねりちぎってしまえそうだった。けれど最初の戦場で、サリィスはその認識を改めた。
 どの戦闘でも、ジーリスは怪我一つ負う事はなかった。
 彼女は指揮官だ。けれど自ら戦場に飛び込む。指揮官は本来後方に下がり、遠くから戦局を見据えて指示を出すものだ。そんな常識から考えても、彼女の指揮官ぶりは実に型破りなものだと言える。けれどこれこそが、彼女の素早い状況判断を可能にしていた。
 戦場には空気がある。
 戦場の只中にいる者こそが、その空気の乱れに逸早く気付く。相手の策略を理解する。もちろん空気の乱れに気付いてから相手の策略に結びつける余裕など本来戦闘中にあるはずがない。けれどその点で、ジーリスの頭の回転の速さは天才的だった。
 『戦場女神』 は、風のようだった。
 彼女の周りをいつも風が取り巻いている。
 その風が剣の切っ先から彼女を守り、彼女自身を疾風のように見せる。
 誰もが見惚れた。
 見せ掛けだけの鎧など必要ない。
 彼女という存在がそこにあるだけで誰もが確信する。
 自分達は今女神を前にしている。
 『戦場女神』 を、前にしているのだと。
「行くわよ」
 旗が掲げられた。
 片翼の鷹。サヒャン王国の紋章だ。
 ジーリスの号令で、軍隊が前進する。ざっざと、規則正しい音をたてて丘を越える。雨は二日降っていなかったが、まだ空気は湿っぽい。そういう気候なのだろう。太陽が中天にくれば、じめじめとした暑さがやってくるのだ。
 同盟軍の手前まで来た時、彼女の合図でサヒャン国軍は進軍を止めた。ここまで来ると、その戦力差は一見してあきらかだ。けれどサヒャン軍の兵士の誰も、その顔に絶望の色を見せなかった。
 サリィス王が馬を進めようとした。けれどそれをジーリスが制した。
「ごめん。今回だけは私に行かせて」
 彼女がそう言うのは今回が初めてだったので、王は驚いて軽く目を見開いた。しかしすぐに一歩下がって彼女に譲った。
 そしてジーリスだけが馬を進める。同じようにザーティスも、同盟軍の中から中央に進み出た。
 両軍が息を呑んで見守る中、二人は相対した。
 相手の声だけが届く距離。
 ジーリスは口の端を上げて笑った。
 ザーティスは目を細めて微笑んだ。
「元気そうで残念だわ、冷血男」
「久しぶりの第一声がそれか? 馬鹿女」
 ぴしり、と二人の間の空気が凍りついた。
「せいぜい小石に転ばないように気をつけることね性格破壊公太子」
「そっちこそ馬から落ちて怪我なんかしないようにな猪突猛進女」
 笑顔のままの二人の会話は幸いなことに兵士達には聞こえなかったが、シェンロには何となくその会話内容が察せられてこめかみを抑えた。
 この二人は会うといつもこれだった。
 それで二人とも、本当に楽しんでいるようなのだから理解ができない。
「これが最後ね」
「これが最後だ」
 二人は言った。にやりと口の端を上げて笑いながら。   
 それが合図。
 二人が同時にその剣を上げた。

「「我が軍に勝利を!!」」

 戦いが始まった。