太陽と月の生まれたところ

 昔々、ある王さまとお妃さまの間に、一人の女の子が生まれました。
 その子はお妃さまと同じ銀色の髪と王さまと同じ利発そうなお顔をしたかわいらしい赤ん坊でした。王さまとお妃さまは大層お喜びになり小さな王女さまにキスをしました。
 しかしその日の夜の事です。
 お妃さまの夢に、一人の青年が現れました。
 彼は人間ではないようでした。見た目には人間と全く同じように見えましたが、お妃さまには彼が人間でない事がすぐにわかりました。そして、その青年の腕の中にもまた、人間でない赤ん坊がいました。その赤ん坊は金色の髪をした、とても綺麗な赤ん坊でした。
 青年は言いました。
 お前の赤ん坊と、この赤ん坊を交換しよう。




 いなくなった時は泣いた。
 何度も何度も泣いて、もう二度と戻らないのだと思い切った。思い切らなくては、金色の髪をした赤ん坊を育てられなかった。
 再会した時にすぐわかった。
 赤ん坊の頃のあの子しか知らないのに。
 二十年の月日が経っているのに。
 すぐにわかったのだ。
 そしてなるほどと思った。
 金色の髪をした赤ん坊は二十年の月日の中でもうすでに彼女の中では可愛い可愛い息子になっていて、けれど本当の所人間ではないこの息子が、人間の社会の中で幸せに生きていけるのかが心配だった。本当に笑う事ができるのかが心配だった。そうして心配になるたびに、心の隅で、かつていなくなった銀色の髪をした娘を思い出した。あの子もこんな風に心を閉ざしているのだろうか。同属のいない世界の中で、深い孤独を感じてしまっているのだろうか。
 息子が結婚相手を連れてくると言った時は耳を疑った。
 息子の正妻候補は既にいて、息子はずっとそれについては何も言わなかったのに、突然その正妻候補の誰とも結婚しないと言い出した。そして連れてくると言った娘の素性を聞いても、彼は会えばわかるとしか答えなかった。
 彼は正しかった。
 会って、全てがわかったのだ。
 どうして息子が彼女を選んだか。
 どうして彼女が息子を選んだか。
 どうして会えばわかると言ったのか。
 そしてかつて失った可愛い娘が、どんな風に成長したのか。
 再会のその時、ジーリスは言った。
 ……はじめまして。
 まっすぐに、こちらを見据えた。
 それで彼女の気性が知れた。
 公王も公妃も、涙を浮かべてジーリスに駆け寄るなんて事はしなかった。そんな事をすれば、目の前のこの娘に軽蔑されるという事がわかったからだ。取るに足らない存在だと思われてしまう事がわかったからだ。
 あの子のあの一言で、その真意を読み取れないような、愚かな人間だと思われたくなかった。だから我慢した。そして公王も公妃も、ただ優しく笑顔を浮かべて答えたのだ。
 君がジーリスか。
 公王が王としての威厳と恋人の父としての優しさでもって言った。
 綺麗な銀色の髪ね。きっと北の出身なのでしょうね。
 公妃が王の妃としての気品と恋人の母としての気遣いをもって言った。
 それを受け入れて彼女は笑った。
 ええそうです。両陛下。




「今日あなたは一日私のものよ、ジーリス」
 公妃テシィリア=クア=ジーティスがおっしゃった。
 場所は後宮の北。公王と公妃の寝室などがある区画で、その中でも庭に面して作られた公妃テシィリアの私室である。
 赤い革張りの豪奢な椅子に足を組んで座られた姑さまのご命令に、ジーリスはただ 「はぁ」 としか答えられなかった。部屋着には見えないような、レースがふんだんに使われたドレスを身に着けた公国の母は、にっこりと微笑んだまま続けた。
「何故だかわかる? それはね、今日はわたくしが産まれた日で、そのお祝いとして、ザーティスにジーリス一日独り占め権をもらったからよ。だからねジーリス、あなたは何も遠慮する事はないのよ。心置きなくわたくしと遊んでちょうだいね」
 テシィリアは、もともと貴族の出である。若い頃はその珍しい銀髪と華やかな容貌で社交界を賑わせる深層のご令嬢だった。生まれた時から”お嬢様”であった彼女は、もてはやされる事にも命令する事にも慣れていた。
「……えーと、公妃様」
「ああもう、何度言ったらわかるのかしら? 二人の時くらい、 『お母さま』 と呼んでちょうだい。特別に、間に義理をつけて 『お義母さま』 でもいいのよ。だって音は同じですものね。さして変わらないでしょう?」
 傲慢な目の前の女性の言い草に、ジーリスはため息を押し殺して丁寧に言い直した。
「……お義母様」
「なあに? ジーリス」
 テシィリアはにっこりと嬉しそうに笑った。
 小さな子供のように可愛らしいその様子は、とても五十に近い女性にものには見えない。実際テシィリアは年齢を感じさせない女性だった。白く艶やかな肌はジーリスと比べても劣らないし、引き締まった肢体は年齢によるたるみなど見られない。美しいというよりも可愛らしいといった方がしっくりとくる彼女の雰囲気は、どうやら年齢には関係なく、彼女の本質であるらしかった。
 それは、ジーリスにはまったく無縁の性質である。
 客観的に見ても、ジーリスはいたって平凡な容姿をしていたし、可愛らしいと表現される雰囲気も皆無と言えた。吟遊詩人が彼女を謳うとしたら、それは彼女の清廉さや戦場で戦っている時の威厳やカリスマ性であって、たおやかだとか可愛いだとか、そういう次元のものではないのだ。
 しかし、いやだからこそ、ジーリスは可愛いものや綺麗なものが好きだった。
 だから実の所、目の前の、戦場などに出たらすぐ殺されてしまうかすぐ卒倒でもしてしまいそうなか弱いご婦人を、彼女は嫌いではなかったのだ。
「まず、そうやって人を物か何かのように言うのをやめてください」
 ザーティスがあんなにも周囲の人間に対して無頓着なのは、この母親にも問題があるとジーリスは思っていた。
「あら、何の事?」
 しかも自覚がないからたちが悪いのだ。ジーリスは、辛抱強く言った。
「今日一日、私があなたの何ですって?」
「あらあら」
 テシィリアは自分の失言に気付いたようだった。
「そうね。訂正するわ。今日一日、あなたは私の可愛い天使よ、ジーリス。さぁ何をして遊びましょうか?」
 にっこりと笑ったテシィリアの方が天使のように見えるからジーリスは困る。
「遊ぶと言っても私には陣取りゲームしかできませんよ」
「まぁ。陛下みたいな事を言うのね」
 ころころとテシィリアは笑った。
「それならいつものようにおしゃべりをしましょうか。ジーリス、この間の続きを聞かせて頂戴。森でのあなたの話」
「二年前からその話ばかりですよ。そんなに楽しいですか?」
 テシィリアと二人でおしゃべりとする時、彼女はいつも、森でのジーリスの生活の事を聞きたがった。精霊。剣術の稽古や、どんなものを食べていたか。
「楽しくないなんてことがあって? 私も是非、あなたの風の精霊に会ってみたいわ」
「会ってどうなさるおつもりですか?」
「あら、それは秘密よ。さぁ話してちょうだい。そうだ。ねぇ、あなたに恋慕する精霊はいなかったの?」
 無邪気なこの質問に、ジーリスは笑って答えた。
「恋慕? まさか」
 ジーリスは、精霊に遊ばれた覚えこそあれ、恋愛といわれる感情を向けられた覚えなどなかった。そもそも精霊にそんな感情があるのかどうかさえ疑問である。彼らにも執着はあるようだが、それは人間のいう恋とは違う。精霊が執着する時は、それがないと本当にだめな時だ。それを失ってしまえば自分が消えてしまうような、そんな存在にだけ、彼らは執着を示す。そして多くの場合は、彼らはその執着の対象を、ただ見守っている。決して失わないように。どこかへ行ってしまわないように。手に入れたいとは思わない。ただそこに在るだけで、それはいいのだ。
「ザーティスは、ひどく人間臭いんですよ、お義母様。普通精霊はあんな風に怒ったりなんだりとしないんです。彼らはただ流れを見て、そしてその流れを全て受け入れます。たまにその流れに手をつっこんでかき回すくらいの悪戯はしますけれど、けっして流れをせき止めようとか変えようとかしないんです」
 けれどひどく人間臭いあの男は、戦争に介入したり武力行使してみたりと流れに自らちょっかいだしまくりである。精霊には見えない。実際、あの男は、彼女が慣れ親しんだ精霊たちとは持つ雰囲気が全く違うのだ。
 だからジーリスは、森を出た。
 ザーティスをより人間に近い存在だと思ったから、彼を森に引き入れずに、自分が森を出たのだ。
「それなら、ジーリスが好きだった精霊はいなかったの?」
 興味津々でテシィリアが身を乗り出してくる。
「残念ながら」
 ジーリスは困ったように笑った。
「物心ついた頃から精霊たちに追いつくために色々な事をやりましたから、そんな余裕はなかったんですよ」




 いなくなった時は泣いた。
 泣いて泣いて、けれど忘れようと頑張って、なんとか記憶の隅に押しやって、けれど再会をして。
 再会した娘はとても強い娘になっていた。
 恋人の父と母を前にしても怯む事なく、目と声だけでその意志を伝えた。
 彼女はザカリアとテシィリアに、娘と呼んでほしくなかった。それは他でもない、ザーティスがいたからだ。自分が娘と呼ばれる事で、ザーティスから両親を奪いたくなかった。そうして彼を傷つけたくなかった。だから彼女は公王と公妃をひたと見据えて、はっきりと、はじめましてと口にしたのだ。
 お前達の子供はザーティスだろうと、そう思い出させたのだ。
 長年ザーティスの母親をやってきたテシィリアに言わせてもらえば、自分がジーリスを娘と扱う事であの息子が傷つくとは到底思えなかった。そんな殊勝な性格ではない。あの子は、そこまで自分とザカリアに対して、人間臭く・・・・ない。
 ザーティスが一番人間らしく見えるのは、ジーリスといる時なのだ。流れをせき止めようとか能動的な行動を起こすのは、ジーリスがからんでいる時だけだ。
 それがひどく可愛いとテシィリアは思う。
 ジーリスと再会してから、テシィリアは今までで一番幸せだった。
 息子の人間らしい一面を見られるし、生き別れになった娘は優しくて可愛いいい子だし、いい話し相手になってくれるし。ああもう文句なんてないわと思っていた。
 けれど一年と少し前、ジーリスが後宮を出て行ってから。戦場女神なんていう名前を聞くようになってから、テシィリアは、小さなジーリスを攫って行った、彼女の風の精霊・・・・・・・とやらを、殴ってやりたくて仕方なかった。
 だって、二十五の立派な女性なのだ。
 なのに、知っている遊びは陣取りゲーム、得意なのは兵法ではひどすぎる。一番大事な思春期に恋をする暇さえなかったなんて、ありえないではないか。
 ガッデム! と彼女は思う。
 もし自分がずっとこの子を育ててあげられたなら、女の子の幸せがどんなものか、教えてあげられたのに。どきどきするような恋と駆け引き。どの武器が使いやすいかよりも、どのお菓子が美味しいかの方が重要ではないか。
 テシィリアは決めていた。
 中々ジーリスを放さない息子からもぎ取った今日という貴重な一日を、有意義に使わない手はない。
 今日という日こそ可愛い天使のようなこの娘に、女性の幸せがどんなものか、教えてあげなくてはいけないのだ。守る事よりも守られる事。そっちの方が何倍にも幸せに違いないのに。
 テシィリアはにっこりと娘に笑いかけた。
 たとえこの子が娘と呼ばれる事を厭おうが、そんな事は関係ない。誰がなんと言おうとこの子は私の娘なのだ。可愛い可愛い一人娘なのだ。
「いい事? ジーリス」
 今日という日はまだ長い。
「今夜は帰さなくてよ」




「しかしお前、よくもまぁそんな願いを聞いたな」
 ザーティスの執務室である。わざわざ御自ら書類を持っていらっしゃった公王陛下は、どかりとその場にあった椅子に腰掛け、仕事をサボっていらっしゃった。そして頬杖をつき、怪訝そうな様子を隠そうともせずに息子の真意を問うた。
 だっていくら相手が母親だとしても、何の見返りもなく、その妻を誕生日プレゼント代わりに丸一日差し出すなどという殊勝な真似を、この息子がするとは思えなかったのだ。
 するとザーティスは書類を捲っていた手を止め、ニコリと笑って答えた。
「母上のお相手を丸一日もさせられれば、ジーリスも私のありがたみがわかるというものでしょう?」
「……」
 なるほど。
 深く納得したザカリアだった。