24「軌跡」

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「リース」
 自分が生命を繋いだのだ、という感覚が不思議だった。
 精霊という異質の中で生きてきたせいか、自らが子供を生み育てることができるのだという意識が希薄だったからだ。それに愛した男はそもそも人間ではない男だったので、自分はそういったこととは無縁なのだと漠然と思っていた。
「おかあさま!」
 中央にまっすぐ植わっている白いシスの花が咲き乱れる城の中庭で、三つになったばかりの子供達が戯れている。手を振る娘に答えてやりながら、ジーリスは中庭の隅にある長椅子に腰掛けていた。
 ティレアリアはお転婆だが弟のタリアスは慎重だ。
 分け隔てなく育てているつもりなのに、面白いものだと彼女は思った。
 あるいは子供というのは生まれた時から性格が決まっているのかもしれない。考えてみればティレアリアは赤ん坊の頃からどんなものにも興味を示したし、タリアスは寝返りをうつ時さえも周囲の状況を気にしているふうだった。そんな二人を見て、あのザーティスでさえ「不思議なものだな」とこぼしたのだ。
 あの時の赤ん坊も、いつの間にか自分の足で歩きものを喋るようになった。日々ジーリスに驚きを届けてくれる子供達は、今白い花の中で二人頭をつきあわせて何かをしている。
 彼らは、間違いなくジーリスにとって一番の宝物だった。
 世界にこんなにも大切なものができるのだということを、彼女は二人を手にして初めて知ったのだ。
 かつてずっとあの暗い道を走っていたのが嘘のようだ。たった一つの光だった彼は、ジーリスをこの太陽の下に連れてきてくれた。
 例えようもなく幸福だとたまに思う。かつてティティアトによって取り替えられ、精霊の森で暮らした日々を懐かしく思い出す。
 あのすべてが、今この時のためにあったのだ。
 世界中でたった一人のような気持ちになっていた時に彼に出会った。自分と同じ取り替え子。人間の中で育った精霊の子供。
 彼女の歩いた道はすべて、彼に繋がっていた。
 ザーティス=イブ=ジーティス。
 この帝国の王。
 その時頬に振ってきた優しい口付けを、ジーリスは嫌がらなかった。けれどいつも苦労をしているシェンロのために眉を上げて睨みつけてやる。
「また抜け出してきたのね?」
「ちょっとした休憩だ」
 彼女の夫はしれっとした顔で言うと、ジーリスの後ろに立ったままその頬を撫でた。視線は中庭の子供達の方へ向けられる。
 その双眸に、慈愛と呼べるものが宿っていることをジーリスは知っていた。
 子供達が父に気付いて「おとうさまだ!」と腕を振る。ザーティスは軽く手を上げてそれに答えた。
「何をやっているんだ?」
「さぁ?」
 答えながら、ジーリスは笑う。
 世界は変わったのだ。
 決定的に。
 かつてした約束が叶えられることはないのだともうわかっている。
 一人にしないでと願った。
 あなたが先に死ぬのならその前に私を殺してと。
 けれどジーリスはもうそれを望まない。ザーティスだって、そうだろう。
 子供達がいるからだ。
 彼らを残して死ぬなんてどうしてできる?
 ジーリスは自らの頬に触れる夫の手に、自分のそれを重ねた。他人の見ている前でなければ、ある程度の触れ合いは嫌いではないのだ。
「かあさま!」
 するとタリアスが声をあげてよたよたとこちらに歩いてきた。両手で何かを捧げ持っている。ティーレが弟を抜いて駆けてきて、ジーリスの膝に飛びついた。
「おとうさま、おしごとは?」
 父に近付いて最初に放った娘の一言に、ジーリスは笑う。これはきっと自分の真似なのだろう。
「休憩中だ」
 とザーティスは短く答えた。もうすでに頬に触れていた手は放している。彼は長椅子を回ってくると、ティーレに手を伸ばして抱き上げた。その間にようやくターラがたどり着いた。
「かあさま、おくりものです」
 見れば、ターラの小さな手のひらは白い花びらで一杯になっていた。
 幼い息子はとびきりの顔で笑う。
「ねえさまとえらんだのです」
「きれいなのばかりよ!」
 とザーティスに抱き上げられて嬉しそうなティーレが続けた。
「ありがとうターラ、ティーレ。とても綺麗。嬉しいわ」
 ジーリスはそう言うと、自分の両手を差し出して息子からの贈り物を受け取った。しかしすでに、息子の興味が別の方を向いているのだとわかって苦笑する。
「だめよ、ターラ。おとうさまのてはひとつしかないの」
 なかなか遊んでくれない父親に抱き上げられている姉が羨ましいのだろう。ザーティスの首にかじりついているティーレを、幼い息子は恨めしげに見上げている。
 ザーティスは少し考えるような顔をしたが、すぐに指をひょいと動かした。
 するとどこからともなく炎が巻き上がり、タリアスの周囲で小さな人の形を取って踊りだした。
 人ならざる父の技を見て、子供達が歓声を上げる。
「わあ!」
「おとうさま、おろして!」
 近くで見たいとティレアリアが騒ぎだし、ザーティスは娘を降ろしてやった。
 炎の人形は少し前に見た旅芸人のように華麗な踊りを見せている。
 ジーリスは呆れた。
「器用なことができるのね?」
「お前がいない時はたまにこれであやしてたからな」
 なるほど。だから子供達もこわがる様子がないのだろう。
 片手でポケットからハンカチを取り出し、その上にもらった花びらを移す。せっかくだから枯れてしまうまで部屋に飾っておくつもりだった。こういった子供の贈り物は日々増えている。
 ザーティスはジーリスの隣に腰掛けた。
 本当は。
 こういった時間を愛しているのはザーティスの方なのだ。
 誰も信じてはくれないけれど。平和と穏やかな時間を愛し、ただ安らかに日々を暮らしたいと思っているのはジーリスよりもむしろザーティスの方だった。
 ジーリスは腰を少し横にずらした。離れた妻を不愉快そうにみた夫に、膝を指し示して首を傾げてみせる。
 今日は特別だ。息子からの贈り物に気分もいい。夫の創り出した炎の人形も可愛らしかった。
 ザーティスは少し驚いたように眉を上げたが、すぐ足を肘掛けの上に乗せると頭をジーリスの膝に投げ出して横になった。
「あー! おとうさまずるい!」
 するとティレアリアが声を上げた。それに驚いたように炎の人形達が掻き消える。タリアスが残念そうな顔をしてこちらを見てきた。
 しかしザーティスはもはや我関せずとばかりに目を瞑っていた。
 ジーリスは笑って子供達を優しく諭す。
「二人には後でお母様が絵本を読んであげるわ。だから今はお父様にお膝を貸してさしあげて?」
 そう言うと、子供達は聞き分けよく頷いた。そして今度は互いに顔を見合わせ「しー」と人差し指を口に当てると、こっそりとまたシスの木の下に戻って行った。ザーティスは寝ているのだから、静かにしなくてはいけないと思ったのだろう。
 くすくす、とジーリスは笑った。
 そしてティティアト、と心の中で想う。
 あなたはこの子達を見ているかしら?
「……他の男のことを考えているな?」
 そう問われてジーリスは驚いた。ザーティスはいつの間にか目を開けていて、鋭く妻を睨んでいる。
「どうしてわかるの?」
「わかるさ」
「こわい男ね」
「夫を膝に乗せて他の男のことを考える女の方がこわい」
「……」
 一理ある、と思ってジーリスは肩をすくめた。身体をかがめて夫の額に啄むようなキスを落とす。
「諦めてね。そういう女なのよ」
「もうとっくに諦めてる。残念ながらな」
 帝国の王が物憂げにため息をついたので、ジーリスはたまらず声を上げて笑ったのだった。



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