25「慰め」

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 魔女は何百年でも生きる。
 その魔力が尽きるまで、ずっとずっと生き続ける。
 けれど中には人に恋をして、人と同じ寿命で死を迎えた魔女もいるのだと師匠は教えてくれた。
『だからお前はさっさとどこかの娘と恋に落ちた方がいいわ』
 と師匠はそっけなく言った。
『長い時は精神を膿ませる。孤独の闇を払うのは簡単じゃないの』
 けれどそう言った魔女の双眸は、優しく穏やかな色を湛えていたのだ。




「紗吏のどこが気に入らないの? 瓏」
 呆れたようにそう言ったのは王菜だ。
「かわいい子じゃない。性格だっていいし、頭もいいわ。あなたにはもったいないくらいの子なのよ」
 それはいつも三国の王族が集まる離宮の、中庭に面した一室だった。
 寝椅子に横になりうたた寝をしていた彼は、顔に被せていた読みかけの本をずらし幼なじみの女性を見上げて呻いた。
「……お前には関係ねぇだろ?」
 西の国の王弟の娘である王菜は、今や他方から縁談が舞い込むような魅力的な女性に成長した。東の国の王妃に憧れているためか、その口調も顔つきも性格さえも厳しいのに、彼女を妻にしたいという男がいるということ自体瓏には不思議でたまらなかった。
 妻にするのならまだ彼女の双子の妹の方がましだと思うのだが、その妹久袮は二年前に旅芸人の妻となり王宮を出ている。
「あるわよ。紗吏はあたしが紹介した子なのよ。きちんと納得できるように説明なさい」
 王菜は目を吊り上げて仁王立ちし、瓏を見下ろしている。
 彼はうんざりとした。
 紗吏嬢は確かに王菜の紹介で会った伯爵家の令嬢だった。可愛らしいし理知的で、賢者の国と呼ばれる南の国に嫁入りするのに申し分ない女性だ。
 けれどどうにも彼は、彼女を女性として愛する気分にはならなかった。
 友人としてならいいだろう。頭のいい人間との会話は楽しい。手紙のやりとりだってしよう。けれどたとえば父が日頃母にしているように、腰に腕を回して抱き寄せたりそっと頬に口付けをしたりしたいとは、到底思えないのだ。残念ながら。
「あのねぇ、あなた、いったいどういう女性ならいいわけ?」
「俺にもわからん」
 むくりと起き上がると、瓏は本を脇によけ息を吐いた。
「……なぁ、俺は異常か?」
 そう言って、真面目な顔で王菜を見上げる。
 すると彼女は困ったように眉根を寄せた。
「わからないわ。それが魔女の性質なのかもしれないけれど……、瓏、この際幼女でも熟女でも男でもなんでもいいから、誰かを好きになりなさい。あたしは嫌よ。あなたがあたしも亜令も誰もいない世界でたった一人何百年も生きるなんて」
 いつもは傲慢で自分勝手なことばかり言う彼女の気遣うような台詞に、瓏は笑った。
「幼女でも熟女でも男でも?」
「そうね、いっそ人間じゃなくてもいいわ。寄り添えるような存在を見つけなさい」
「お前にとっての亜令のような?」
 瓏がからかうようにそう言うと、とたん王菜は不愉快そうに眉根を寄せた。
 亜令が王菜を好きなのは昔からだ。引っ込み思案な年下の幼なじみの控えめな求愛を、けれど王菜は気付かないふりをしている。
「亜令はいい王様になるだろうな」
「あたしは西の国の女王にならなくちゃいけないの」
 去年、王位継承権を持っていた西の国の王子がその継承権を失った。放棄したのだ。剣の道を極めたいからと国を出た。
「お前の継承権はまだ三位だろう?」
「失礼ながら王女殿下は頭が空っぽよ。お父様は国王なんかに向いていない。現時点で王座に一番ふさわしいのはあたしだわ。明らかにね」
「王伊様はお前に重荷を背負わせるくらいなら王になるさ」
「重荷? 馬鹿にしないで。あたしは国を治めるということに興味がないわけじゃないのよ」
 そう言って、王菜はにっこりと美しく微笑んだ。
「亜令も大変だな……」
 瓏は心から東の国の王子に同情した。
「あたしのことより今はあなたのことよ、瓏。恋をなさいよ。葫様だっておっしゃっていたのでしょう?」
 瓏はこれまで恋というものをしたことがなかった。一度もだ。聞けば父もそうだったという。
 それが母に会った瞬間、すべてが変わったのだ。
 瓏は頬杖をついた。
「しようと思ってできるなら苦労はしねぇよ」
 このまま瓏が誰にも心を奪われることなく生きるなら、きっと葫のように若いままで姿を止めて長い時間を過ごすのだろう。
 師匠である魔女や両親はもちろん、王菜達もそれを憂えているが、瓏はそれでもいいような気がしていた。
 たとえ何十年何百年を生きたとしても、いずれ彼は出会うだろう。
 孤独に堕ちて膿んだ精神を救う光に。
 父が母に出会ったように。
 葫が彼女を愛する者達に出会ったように。
 それはまるで奇跡のようだ。
「瓏?」
「……まぁ、そのうち出会うよ」
 瓏は言って再び寝椅子に横になった。今度は本を腹に置いて、ゆったりと目を瞑る。
「瓏!」
 もう王菜の怒鳴り声に目を開けることはしなかった。やがて彼女は呆れたような言葉を残して部屋を出て行く。
「……ごめんな」
 と瓏は小さく言った。
 いつか彼だけの奇跡が、孤独に膿んだこの心を慰めてくれる日を数百年間待ち続けるのも悪くない。
 そう彼は思ったのだった。



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