6「手袋」

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「何やってるの?」
 夫がきちんと仕事をしているかどうか確認するため執務室を覗いた帝妃ジーリスは、今まで見たことのないその光景に自分の目を疑った。
「手袋を編んでいる」
 帝王ザーティスは視線を手元から離さないまま答える。
 なるほど、確かに彼は今両手に編み棒を持って机の上に転がっている毛糸の塊をころころと転がしながら手の平大の何かを制作しているように見えた。
 けれど彼女は念のためにもう一度聞いた。
「……何やってるの?」
 するとザーティスは顔を上げて妻を見た。怪訝そうに眉間に皺を寄せている。
「耳が聞こえなくなったのか? 手袋を編んでいると言っただろう」
「お仕事はどうされましたの? 帝王陛下」
「午前中の分はほとんど終わっている」
 ザーティスは無能ではない。それどころか驚くほど有能なのだ。彼が常にその気であるのなら、書類が山と溜まって文官を泣かせたりシェンロの胃を痛くしたりすることはないはずだった。
 ジーリスは部屋に足を踏み入れた。
 通常執務室に控えているはずの文官がいないということは、本当にやるべき仕事は終えているのだろう。いつもこうならいいのに、とため息をつく。
「手袋ですって?」
 彼女は言いながら夫に歩み寄った。
 なるほど、近くに寄って見てみると、夫が編んでいるそれには指らしきものが確認できる。色は淡い緑だ。ジーリスが二番目に好きな色だった。
「どうして手袋なの?」
「これからまた寒くなるだろう」
「子供達に?」
「お前にだ」
 ジーリスは目を丸くする。
「あなたが? 私に、手作りの手袋?」
 仮にもこの偉大なる帝国の王たる男が、だ。
「誰に教わったの?」
「町で一つ買ってこさせて編み目を見た」
 つまり、独学なのだ。それも何か本を読んだわけではなく、実物の編み目だけを見て編み方を理解したのだろう。
 ジーリスは呆れた。
「あなたの才能って本当に無駄だわ」
「この上なく活用している」
 確かにこの広大なる帝国の王という仕事は、彼の才能を無駄なく活用するもっとも適した場所かもしれない。
「どうしてそんなことをしようと思ったの?」
 仕事も終えているというのなら、ザーティスが編み物をしていても文句を言うべきではないだろう。それも自分のために編んでくれているというのだ。彼女は微笑んで聞いた。
「呪いの手袋だ」
 笑顔が凍った。
「自分の髪の毛を編み込んだ手袋を想い人に身につけさせると自分以外目に入らなくなるという噂を聞いた。おかげで頭部の一部分が禿げそうだが、まぁお前の自由を奪うためなら仕方がない」
「今すぐやめて!」
 ジーリスは悲鳴のように叫び、奪うようにして夫の手から編み棒と編みかけの手袋を没収した。そこからひらりと光に透ける金色の髪が落ちたのを見て、青ざめると大声で娘を呼んだ。
「ティーレ! ティレアリア! 今すぐこれを燃やして!!」
「ひどいな」
「ひどいのはあんたよ! 禿げたら離婚するから!!」
「わかったやめる」
 ザーティスはすぐに答えた。
 そして騒ぎを聞きつけてやってきたシェンロに、
「育毛剤を百年分買ってこい」
 と命じて
「陛下の御髪は十分ふさふさでございます」
 と一蹴されたのだった。



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