姫君達の茶話会

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「あんたは幸せの赤い糸の話を知ってるの?」
「何を頭の沸いた小娘のようなことを言っているの?」
 珀蓮は怪訝そうな顔で恋人を見た。鳥代はがっくりと肩を落とす。
「そうだろうね。そうだろうと思ったよ……。じゃああんたは今俺達が持ってるこの紐をなんだと解釈してるんだい?」
「持てって言われたから持ってるだけよ」
「いいかい? 珀蓮。こういう赤い糸……まあこれは紐だけど、これでこういうふうに小指と小指を結ばれた男女が」
 そう言いながら、突然鳥代が自分の小指に手に持っていた赤い紐を結びつけようとするので、珀蓮は抗議の声を上げた。
「ちょっと何するのよ」
「いいからいいから。ほら。こういうふうに赤い糸で小指と小指を結ばれた男女が運命の恋人だっていう話があるんだよ」
「運命の恋人?」
「そう。だからほら。あんたと俺は運命の恋人」
「今あなたが結んだのでしょう?」
 北の国の王女は心から馬鹿にしたように言った。鳥代は苦笑する。
「嬉しい! って頬を染めてみせれくれたらいいのに」
「馬鹿馬鹿しい。こんなもので運命を決められてたまるものですか」
「まぁ。あんたならそう言うと思ったけどね」
「でもこれは便利ね」
 珀蓮はにっこりと笑った。
「鳥代。わたくしがこの紐を二回引っ張ったらわたくしが十数えるまでに馳せ参じなさい」
「それは俺達がいったいどれくらい離れていることを想定していっているんだ? ああ。わかった。この紐が届く距離には必ずいろってことか。まったくあんたの愛情表現はわかりにくい。離れてほしくないならそう言ってくれればいつでも側にいるのに」
「誰も抱きしめろとは言っていないわ」
 鳥代は機嫌がよさそうに笑っている。
「残念だな。あんたが顔を赤くして照れてみせたら有無を言わさず接吻でもしてるんだけど」
 珀蓮はふんと鼻を鳴らして身じろぎをした。そして少しだけ背伸びをする。甘い香りが東の王子の鼻腔をくすぐった。
「……」
 鳥代は絶句すると、珀蓮の腰にまわしていた左手を自分の頬に当てた。
 今自分の左頬に与えられた小鳥が啄むような感触が、なんだったのかを理解して顔を赤くする。
「あんた……」
 白雪姫は微笑んだ。
「わたくし喉が乾いてよ。早苗の淹れた香草茶が飲みたいわ」
「……卑怯だ」
「さぁ早くいってらっしゃい。ああ、この紐を取っては駄目よ? いい呼び鈴の代わりになるものね」
 そう言って、北の王女は自分の小指に結ばれた赤い紐に口付ける。
 それだけで顔が熱くなって目の前の女性の言うことを本当になんでも聞いてしまいそうになる自分が、些か情けなくなった東の王子であった。


「あ、あの、広兼様……。そろそろ降ろしていただけませんでしょうか?」
「どうして? あなたは羽根のように軽い」
 抱き上げた早苗を、触れるほどに近くで広兼が見つめて笑うと、彼女の顔がみるみる赤くなっていく。困惑した様子で青い目が伏せられた。
「……あの、恥ずかしいので、そんなに見ないでいただけませんか……?」
 広兼はたまらなかった。
 いつもはおっとりとしていて他人の世話ばかり焼いている彼女だが、こういった場合にはひどく素直で可愛らしい反応を見せてくれるのだ。
「どうして? 俺は一生でもあなたを見ていたい」
「ううう。広兼様。心臓が破裂してしまいそうなのでどうか……」
「あなたはいつまでたってもこういうことに慣れないな」
 広兼は笑うと、早苗を降ろしてあげた。
 自分の足が地に着くと、彼女はほっとして笑顔を漏らす。
「ありがとうございます、広兼様」
「あなたの心臓が破裂してしまうと困るからな」
「もし心臓が破裂して死んだらお掃除が大変そうですね」
「そういう問題じゃねぇな。早苗。あなたが死んだら俺は絶望して何をするかわからないと言ってるんだよ」
「まぁ……」
 早苗は困ったように首を傾げる。まだ頬は少し赤い。
「でも広兼様。私は広兼様より先に死なない約束はできません」
「わかってるよ。俺だってそんな不確実な約束をする気はねぇ。今日が無事でも、明日はどうなるかわからない。それが世の常ってもんだ」
 でも、と広兼は続けた。
「でもだからこそ、今やろうと思うことを躊躇っては駄目だ。ところで早苗、あなたに接吻をしてもいいか?」
「……まぁ」
 ようやく赤みが引いていた早苗の頬が、また林檎のように赤くなった。広兼は思わず肩を震わせて笑う。
「どうにもあなたは可愛らしすぎる」
「広兼様は私をからかっていらっしゃるのですか?」
 灰かぶりは珍しく少し怒ったように唇を尖らせた。
「まさか。俺はあなたにはいつだって本心だ」
 広兼は青いドレスに身を包んだ恋人を引き寄せる。女性嫌いな南の王子は、しかし女性扱いに慣れていないわけではないのだ。
「俺の嘘を見抜けないようなあなたではないだろう?」
 言うと、早苗は困ったように笑った。
「嘘だとわかっていても騙されてしまいそうだわ」
「俺はあなたの嘘も信じている」
 囁きながら、彼らは請うように唇を寄せた。しかしその時、コンコンと扉が叩かれた。
「早苗嬢。珀蓮が早苗嬢の香草茶を飲みたいと言っているのだが淹れてやってはもらえないだろうか?」
 扉の向こうから破魔の王子の無粋な声がする。
 広兼は肩を落とすと、早苗の髪に軽く口付けてから彼女にしか見せない笑顔を作って言った。
「ちょっとあの変態馬鹿王子を再起不能にしてくるからここで待っていてくれ」
「ええと、あの、広兼様。香草茶くらい別に……」
「いいから。ここにいてくれ」
 そして恋人を残して扉を開けた広兼は、目の前に立っていた東の王子の胸ぐらを乱暴に掴むと同時に扉を閉めた。
「お前煮るぞ」
 南の王子のその声は、まるで地底の底から這い出てきた魔物のように恐ろしかったという。


「僕一生こうしててもいい」
「……妾は嫌じゃ」
 自分を後ろから抱きしめている西の王子に、新祢は少しうんざりしたように言った。
「風呂はどうするのじゃ」
「一緒に入ればいいでしょ」
「食事は」
「僕が食べさせてあげるよ」
「自分で食べられるわ!」
「あ、でもこのままだと稽古はできないな」
「そなたを連れて厠に入るくらいなら妾はそなたを殴って気絶させるぞ」
 王伊は笑った。
「新祢は人を殴って気絶させる方法も知らないでしょ?」
「今教えろ」
「君がそんなことをする必要はないよ。君が殴り飛ばしたい相手は僕が殺して上げる」
「誰も殺せとは言うてはおらぬし、そもそもそなたを殴って気絶させると妾は言うておるのだぞ」
「自分で自分を殴って気絶させるのはやったことないなぁ」
「……もうよいから手を離せ。妾は少々疲れた」
 ため息まじりに新祢がそう言うと、王伊は意外なほどにあっさりとその手を離した。これ以上しつこいと新祢が怒るのがわかっているからだ。
 彼は新祢の怒った顔も嫌いではないが、笑っている方がずっと好きだった。
「早苗さんにお茶でも淹れてもらう?」
「そうじゃのう。しかし王伊。このままこの屋敷に人を雇うつもりがないのであれば、妾達は茶くらい自分で淹れられるようにならねばなるまい。早苗はただでさえ忙しいのじゃ。そのようなことでいちいち呼び出していては申し訳のうてならぬ」
「あはは。珀御前に聞かせたい台詞だね」
 あの傲岸不遜な北の王女には思いつきもしない言葉だろう。
 新祢は自分のドレスの上に散らばった薔薇を一つ拾い上げた。
「ふむ。これで薔薇茶などできぬかのう」
「薔薇茶? うーん。聞いたことはあるけど、それをお湯に入れても美味しくはなさそうだよね」
「香草茶というものは要は香り付けであろう? この薔薇も香りは悪くない。試してみる価値じゃあるじゃろう」
「そう? じゃあやってみようか」
 王伊は立ち上がると、新祢に手を差し出した。眠り姫は躊躇なくその右手に手を伸ばす。
「新祢。やっぱり僕は一生こうしていたいな」
「なんじゃ。手をつないでいたいということか?」
 王伊の手に引かれて立ち上がった新祢は、怪訝そうに彼を見た。王伊は笑う。
「生きて笑っている君に触れていられるなら、僕は本当に他に何もいらないんだよ」
 こうしてその温もりに触れ、言葉を交わせる幸福を王伊は思う。彼は今度は正面から彼女を抱きしめた。
 すると新祢はどこか困ったような顔で恋人を見上げる。
「そなたは強欲なのか無欲なのかよくわからぬな。ただ一つはっきりしておるのは、生きて動いている人間は恋人の温もりだけでは生命活動を維持できぬということじゃ」
「できないのかな?」
 王伊は首を傾げた。少なくとも試したことはない。
「試そうなどとは思うなよ。そなたが空腹で倒れて迷惑がかかるのは早苗じゃ」
「そうだね。まぁ、とりあえずお茶を淹れに行こうか。僕は君の淹れたお茶を飲んでみたい」
 西の王子は笑って、恋人に囁くような口付けを落とした。




「何よこのお茶は!」
 珀蓮は一口含んだそれを盛大に噴き出した。その水しぶきをまともにかぶりそうだった鳥代は、紙一重でそれを避けてしらっと答えた。
「広兼に煮られそうなっていたところに新祢姫と王伊が現れてお茶を淹れ始めたのでそれをもらってきた」
「不味いわ!!」
「王伊は飲んでたぞ」
「新祢が手を出したものに関してあの体力馬鹿の味覚が信用できるはずがないでしょうこの変態馬鹿!」
「まぁ俺も一口飲んだら劇的に不味くて驚いたけどな」
「知っていたのなら飲ませないでちょうだい!! うう。口の中が……。ちょっと。何か口直しを持ってきなさい」
「早苗嬢が下でお茶と茶菓子の準備をしてくれているよ。わがままな俺の姫君がお茶をご所望とあれば、煮られそうになっても本来の目的を達成してくる甲斐性くらい俺にもあるんだよ、白雪姫」
 その時鳥代は不意をつくようにして恋人の唇を奪った。唇を離すと珀蓮は真っ赤になっていて、鳥代はそんな彼女に甘く囁くように言った。
「当座の口直しはこれでいかが?」
「っどこかの女に使ったような浮ついた台詞をわたくしに使うのではないわこの変態馬鹿王子——!!」
 と北の王女の怒鳴り声がこだました。とりあえず、東の王子の意趣返しは成功したようである。



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