宇宙で一番

Open Menu
「駄目だやっぱり帰ろう」
「おいおいおい、ちょっと待て鋼」
 私は完全に怖気付いていた。
 都心から離れた住宅街に建つ古びた日本家屋——その前でくるりと踵を返したのを、細マッチョな男の腕に引き止められる。
 細マッチョの名前は立科全。出会いからいろいろあって、一年後、大学生となった現在、その、あの、私の彼氏であります。きゃー! とか言ってる場合じゃないんだってば!
 いつもは私にとって温かなイメージしかない我が家からはなぜか、魔王の住む城くらいの威圧感が出ている気がする。
 実際、今現在この中には三人の魔王がいるのだ。
 パパ、総ちゃん、陽太君という三人の魔王が。
 私の実父の養子という複雑な関係である立科全と付き合いだしたことをパパ達に黙っていたのは、彼らが私の初めての恋人を歓迎はしないだろうなと簡単に予想できたからだ。
 血の繋がらない三人の父親は私を本当の娘のように可愛がってくれているし、パパと総ちゃんに至っては、私に彼氏ができた場合相手を殺すとか私を軟禁するとか不穏なことを言った前科がある。
 だから私はこっそり、内緒で、立科全と愛を育むつもりであった。
 だが伏兵は意外なところから現れた。立科全の父親……つまり私の実父、立科桜太氏である。
 全は、私と違って父親に私達の関係を秘密にしたりしなかった。私は直接立科氏に会って、パパ達にはまだ内緒にしておいてくれと頼んだのだけれど、立科氏は十月のママの命日にパパ達に会った時にうっかり口を滑らせてしまったらしい。(私は熱が出てて墓参りには行けなかった)あのうっかりさんめ!
 それで今日、十二月二十五日のクリスマス。私は立科全を家に連れてこなければいけなくなったのだった。
「立科氏、マジで呪う。呪ってやる」
 家に背を向けてぶつぶつと言う私を、全が宥めようとする。
「まぁ、どうせずっとは黙っておけないだろ」
「おかしいよ。だっていつもならクリスマスなんてパパも総ちゃんも仕事が入ったりするし陽太君だって年末進行とかってので大忙しなのに三人とも今朝私が家出る時玄関まで見送りに来て『五時までには帰ってくるんだぞ、いいな』とか念を押したりするし!」
 だいたい五時までってなんだよ小学生か!
「お前が心配なんだろ」
「過保護なんだよ!」
 わっと両手で顔を覆うと、全がケーキを持っていない方の腕を伸ばして私の手を取った。
「鋼」
 涙目で顔を上げると、すぐ近くに鼻頭を赤くした全の顔がある。全の手は骨張っていてごつごつとしていて、豆が潰れたようなあとがいくつもあった。
 高校時代茶髪で伸ばし気味だった髪を、彼は大学入学と同時に黒に戻して短く切った。高校時代はバレー部に入っていたが、大学では時折高校時代の友人とプレーするくらいで本格的にはやってないらしい。
 エスカレーター式の短大に入った私と違って、全はとっても有名な国立大学の経営学部の入学した。もちろん、義父の仕事を継ぐためだ。
 その道を彼は、誰に強制されたわけでもなく自分で選択したのだ。
 私と再会した去年の冬頃の彼はまだ自分の進むべき道に迷っていて勉強に身が入らず、引退した部活に顔を出したりもしていたが、その後の追い込みで見事、現役合格を果たした。
 やっぱりこいつ頭いいんだ、やな奴。と私が思っていたのは秘密だ。まだあの頃は付き合ってもなかったし。
 でも今の私は全のこの努力家なところを証明するようなごつごつとした手が好きだったし、真摯でまっすぐな瞳が大切だった。だからこそ彼を、パパ達のわけのわからない敵意に晒すことがとても嫌だったのだ。
 全はじっと私を見て言った。
「鋼の母親の話は、俺も親父から聞いてる」
 私の母親。萩原猪子。
 ……パパ達が愛した女性。
「特別だった人の娘である鋼を、あの人達が大切にしてるのもわかってる」
 全の声は、優しく私の中に染み入ってくる。
「だから大丈夫だよ。何を言われても俺は平気だ。それに俺は、あの人達と同じくらいお前を大切にしてるつもりだから」
 ああ、もう。
 本当に涙が出そう。
 冬だから、五時前とはいえ外は夜だ。民家の明かりと街灯がぽつぽつとあるくらいでそんなに明るくはない。私はそのことに感謝した。だってこのくらいの暗さなら、外で恋人に抱きつくことにだってそんなに抵抗がない。
 私はぎゅうと全に抱きつき彼の鎖骨あたりにぐいぐいと顔を押し付けた。ああ高級なコートのふわふわ生地が気持ちいい。
「うううううパワー注入ー!」
 全が優しくぽんぽんと私の肩を叩いてくれたその時、がらりと引き戸が開く音がしたかと思うと騒がしい声が投げかけられた。
「はーいはいはいはいそこまでそこまでー! 二人とも離れて離れて鋼はこっちおいでこっち危ないからね!」
「おいてめぇコラクソガキいい根性してるじゃねぇかああん? 他人んちの目の前で他人様の大事な娘といちゃこらこきやがってよぉああ?」
「秋平落ち着け。もめてるところをご近所に見られると証言される。証拠を残さないように処理しなければ」
 家からわらわらと三人の男が出てきたかと思ったら、陽太君によってべりと恋人から引き離された。さらにパパと総ちゃんが立科全を威圧しにかかっているところを見た私は、堪忍袋の緒をぶち切り大声を上げ、ご近所から苦情の声を賜ったのだった。

「もー! いい加減にしてー!!」


 ああもう、ママ。
 話したいことがたくさんあるの。
 私は毎日泣きたいくらい幸せよ。
 ママの娘だもの。
 きっと、宇宙で一番幸せな女になるわ。



▲top