遊園地

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 俺は友達が少ない。
 いや、別にそれはいいんだけど、問題なのは、予備校ん時からの付き合いの二人の友人なのだ。
 こいつらはイカレてる。
 マジで。
 相当に、イカレてる。




 大学の食堂は、裏門に一番近い第五校舎の一階と二階にある。二限後の昼休みは人でごった返しているが、三限にくいこんでくると人は一気にいなくなる。おかげで彼らの周囲はがらんとしていた。これだけ広い食堂に、後残っているのは二十人に満たない。
「じゃーん」
 言って美奈子が鞄から取り出したのは、遊園地のパンフレットだった。
「ゆーえすえーじゃぱーん」
 大阪の大きな遊園地である。ハリウッドの映画をモチーフにしたアトラクションが多数あり、関西圏の一つの目玉になりつつあるようだ。東京にあるネズミが大活躍している遊園地にしてみれば、こいつは憎っき商売敵だろう。
 そのパンフレットを持ち出した美奈子が、何を言うかは決まっている。
 英雄はカレーを口にいれながらも片眉をあげてそのパンフレットを見て、綱は興味がなさそうにラーメンをすすった。
「行こ?」
 美奈子はにっこりと笑った。
 彼女のお昼は弁当だった。一体これで足りるのかと聞きたくなるような小さな弁当箱には、白い御飯が半分とミートボールとポテトサラダが残っている。彼女は、好きなものは残しておく性格なのだ。
 今日の彼女は茶色に染めた髪を一つにまとめていて、うっすらとされた化粧が上品だった。白いシャツに黒のパンツがここまで似合う女というのは、たぶんそういないだろう。
「ひふ?」
 カレーを咀嚼しながら英雄が聞いた。
 小奇麗なおしゃれを着こなす美奈子とは正反対に、英雄はぼさぼさの髪に伸びた長袖と色あせたジーパンを身に着けていた。見るからに貧乏そうである。実際、胃下垂の彼はエンゲル係数が非常に高く、一ヶ月の生活費をほとんど食費で飛ばしていた。今も、彼の目の前にはカレーの後に親子丼がひかえている。
「文化祭の時の連休よ。折角教授が研究旅行とかでうちらも休みなんだから、どっか行かなきゃ損じゃない」
「それで大阪かぁ」
「京都で観光もできるし。丁度いいっしょ。シーズンからは外れてるから安いわよ。ね?綱」
「俺はパス」
 美奈子の方をちらりとも見ずに綱は言った。
「研究がなくてもバイトがある」
 極めて対照的な二人の間で、綱は極めて普通の格好をしていた。トレーナーにジーパン。どちらもマメに家にやってくる静が洗濯してくれたものなので貧乏くさい感じはしない。
 綱は現在、漫画喫茶でバイトをしていた。あまり人と話さなくてもいいし、漫画は読み放題だし、今のところやめるつもりはなかった。
「バイトなんて休めばいいじゃない」
 口を尖らせて美奈子が言う。
「そうそう。風邪ひいたとか何とか言えばいいじゃねぇか」
 カレーをスプーンに取りながら英雄が言う。
「やだ。お前ら二人で行けば?」
 綱が言うと、
「「それじゃ意味ないじゃん」」
 見事なハーモニーが食堂に響いた。
 そう、意味がないのである。
 二人にとっては、綱が一緒に来る事こそ意味があるのだ。綱と一緒に新幹線に乗り、綱と一緒に旅館に泊まり、綱と一緒に寺を回る事にこそ意味があった。
 綱は少し沈黙すると、箸を置き、真面目な顔をした。
「あのな、本当にお前ら気持ち悪いから」
 すると双方からブーイングが飛ぶ。
「失礼ね!ただ私達、綱と一緒に遊びたいんじゃない」
「気持ち悪いってお前、結構傷つくぞそれ。俺友情疑っちゃう」
「いやもう俺はお前らの人格を疑う」
 少々うんざりしたように綱は言った。
「だいたいこないだの教授に言付け頼んだ時の貸しだって三人で水族館に行った。デートするなら二人で行けばいいだろ?お前ら仮にも恋人同士なんだから。俺を誘うなよ」
「「だからそれじゃ意味ないんだってば」」
 さすが幼馴染である。気の合い方が半端ではない。
「あのね、綱、言ったわよね?私達は不完全なんだってば」
 まるで子供に言い聞かせるように美奈子が言った。
「二人じゃだめなのよ。適合できないの、この社会に。排除されちゃうの。いらないものを捨てちゃうみたいに」
 彼女はマジだった。
 真剣だった。
 この上なく。
「ぽい、よ」
 それはあまりにあっけなく、まるで鼻くそを捨てるような気安さで。
「綱」
 英雄が呼んだ。
 彼はカレーを食べ終えて、次の親子丼に移っていた。彼はにこにこと笑っていた。笑うと、愛嬌のあるえくぼができる。
「今更俺達から逃げられるなんて思っちゃいないよな?」
 それはまるで最後通告のようだ。
 綱はため息をついた。
 このカップルは、どうやらどこまでも自分から離れる気はないらしい。
「俺、どこで人生の選択間違ったんだろう」
「馬鹿ね、これが正しい道なのよ」
「そうそ。後悔させないから付いてこいって」
 そして綱は、もう一度箸を握ってラーメンをすすった。




 俺はあのイカレタカップルと予備校で出会った。
 二人は、「見つけた」と言った。
 最後のワンピース。部品。要素。
 完全になるための。
 それが俺だそうだ。
 わけのわからない言い方をしているが、つまりは、二人は俺の事が好きなのだ。
 海よりも空よりも星よりも好きなのだ。
 そして俺は、二人がその恋人と同じくらい好きだと言える、初めての人間だった。
 いや、うぬぼれでなく。
 二人は互いを愛していた。
 海よりも空よりも星よりも愛していた。
 地球よりも愛していた。
 愛しすぎて近すぎて、他が見えないほどだった。
 そしてそれこそが、二人が不完全である理由だった。
 例えるなら。
 二人は観覧車のゴンドラに乗っている一組の男女なのだ。
 そこには二人だけで、他にはなにもない。そして困ったことに、二人はそれに不自由さを感じていない。だから観覧車は止まらない。ずっと回り続ける。二人を乗せて回り続ける。何故なら二人自身が、そのゴンドラを降りる事に意味を見出せないからだ。二人は互いさえいれば、それでいいからだ。
 けれどそれではだめなのだ。
 そんな排他的な人間を、世界は歓迎しない。
 社会は喜ばない。
 受け入れない。
 だから俺が必要なのだ。
 互いしか見えないバカップルが二人とも、唯一興味を示す人間。
 その俺が観覧車の外にいれば、二人は観覧車を止める。ゴンドラを降りる。なぜならゴンドラには俺がいないからだ。
 そして広い世界に下りてきた二人を、世界は歓迎するだろう。
 つまり、そういう事なのだ。
 この二人は、俺がいて初めて、世界にも認められる。
 完成される。
 それはわかっている。
 それはわかっているのだが、やっぱりちょっとやってられない。これは




「じゃあ旅館とっていい?」
「ああ、二部屋な」
「うん。私と英雄が一部屋、綱が一部屋でしょ?」
「・・・・・・おいこら待て」


 つまりこれが、俺、河野綱の、の数少ない友人なのだ。



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