十一歳の河野広中の家族と学校に対する考察

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 僕の名前は河野広中。
 昔やったテストで、僕はIQ百四十をたたき出した。天才児というやつらしい。
 どうでもいいけど。
 学校に友達はいなかった。
 小学生というのは単純なもので、彼らは自分達と違う人間を排除したがった。
 つまり、天才というのは、小学生の社会では異端以外の何者でもないということだ。
 彼らは僕を無視し、僕の教科書に落書きをし、僕を辱めて、喜んだ。
 彼らの怒りを誘い、彼らのその行為を増長したのはあるいは、それを見下していた僕に原因があるのかもしれない。けれど僕は彼らのレベルに合わせてあげる気は毛頭なかったのだ。
 僕はクラスメート達を軽蔑していた。
 自分より優秀な人間を集団で貶めることでしか自分のプライドを守れない馬鹿な人間達を、僕はゴミクズを見るように見下していたのだ。




「おはよう」
「あ、おはよーヒロ。あんた偉いねいつも自分で起きて。ったく。武兄も見習ってほしいもんだわ」
 朝起きると、いつもすでに長女の静姉が起きて朝ごはんの支度をしている。
 着替えてランドセルを持って降りてきた僕を見て、彼女はいつものように笑顔を向けた。
 静姉は今年で高校三年生で、受験生だ。けれど前の日にどんなに遅くまで勉強しても、朝他の兄弟よりも遅く起きることは決してなかった。家事は全て静姉がやっていて、彼女は毎朝四人分の弁当まで作っていた。
 僕は静姉に笑顔を向けた。
「仕方ないよ。低血圧なんだし」
「根性が足りないのよ。根性が」
 そして静姉は僕に食器を並べておくよう言うと、低血圧の長男と起こさなければ起きない次男を起こしに二階へ上がって行った。
 いつからだろうか。
 僕は、作り笑顔がうまくなっていた。
 家庭円満のためには、たとえ大嫌いな兄弟を目の前にしても笑顔を保ってなくてはいけないのだ。笑顔で、今の家庭には満足していると、家族が大好きだと言わなければならない。
 僕は僕の兄弟達が嫌いだった。
 家族家族だとうるさい長男も、何を考えているのかわからない次男も、母親面している姉も、大嫌いだった。
 僕が四歳の時に両親は死んだ。
 それから兄弟四人で暮らしてきた。
 力をあわせて頑張ろうね。
 たった四人の家族なんだから。
 たった四人の兄弟なんだから。
 ああ。
 反吐が出るよ。
 家族ごっこなら他でやってくれ。
 できることならそう言ってやりたかった。
 けれど僕はしがない扶養家族の身だったし、うちの生計は兄や姉達のバイト代や、両親の保険金でかろうじてもっているようなものだった。
 だから僕は我慢した。
 せめてあと四年。
 義務教育を終えるまでは、僕はいい子を演じ続けよう。
 馬鹿な兄弟達に、幸せな夢を見せてあげよう。
 ああ、お兄さまお姉さま。
 僕はあなたたちの弟に生まれてなんて幸せなんだろう、ってね。
「おはよー」
 居間に現れたのは次男の綱兄だった。
 この兄はあまり感情を乱されることがないらしく、どうもつかみ所がなかった。学校はさぼりまくって留年し、静姉と双子だというのにもう一度二年生をやっている。さすがに懲りたのか最近は真面目に通っているようだけど、それがどれだけ長続きするのか疑問だ。
「おはよう、綱兄。顔洗ってきたら食器並べるの手伝ってよ」
「んーわかった」
 そう言うと綱兄は居間を出て洗面所へ向かった。
 と、階段の上からドタン! と何か大きなものが落ちたような音がした。
 そして少しして、静姉がトントンと階段を下りてきた。
「どうしたの?」
「武兄がベッドから落ちたの。もうすぐ降りてくるでしょ」
 そう言って静姉が肩をすくめた。
 彼女が言ったとおり、武兄はすぐに降りてきた。ただし腰をおさえて、呻きながら降りてきた。武兄が居間に着く頃には、綱兄が顔を洗い終わって洗面所から出てきていた。
「どしたの? 武兄」
 綱兄がタオルで少し濡れた毛先を拭きながら聞く。
 すると武兄は居間に入って来たところでばたりを倒れた。
「うぐぐ。兄ちゃんはもうだめだ……。綱、後は頼んだ……ぱたり」
「あ、死んだ。惜しい人を亡くしたなあ」
「ぐぇえ。踏むな! 薄情者! くっ弟甲斐のないやつめ」
「ほらもう早く席着かないと先に食べちゃうわよ二人とも」
「あはは」
 僕は笑った。
 武兄は、大学三年生の就職活動中だ。恋人も何度かいたことがあったようだが、イベントの度に家族を優先しているのですぐに振られてしまうらしい。当然だと思う。朝食だけは必ず四人一緒にとろうなんてくだらない事を言い始めたのもこの兄だ。馬鹿らしくて笑ってしまう。
 僕達四人は長方形のテーブルを四人で囲んで座って、手を合わせていただきますと言った。
 これがいつもの、河野家の光景だった。
 くだらない。
 そして僕は家を出た。




 学校も馬鹿共の宝庫だ。
 まず靴箱。
 僕の靴箱のふたの部分には、芸術的センスが欠片も見られない落書きがしてある。馬鹿だのアホだのチビだのさらにはここで言うのははばかれる下品な言葉も書かれてあったりする。こいつらは一体、この意味を知ってて使っているのかと疑問に思う。
 当然、中に入っている上履きにも同様の落書きがある。僕は気にせずに、靴を履き替えた。
 僕が馬鹿だと思うのは、生徒だけでなくこの学校の教師共もだ。
 あの靴箱を見れば僕がいじめの対象にあるのは一目瞭然だろうに、奴らはこう聞いてくる。
『お友達とは仲良くやっているの?』
 そして僕はこう答える。
『はい。問題はありません』
 問題なんて起こるわけがない。
 僕に、『お友達』なんてものはそもそも存在しないのだから。
 廊下を歩く。
 朝の挨拶やおしゃべりが飛び交う中で、僕に話しかけてくる奴は一人もいない。
 教室に入っても、誰一人として僕の方を向かなかったし挨拶もしなかった。
 僕は自分の机に向かった。
 それはかろうじて落書きから逃れられていた。机に落書きをして掃除の時間に先生の目にとまり、そのまま学級会議に突入してしまったことが以前あったからだ。馬鹿共も学習するのだと、僕は感心した。
 しかし最近、奴らは新しい遊びを思いついたらしい。
 僕の机をゴミ箱にする遊びだ。
 案の定、僕の机の中には溢れんばかりのゴミがつまっていた。生ゴミの匂いもする。おそらく、どこからか家庭ごみを拾ってきてつめこんだのだろう。手がこっている。ここまでくると尊敬の念すらわいた。
 教室の隅からゴミ箱を持ってきて、机の中のゴミを手づかみで捨てる僕に、クラスメートがちらちらと視線を送っているのがわかった。くすくすという笑い声も聞こえてくる。
『きたなーい』
『うわ、手づかみだぜ』
『くせぇよ』
 僕は机の中を完全にキレイにし終わると、ゴミ箱を戻して椅子に座り、ランドセルの中の教材を机の中に移した。
 さぁ、くだらない学校での、くだらない一日の始まりだ。
 けれど僕にとっては、正直家にいるより学校にいる方が楽だった。
 家にいることは、僕にとっては苦痛でしかなかったのだ。
 一人で、だれにも気を使う必要のない学校という場所は、僕には楽園だったのだ。


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