12.巻き込まれる

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 今朝のちょっとしたトラブルはまぁ置いておくとして、今日から通常授業である。
 始業ギリギリに教室に駆け込んだ清水さんは、一時間目の授業が終るとすぐにわたしの席にやってきた。
「円おはよう」
「あ、清水さんおはよう」
 美少女がわざわざわたしの席に朝の挨拶をしにやってくる日がくるなんて!
 と感激していると、彼女はわたしに顔を近付けて小声で聞いた。
「昨日あれからどうなったの?」
 清水さんは昨日のことを知っているので隠すことはないだろう。でもあまり大げさなことにもしたくないので……
「なんか高級そうな車に乗せられて高級そうな眼鏡屋さんに連れて行かれたんだけど、怖いから何も買わないで家まで送ってもらったの。だから無事帰れたよ。清水さん、昨日は本当にありがとうね」
 こういう時はなんでもない普通の出来事のように話すのがコツです。
 いやー。この昔使ってた眼鏡があってよかったー。とわたしが笑っていると、清水さんは目を丸くしてまじまじとわたしを見た。
「……え? 円って綾小路先輩の彼女だったりするの?」
 ええ!
「ないないないない」
 わたしは首振り人形かってくらい首を振って否定した。
「入学式の日に初めて会ったんだよ。どうしてそうなるの?」
「だって……あの綾小路先輩がそこまでするなんて」
 と清水さんは困惑している様子だ。
 そういえば清水さんも小金丸君と同中ということはあの熊男とも同中なのだ。
「清水さんもあの熊……綾小路先輩のこと知ってたの?」
「もちろん! 綾小路先輩、中学でも有名だったんだよ」
 それはあれだろ? 暴力的な意味でってことだろ? 今朝のあの熊男の狼藉を思い出しながらわたしは心の中でそう思った。
「お金持ちだし、顔もいいし、運動神経抜群だし。この高校にも、綾小路先輩を追って入学した人多いって聞くし」
 そういえば一昨日わたしに絡んできた女子軍団がそんなこと言ってたな。
 あんな熊男がモテる世の中なのか。世間って不思議だ。
「へー」
「あ、もしかして綾小路先輩が円に一目惚れしちゃったとか?」
「あはは。ありえないって」
 自慢じゃないが十人並みの容姿である。実の母であるウメでさえ『あんたって私の娘なのにどうしてそんなにぶちゃいくなの?』と無神経に言ってくるほどだ。
「そうかなー?」
「そうだよ」
「円みたいに眼鏡かけてる子が眼鏡取ると男子って結構そのギャップにきゅんとくると思うよ。あ、そうだ。円、今日の放課後私と一緒に眼鏡作りに行く?」
「え?」
「だってずっとそれで学校来るわけじゃないでしょ? 眼鏡作りに行くなら私も行っていい?」
 清水さんはわたしの机の横にしゃがみこんでにこにこと笑った。
 ……ふむ。やはりビン底眼鏡はまずいかね。
「でも清水さんに悪いし、一人で大丈夫だよ」
 とわたしが言うと、「麗」と清水さんが言った。
「れ、れい?」
「そう。清水さんってなんか他人行儀じゃない? でもわたし麗華って名前あまり好きじゃないから、麗って呼んで欲しいんだけど、呼びづらい?」
 清水さんはそう言うと、可愛らしく首を傾げて上目遣いでわたしを見た。
 どっきゅーん!
「そそそそんなことないよ!」
 わたしは慌てて言った。
「れ、麗華って素敵な名前だと思う!」
 少なくとも全然名前負けしてないし! むしろあなたの美しさを完璧に表現しきってるし!
 顔を赤くしてわたしが熱弁すると、清水さんはにっこり笑った。
「ありがとう。私も円の名前って素敵だと思うよ。お父さんがつけたの?」
「ううん! クソバ……じゃなくて、お母さんがつけたの」
「へー。円満とかって意味でしょ? お母さんセンスいいね」
 違います。日本円の円です。
 とはさすがのわたしも言えなかった。
 小学校の自分の名前の由来を調べるっていう授業の時にウメに聞いたら、『通貨の名前つけときゃお金には困らないかと思って!』という答えが返ってきたので、わたしはその授業の発表の日学校をサボったのだ。
 懐かしい思い出である。
「あはは……ありがとう」
 ととりあえず答えておくことにする。清水さんの清い心をわざわざウメの馬鹿な発想で汚す必要はないよね!
「そういえば、円は部活どうする?」
 おおう。話が飛ぶな。女子のスキルすげぇ。
 部活、と聞いた瞬間先日化学室に呼び出されたことを思い出したが、いやいやあんな怪しい部活には入らないぞ、とわたしは決意を新たにした。
「わたしは部活しないでバイトしようと思って」
「え? そうなの?」
「うん。清水さん……じゃなくて、れ、麗はどうするの?」
 どもってしまった。
 恥ずかしー!
「私はねぇ、部活じゃなくて生徒会に入ろうと思ってるの」
「生徒会?」
 とっさに舜の顔が頭に浮かぶ。
「うん。楽しそうじゃない?」
「そ、そうだね」
 少なくともわたしは絶対に生徒会に入ったりはしないだろう。舜と頻繁に顔を合わせるなんて気まずすぎる。拷問だ。
「でもバイトかぁ。バイトも楽しそうだね。……あれ? でもうちの学校ってバイトオッケーなんだっけ?」
 その辺はきちんと調査済みです。
「先生の了解をもらっておけば大丈夫みたい」
「へー。どんなバイトするの?」
「うーん。飲食店とかかなぁ」
「えー。じゃあバイト先決まったら教えてね! 遊びに行くから!」
「う、うん」
「あと眼鏡屋行くの私も連れて行ってね。一回行ってみたかったの」
「……うん」
「あ、でも一人で行きたかったらいいよ?」
「う、ううん」
 わたしが頷いたり首を振ったりしていると、清水さん……じゃなくて麗は快活に笑った。
 その笑顔があまりに綺麗で、わたしも思わずほっこりとする。
 はー。
 眼福って言葉本当にあるんだな。とか思ってると、予鈴が鳴った。
「あ、じゃあまたね、円」
 と麗は颯爽と手を振って自分の席に戻っていく。わたしは夢見心地でスタイル抜群なその後ろ姿を見送ったのだった。




 結論から言って、わたしと麗の『ウキウキ! 初めての一緒の下校と眼鏡選び!』は決行されなかった。
 なぜなら放課後になると小金丸君がわたしのところにやってきて、「八木原さん、なんか綾小路先輩が八木原さんのこと呼んでたから一緒に行こう?」と言ってきたからだ。わたしはほとんど脊髄反射で、
「え、嫌です」
 と答えたのだが、にこにこと笑う小金丸君は「うん。行こう?」ともう一度繰り返したのでなんとなく逆らえずにわたしはぐったりとうな垂れて「……はい」と答えてしまったのだった。
 事情を話すとむしろ麗は顔を輝かせて、「綾小路先輩から呼ばれたの!? え、それって告白!? うわうわ、円、後で詳細教えてね!」と全力で見送ってくれた。
 ……うん。告白はないわ。絶対。
 わたしはそう思ったが、面倒なので何も言わなかった。
 とりあえずすぐにでも逃げられるように、登校鞄とローファーの入った紙袋を握りしめて、小金丸君の後ろについて教室を出る。
 そして再びの囚人かドナドナである。
 と思ったら、小金丸君が教室を出て左手に歩いて行くのでわたしはおや? と思った。
「あれ? また化学室じゃないの?」
「ううん。職員室に来いだって」
 へ?
「……え、でも呼び出したのってあの熊……じゃなくて綾小路先輩だよね」
 綾小路先生の聞き間違いか? そもそも綾小路先生なんて教師がいるのかも知らないが。
「うん、そうだよ」
「なんで職員室?」
「行ってみたらわかるよ」
 小金丸君は首だけ振り向いてにっこり笑った。
 わたしはなんだか不安になった。もしかして昨日の暴力事件のことじゃないだろうか。あの熊男とわたし、イン職員室なんて構図、昨日の暴力事件が教師の耳に入ったとしか思えない!
 やばいやばいやばい。
 わたしはありもしない活路を探してきょろきょろした。
 暴力事件のせいで停学とかになったらクラスでも浮いちゃってせっかく友達になった麗だってわたしのこと見捨てちゃうよ! わたしの輝かしいハイスクールライフが!
 とか思ってるうちに職員室に着いてしまう。
 ああああ! うちの学校もっと敷地の広いマンモス校だったらよかったのにいいいい!
 とわたしが嘆き悲しんでいることなど知らない小金丸君は、
「失礼しまーす」
 そう断って職員室の扉をガラリと開けた。
 ガヤガヤとしている職員室の中で、一際体格のいい男がいる。熊男だ。しかしその周囲には、他に三人の男子生徒がいた。
 言うまでもなく、先日の魔王と不良と……もう一人誰だ? どっかで見たような……と思ってまじまじと見ていてわたしははっ、とひらめいた。
 入学式の日に熊に絡まれてたかわいそうな人だ!
 わたしが自分の記憶力を賞賛していると、小金丸君がすたすたと職員室の中を歩いて「行武先輩」と魔王に声をかけた。魔王が振り向いて爽やかに微笑む。
「あ、来たね。円ちゃんも」
 わたしは大分離れたところに立っていたのだが、魔王はめざとくわたしを見つけて右手を上げた。他の三人も同様にこちらを振り向く。
 なになになになにこわいこわい。
 睨みつけてくる不良、胡乱な眼差しのかわいそうな人のさらに向こう側で、熊男がわたしを見てにやりと口角を上げる。
 彼らがいるのは二年生の担任の机が並んでいるところだった。当然、男達の正面で面倒臭そうな顔で座っているのも二年の担任だろう。見たことがある気がする。去年教わったかな?
 しかしわたしが記憶を掘り起こそうとするその前に、熊男は目の前の教師に向き直ると、
「これで部員全員だ。部活の名前はマド部。承認してくれ」
 と言ったのだった。



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