かぐや姫

 その竹の中に、本光る竹ひとすぢありけり。怪しがりて寄りて見るに、筒の中ひかりたり。それを見れば、三寸ばかりなる人いと美しうて居たり。





 竹の中からおじいさまに見つけてもらって千百年。
 ダーリンと離れ離れになってからは二百年。
 めまぐるしく変わる人の世は、何年生きていても生き飽きるって事はないわ。
 けどね。
 あーあ。
 一人って退屈。
 二百年前までは、ずっと彼と二人で生きてたからね。
 どこにいるの?
 かぐやはずっと待っているのに。
『迷子になったらその場所を動くんじゃねぇぞ。
 俺が迎えに行ってやるからな』
 あなたの言葉を信じてずっと待っているのに。
 早くわたしを迎えにきてよダーリン。
 桃から生まれた桃太郎。
 あなたならきっと、鬼退治をするよりも簡単に、わたしを見つけてくれるでしょう?





 住宅街の一角に、ぽつんと建てられた古びたレンガ造りの喫茶店。
 看板には『喫茶月桃亭』とある。ちょっと前まではこの看板の文字は右から読む筆文字だったんだけど、時代のニーズに押されて可愛らしくリニューアルしてみました。
 ここが、私が最後に彼と会った場所。
 彼と別れた場所。
 私が今も彼を待っている場所。
「カプチーノとケーキセットになりまーす」
 私は営業スマイルでそう言って、お客さんの前に骨董品ばりのティーカップとそれとセットになったお皿にのったチョコレートシフォンを置いた。
 我が喫茶店『月桃亭』は最近ではそのアンティークな雰囲気がウリだ。ちょっと前では古めかしいと敬遠される時期もあったが、流行がアンティークを認める時代になっていた。ちなみにうちは二百年続く老舗だもんね。そんじょそこらのエセアンティーク系喫茶店と同じにしないでよ。不老の店主共々、本当の骨董品ばかりでございますれば。
 もちろん店主は私。二百年前からね。
 店員はあと一人だけ。
 一見人の良さげな二十代後半優男。
 Tシャツにジーパン、その上にジーンズ生地のエプロンをしてる。そんなラフな格好とは裏腹に、仕草はどこか優美で、コーヒー入れる手の動き一つとっても気品てものを感じさせる。コーヒーも美味しい。
「かぐやさん、アイスコーヒーできました」
「はーい」
 料理担当は主にその男。
 彼がふらりとうちに来た百五十年前から、彼はカウンターに立っている。
 彼は私を捜していたと言った。
 不老不死の薬を飲んだと言った。
 ずっと私に会いたかったと言った。
 私は愛している人がいるからあんたをそんな風には愛せないと言った。
 千二百年前と同じにね。
「帝、アッサム追加」
「はい、少し待ってくださいね」
 彼は帝。
 かつての倭の国の王だった男。
 けれど竹から生まれた月の女王に恋をして、その身を滅ぼした哀れな男。
 月の女王の残した不老不死の薬を飲んで彼女を追いかけた一途な男。
 けれど千二百年たって再び玉砕したかわいそうな男。
 それでも彼女の側にいたいと願った切ない男。
 いや、月の女王って私の事だけれどね。
 もてるって辛いわぁ。
 私は帝が好きだけど、それよりもっとあのひとを愛してる。
 それを知りながら、帝は私の側にいる。
 それが時々もどかしいの。苛々するわ。
 ねぇ、帝。私はあんたが友人として大好きだから、幸せになってほしいのよ。
 こんな女見捨てて新しい愛を捜してほしいのよ。
 そう言っても彼は笑う。
「何度言っても僕の考えは変わりませんよ。他の愛などいらないのです」
「頑固だわ。私が嫌いなタイプね」
 ちょっと顔をしかめて言うと、彼は困ったように笑う。
「ええ、そうですね。けれどあなたの桃太郎も頑固な方だったと記憶しておりますが?」
「......そうねぇ」
 思わずため息をつく。
 私は月の女王だけれど、この星には他にも月から生まれたものがたくさんいる。彼らは私の下僕だ。桃太郎もその一人。
 けれど、あのひとは主人だから私を愛してくれているんじゃないと知っている。愛し続けてくれているんじゃないと知っている。
 それが、月から生まれたもの達の性質なのだ。
 私達に忘却はない。
 人間が持つ、その便利で悲しい能力はない。
 だから一度抱いた思いは永遠に続く。
 永遠に、連綿と。
「今頃どこにいらっしゃるのでしょう?」
「さぁ。方向音痴だもの。見当もつかないわ」
「見当がついていたらさっさとこちらから行っていますか?」
「いいえ」
 きっぱりと答える。
 すると帝はその答えがわかっていたかのように笑った。
「あなたも十分頑固ですよ」
「あのひとが待っていろと言ったのよ。私が待たない道理はないわ」
「ええ、そして私が他の愛を捜す道理もありません」
「......屁理屈ね」
「どうとでも?」
 そして二人顔をあわせて少し笑う。
 人には忘れる事ができるのに、千二百年もその思い留めるあんたはすでに人間ではないのかもしれないね、帝。
 ......。
「どうしました?」
 笑いをおさめて俯いた私を、帝が心配そうに覗き込む。
 帝。あんたは優しいね。
 あんたを好きになれたらどんなにいいか。
 あんたを愛せたらどんなにいいか。
 けれど私は彼じゃなきゃだめなの。
 あのひとじゃなきゃあキスもできない。
 私は古風な女だからね。
「......つらいですか?」
 ええ。ええ辛いわ。
 たまに泣きそうになる。
 このまま会えなかったらどうしようとか、あのひとがどこかでどうにかなってたらどうしようとか、
 色々考えるの。
 けどね。
「......けれど待つわ」
 私は笑って顔を上げた。
 毅然とした態度で。
 にっこりと。
 帝はほっとしたような、けれどちょっと残念だったような顔で笑って言った。
「それでこそあなたですよ」





 ああ。
 ダーリン。
 私はもう二百年もここであなたを待っている。
 あなたと旅をした年月の五分の一しかない時間だけど、あなたがいないだけでこんなに長く感じるわ。
 けれど安心してね。
 どんなに辛くても。
 どんなに泣きたくても。
 あなた以外のひとの胸で泣いたりはしない。
 あなたに出会ったときに言い訳ができないような事は決してしないわ。
「少しくらい私に甘えてくださってもよろしいのですよ」
 帝は言う。
 それはだめよ。
 あんたに期待をもたせたくない。
 あのひとを傷つけたくない。
 だからだめよ。
 ダーリン。
 早く迎えに来て。
 早く私を抱きしめて。
 早くキスして。
 泣く私を、馬鹿だと笑って慰めて。
 ねぇ、この声が聞こえるかしら?
 あなたを思って叫ぶ私の声が聞こえるかしら?
 さぁこの声をたどって早くたどり着いて。
 私はいつまでもあなたを待つわ。



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