真野直紀

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 俺の彼女は単純で不可解だ。
「別れようか直紀」
 彼女から別れを切り出したのは初めてだった。
 俺はいつも彼女がやってたみたいに笑って、
「わかった、ばいばい」
 と言って帰った。

 俺の元彼女は単純で不可解だ。
 俺が何度他の女に恋をして別れを告げても笑ってわかったと言うし、何度他の女への恋が冷めてよりを戻そうと言ってもまた笑っていいよと言う。
 菩薩のように優しいわけじゃない。
 俺を愛してないわけじゃない。
 いやむしろ、彼女は俺にぞっこんなんだ。
 何度も他の女に恋してくっついたり離れたりを繰り返す愚者な俺という男を心底愛している彼女は、病気なんじゃないかとたまに思う。
 お前こそ家庭の医学調べた方がいいよって言ったら、馬鹿ね病気の原因も名前もわかってるのよ、と笑った。
 そう笑う彼女はなんだかものすごく幸せそうで、俺の心に少しの心配とすごい幸福感と独占欲が想起して、思わず彼女をはたいてやった。
 彼女は俺への愛で構成されている。
 その唇は俺に接吻をするためで、その指は俺の頬をなでるためで、その声は俺を呼ぶためにある。
 彼女への行動の大本にあるものはとても単純で、ただ俺への愛だ。
 けれどその行動自体は全く不可解。
 そして俺はいつもそんな彼女に振り回されるのだ。
 彼女に別れを告げられて一ヶ月。
 驚いた事に俺は誰にも恋をしなかった。
 ずっと彼女のことを考えてた。
 初めて切り出された彼女からの別れに、もしかしたら俺はかなりのショックを受けて、放心していたのかもしれない。その一ヶ月のことはよく思い出せなかった。ただ彼女のことを考えて、一ヶ月後に俺の中に残ったのは憤りだった。
 今まで何度も俺から別れようと言ったのに、ただ一度彼女からそう言われただけでこの怒りは理不尽だと他人は言うかもしれない。
 けれど、俺に別れを告げた彼女をひどく馬鹿だと感じた。
 俺と別れようなんて?
 できるわけないだろう。
 
 彼女のマンションへ行った。
「……はーい」
 着崩したパジャマを着て現れた彼女に、もっと怒りがこみ上げる。
「別れてなんかやんないからな」
 そう言うと、寝ぼけ眼だった彼女が目をぱちくりとして、次いで顔をくしゃっとして笑った。
「うん」
 そのあまりに嬉しそうな顔に、俺は拍子抜けした。
 もしかして俺は試されていたんだろうか?
「どうして別れようなんて言ったんだ」
「旅行に行く事になったのよ。一ヶ月。昨日帰って来たの」
 部屋の中をのぞくと小さなボストンバックが無造作に置かれていた。
 よくもまぁあんな小さな荷物で一ヶ月も旅行ができたもんだ。
「その一ヶ月の間にもしあんたが誰かに恋をしても、現在の恋人である私は海の向こうで別れようと言えないでしょう?そうしたらあんたが困ると思ったの。だから先に別れてから行こうと思ったのよ」
「ずっとお前のことを考えてたよ。十年分くらい」
「うん」
 そう笑って彼女は俺をマンションに招きいれた。

 俺の彼女は単純で不可解だ。
 だから俺は、結局いつも最後には、彼女のもとに戻ってきてしまうのかもしれない。



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