梅子へ
元気か? なんつって。元気なわけねーか。
こっちは意外と快適そうだよ。うん。俺は元気だ。
こないださ、お前に借りた百円。
ごめんあれ返せねぇから奢ってくれた事にしてくんね?
怒るなって。いいだろ百円くらい。
悪ぃな。
あ、あとお前に借りたノートはたぶん机の上に出しっぱなしだから。勝手に取ってっていいよ。
お前相変わらず字ぃ汚ねぇのな。解読すんのに苦労したぜ。
マジで。
今度からもう少しマシな文章かけよな。
漫画は全部テツにやるから、そう言っといてくれよ。
あ、あと、机の引き出しの一番上の、奥に入ってるノートは見るな。決して見るな。死んでも見るな。燃やせ。いいな。
うーん。あとは……ないかな。
何せいきなりだったからな。何も準備しねぇでこっち来ちまったからさ。
慌ててこうして筆を取ってるってわけよ。
幼馴染の最後のわがままだと思って、聞いてくれよ。
梅子。
お前泣いてねぇよな。
泣くなよ。
お前泣いても、今の俺には慰めにいけねぇんだからよ。
あ、お前もこっちくるとか言うなよ。
お前はそっちで平凡に暮らせよ。お前にはそーゆーのが似合ってるよ。普通に大学出て普通に就職して普通に結婚して。
な。
俺さ。
ずっと思ってたんだよ。
俺がいるせいで、お前の人生すっげえ狂ってるんじゃないかってさ。
お前優等生じゃん? かたや俺もうどっからどう見てもチンピラじゃん?
こんな幼馴染がいるせいでさ、お前色々苦労してんじゃないかなぁとか思ってたんだよ。
ま、そう思いながらお前から今まで離れようとしなかったのは俺のエゴなんだけどな。
これがいい機会なのかもな。
俺とお前が離れるさ。
兄弟でも恋人でもないのに、ずっと一緒にいたけどさ。
巣立ちの時期なんだよ。
俺達。
その時が来たんだよ。きっと。
だから泣くなよ梅子。
門出だと笑え。
俺がいなくなってせいせいしたと笑い飛ばせ。
ああ。
これってきっと、俺からお前あての最初で最後の手紙だよな。
いや、本当は書く気なかったんだけど。
ちょっとうるさい奴がいてさ。
梅子。
俺さ、幸せだったよ。お前と幼馴染で。
色々悪態ついたけどさ、楽しかったよ。
俺はもうそっちには戻んねぇけど、皆によろしく。
今までありがとな。
幸せになれよ。
藤吾
「あーやっぱ泣きやがったあの馬鹿。だから手紙なんて出したくなかったんだ」
手紙を手にしたまま泣き崩れる少女を下界に見下ろして、藤吾はため息をついてしゃがみこんだ。しゃがみこんだと言ってもそこに地面があるわけではない。雲の下、彼はぷかりと空中に浮かんでいた。
「そ? それにしてはたったあんだけの文章書くのに半日かかってたけど」
彼の後ろから茶々を入れてくるのは、黒髪をざっくばらんに切って麻の着物を着た青年だ。まるで昔の町人かなにかのように見える。顔立ちはなかなか整っていて、年齢は二十代後半といったところだろうか。藤吾は、彼に促されて例の手紙をしたためた。
お前何者?
藤吾のこの質問に、彼はにっこり笑って答えた
魂の案内人。まぁ、俗に言う死神ってやつかな?
そうだ。
藤吾は死んだ。
ちょっとしたいざこざの中で、ナイフで刺された。そして出血多量であっという間に昇天だ。
情けない。
普通なら少しくらい心残りがあってもよさそうな死に方だ。
けれど彼は、自分が死んだのだと知ったとき、あっけらかんと言った。
なんだ。じゃあ、早いとこ天国ってとこに連れてってよ。
「君みたいな死人も珍しいよ。普通はそんなに早く死を受け入れる事はできない。特にこんな突発的事故の場合はね」
死神はそう笑った。
残念ながら、そのさわやかな笑顔は全然死神に見えないが。
「別に突発的でもねぇよ。刺されて、寝っころがってる間、ああ俺死ぬんかなぁとか思ってたし」
憮然とした表情で藤吾は答えた。
彼らが今いるのは、藤吾が死んだ空き地の真上だ。
その空き地の、血の染みの残った場所でしゃがみこんだ少女がいる
死神に連れられてさくさく成仏しようと思っていた時、藤吾の耳に彼女の声が聞こえてきた。それは決して、聞いていて思わず涙ぐんでしまう類のものではなかったのだけれど、その声に藤吾は成仏をとどまった。
クソ野郎! 目を覚ませ!
変態! 不良!
寝てんじゃないわよ!
ふざけんじゃない!
馬鹿藤吾!
思わず振り返った藤吾の目に飛び込んできたのは、病院で口汚く罵り声を上げている幼馴染の少女の姿だった。普段は優等生で通っている彼女が、あきらかに藤吾の影響だと思われる口調で叫んでいる。
目ぇ覚ませっつってんのよ!
下衆野郎!
殴るわよ!
髪を振り乱し、叫んでいる。
狂っている鬼女のようにも見えた。
手紙を書いたら?
死神が言った。
そんな事ができるのか? 俺もう死んだんだろ。
できるよ。今日だけの出欠大サービスだけどね。
死神は笑った。
はじめ藤吾は、彼女に怒ってやろうかと思った。
誰がクソ野郎だって? ふざけてんのはどっちだこのクソ女。
けれどやめた。
何度も何度も書き直して、それをあの空き地に放置した。
いずれ彼女がやってくるだとうろわかっていたからだ。
泣かせるつもりはなかった。
藤吾はひどくばつの悪い気分だった。
彼女はまだ、身体を曲げて泣いている。
死神が首を傾げた。
「恋人?」
「違う」
そうだ。違う。
兄弟でも恋人でもない女。
ただの幼馴染。くされ縁。
「大切な人?」
「違う」
大切な人なんて藤吾にはいない。
だから死ぬかと思っても未練なんかなかった。
それは今も変わりない。
「あいつは俺の独占欲の犠牲者だ」
藤吾は言った。
兄弟でも恋人でもなく、愛してるわけでもなかった。
けれど縛っていたのは、独占欲だ。
自分にモノに対する。
支配欲。
「君は最低だね」
さわやかに死神が言った。
「ああ、地獄行きだろ?」
藤吾は口を歪めて笑った。
自嘲を込めた笑みだった。
けれど死神は答えた。
「祝福すべき今日のこの日、地獄に落とされる魂は一つたりとも存在しない」
藤吾は怪訝そうに死神を振り向いた。
死神は、相変わらず死神らしからぬ笑顔と格好でそこに浮かんでいる。ふわりふわり。
「僕は今日、とても幸せなんだ。だから彷徨える魂の願いを一つずつ叶えてあげようという気になっている。手紙はあの少女の願いだよ。彼女は君の言葉を欲しがっていた。あれで彼女は救われるだろう。さぁ、君の願いは?」
「お前何宗だよ。仏教かキリストかヒンドゥーか?」
「よし。君の願いを了解した」
藤吾はかっとした。
「願いなんてねぇよ! 大きなお世話だ! とっとと地獄でもなんでも連れていきやがれ!」
馬鹿馬鹿しい。
願い?
そんなのランプを拾った奴に聞きやがれってんだ。
しかしそんな藤吾を無視して、死神はにこにこと笑ったままがしりと藤吾の腕を掴んだ。
「とりあえず先に上へ行こう。僕の上司はせっかちさんでね」
「上司?」
「閻魔様のようなものだよ」
やはり宗教が全く読めない。
雲をやぶり、ぐんぐんと上に昇る。
その間に死神は言った。
「君にはあの女の子の守護霊になってもらおう」
「守護霊?」
「そう。なあに困ることはないよ。やることは、生前君がやっていたのと同じようなものだ。君から彼女を奪いそうなものから彼女を護ればいい」
「ソレが俺の願いだって?」
藤吾は鼻で笑った。
守護霊どころか、彼はあの少女が目の前で転ぼうが助けた事はなかった。
「そうだ。そして君は、あの女の子のそばで色々と学べばいい。彼女が何を考えていたのか。知りたくないかい?」
「……」
藤吾を嫌いだと言いながら、彼の望むままにそばにいた少女。
そしてその死に直面した時彼女は無防備に泣いた。
彼女の藤吾への感情は恋ではなかったはずだ。
それは長年彼女の側にいた藤吾には断言できた。
では、彼女が藤吾にあんなにも寛容であれたのは何故なんだろう。
彼女は確かに、藤吾にとって唯一の謎だった。
自分に近寄ってくるセックス目的の女達や、強いものにまかれようとする男達とは違ったのだ。
死神は笑った。
「女性は海のようだよ。生きている時にそれを学べなかったのは、君の不運だね」
藤吾は怪訝そうに死神を見上げた。
「あんた、何もんだよ」
それは始めにした質問と同じだ。
けれど死神は答えた。
「魂の案内人。名前を聞いているんなら、僕は彦星と言うんだよ」
自ら手を引く少年を見下ろして、彼は器用にウィンクをした。
「今日は一年の中で、僕にとって最高最良の日。その事を思えば、君の願い一つかなえる事くらいしてあげてもいいという気分になる。その点では君はとてもラッキーだ」
藤吾は今は見えない下界を見下ろした。
彼女はまだ泣いているのだろうか。
守護霊?
自分が守護霊になると知ったら、彼女はきっと猛烈に嫌がるだろう。
それを想像すると、そうなるのもいいかなと思った。
天の川に橋がかかる。
七月七日。
ああそういえば、今日は七夕だったのだ。