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 私には色々事情があって父が三人がいる。
 三人は私の死んだ母の恋人だった。
 そして母が死んでから私を引き取って育てている。
 そんな私達は毎年必ず花見をする。
 家の庭に植えられた一本の桜の木の下で、贅沢な花見をするのだ。

「鋼! 飲め! さぁ飲め!」
「パパ臭い! 近寄んないで!」
 早くも顔を真っ赤にして、未成年である娘に日本酒を勧めるのは今年で四十二になる赤毛の男。職業は建築家。実家は結構金持ちらしいけど、勘当同然で家を出てきたらしいから度胸は人一倍あると思う。
 私はこの人をパパと呼んでる。
「おいこら、未成年に酒を飲ませるな」
 常識的な発言でパパを嗜めるのは総ちゃん。総一郎。三十九歳のエリートサラリーマン独身。もてるはずなのに結婚しないのは、私のせいかもしれない。料理だってできるんだから、もてるに決まってるんだけどね。
「ちょっと、陽平さんも笑ってないで止めてよね」
「え? でも面白いし」
 私が睨みつけると、はははと笑うのは父親三人衆の最年少、三十四歳の陽平さんだ。小説家をしているせいか、甚平がひどく似合う。髪がぼさぼさなのが玉に瑕かな。この人、生活能力は皆無と言ってもいい。きっと一人だったら生きられないだろう。
 これが私の愛すべき父親達。
 ハガネなんて、可愛げのない名前を娘につけた変な母を愛した三人の男。
「あー。今年も綺麗に桜が咲いたね」
 あぐらをかいた陽平さんは、そう言うと目の前の大樹を見上げた。片手に持った杯が似合ってる。
 辺りは夜で、縁側のある家の中から漏れるあかりだけが桜を照らす。
 白に近い桃色をした桜の花は、部屋の明かりを反射してぼんやりと光っているように見えた。
 綺麗だ。幻想的で不思議な光景。光を放つ桜の向こうに丸い月。
 文句なしの絶景というやつだ。
 私達四人が住む家を設計する時、パパはまず庭に桜の木を埋める事を決めた。それに総ちゃんも陽平さんも二つ返事で同意した。彼らの友人がうちで花見をしたいとやってきても、必ず彼らは断った。私達四人の神聖な花見に、誰一人立ち入らせようとはしなかった。
 神聖。
 そう。神聖と言ってしかるべきものだ。これは。
「そりゃあ、猪子が鋼のために咲かせる桜だ。綺麗に決まってるさ」
 たった一杯の日本酒で完全に酔ってしまったらしいパパは、大きな口をあけて笑う。
 猪子は母の名前だった。
 これが我が家の持論だ。
 庭に咲くこの桜は、私の母が、私のために咲かせていると。
 我が家における常識の砦と言える総ちゃんもこれは否定しなかったから、本当なのかもしれない。
 桜。
 綺麗な桜。
 死んだ母の、私への贈り物。
 惜しむべくは私の誕生日が春じゃないことくらいだ。私は夏に生まれた。
「鋼、お母さんに挨拶をしてごらん」
 総ちゃんが促した。この場合のお母さんとは、この庭の桜の木を指す。
 もちろん家の中に遺影はある。
 首を少し傾げて微笑む母の写真。
 私は母をよく覚えていないのだけれど。おぼろげに、私に向かって両手を伸ばした、嬉しそうな女性の顔を覚えていた。
『鋼』
 鋼のように強い子に育って欲しいと名づけた名前。
 私は立ち上がって、桜を見上げた。
 私を包み込めるように満開に咲く桜を見て、目を瞑る。
「母さん。鋼は、もうすぐ十八になります。大好きなお父さんたちに囲まれて、鋼はとても幸せです」
 毎日が、忙しい。パパを仕事に駆り立てて、総ちゃんを労って、陽平さんに御飯を食べさせる。とても充実している。時々うんざりするくらいに、幸せだと思う。
「鋼を生んでくれて、ありがとう」
 毎年繰り返す言葉。
 母への報告。
 私は幸せだよ。
 母さんが残したものに囲まれて、とても幸せだよ。
 だから、ありがとう。
 ありがとう。
 そう言ってから、ゆっくりと目をあける。
 すると一瞬だけ、桜の花の向こうに母の幻を見る。
 私に両手を広げて微笑む母。嬉しそうなその笑顔。
 それを見るたびに私は泣きそうになるのだ。
「猪子、鋼は来年受験なんだ。見守ってやっててくれよ」
 パパが言う。
「変な虫がつかないように、お願いしますね猪子さん」
 陽平さんが言う。
「また来年この場に四人が揃うように」
 総ちゃんが言う。
 そして母さんは、きっと、桜の向こうでそれらの願いをはいはいと聞いている。
 それが私達の花見。
 一年に一度の、神聖な儀式。
 母の好きだった桜。
 母の愛した桜。
 私の父親たちは、桜の向こうに愛しい女を見る。
 そして私は、桜の向こうに恋しい母を見る。
 母は。
 強い女だった。
 世界で最後に生き残るのは雌だと豪語する女だった。
 罪なほどに美しく格好いい女だった。
 その全てが、輝いた女だった。
 一閃の雷のように。
 刀の太刀筋のように。
 鋭く、輝かしく、触れたら火傷をしてしまいそうな女だった。
 あたしは何度でも思う。
 母のように生きたいと。
 母のように輝きたいと。
 富や権力を持たずして、その身一つで望む全てを手に出来る。
 それが、女という生き物なのだと、母は言った。
 私は十八になる。
 いずれ私は望む全てを手に入れる。
 父達を手に入れた母のように。
 母さん。私は、私の望む全てを、この手にあますことなく手に入れます。
 十八を目前にしたある春の夜。
 私は母を宿す桜の木に、そう誓った。




そしてこれは、
母と私の戦記である。



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