酒呑童子

 姫君の御行方は丹波國大江山の鬼神が業にて候なり。





 ばり ぼり ばきり
 がり がり じゅるり
 俺以外のものを写すその双眸をくりぬき、
 俺以外のものに笑いかけるその唇を食いちぎり、
 俺以外のものを愛でるその手を嚥下した、
 その時を思い出す。
 俺だけのものにするために喰った。
 手に入れるために貪った。
 けれど気丈なあなたの魂だけは、俺が取り込む前に逃げて行く。
 あなたは強欲だ。
 俺だけでは我慢ができないと言う。
 他も必要だと言う。
 だから喰う。
 俺は酒呑童子。
 かつて都を騒がせ、あなたを攫って食らった月の鬼。
 思い知れ。
 あなたは俺のものなんだ。





 日曜に駅前のシュークリーム屋の前で立っていたら、ある男に声を掛けられた。
「よう、酒呑じゃねぇか?」
 懐かしい名だった。
 もう何年も呼ばれていない。
 そして同属に会うのも久しくなかったことだった。
「元気そうだな、桃太郎」
 言うと、男は八重歯を見せて笑った。
 桃太郎は二十二、三の男の格好をしていた。着ている服もラフなので、コンセプトは大学生といった所だろうか。
 月の出た夜以外、俺達は好きに姿を変じる事ができる。
 そんな俺達が互いを区別するのはその身体に宿る霊によってだ。
 『霊』とは『ひ』。
 その本質。
 魂。
「どこが元気なもんか。かぐやかと思って月の霊の軌跡を追って来たら、こんなマッドな奴にぶち当たるんだもんな」
 こいつが俺達の主人であるかぐや姫と恋仲なのは、千年以上前から月の眷属では有名だった。
 たまたま同じ人間の夫婦に拾われて、育てられたらしい。
 桃太郎の言葉に、俺は片眉を上げた。
「かぐや様とは別行動か?」
「てか、はぐれたんだよ。お前どっかで見なかったか?」
「いや、見てない。......いつからだ?」
「二百年前」
「......」
 完全な迷子じゃないか。
 方向音痴だとは知っていたが、ここまでとは思わなかった。
 かぐや様も苦労をなさる。
 そういえば、こいつには人外の供がいたはず。
「お前の供はどうした?」
「ああ、あそこにいるよ」
 顎で示され見てみると、人ごみの向こう、柱の影に三つの大小の人影があった。
 隠れてるつもりかあれで。
 桃太郎は笑った。
「お前が怖いんだとよ。あいつら一回、お前が女喰ってるのを見たからな。自分らも喰われるんじゃないかと思ってるんだよ」
 ああ。なるほど。
「安心しろと言っておけ。俺は美食家だ」
「酒呑、また喰ったな」
「何十年前の話だ?」
 眉をひそめて言う男に、俺は口の端をゆがめて笑った。
 そう。
 最後に彼女を喰ってから、何年の時が過ぎたか。
 そもそも、月の者達は食べるという行為が必要ない。
 できないわけじゃないが、しなくとも生きてゆけるのだ。
 だから俺が彼女を喰うのは、純粋な独占欲ゆえだ。
 それまでも何度か女を食らった事はあったが、それは楽しむためだった。
 直前まで褥を共にしていた女を喰うのは確かに興奮させるものがあったし、腕を食いちぎられて恐怖にゆがむ女の顔は美しく、それに興じた。
 けれど彼女に会ってから。
 生まれて初めて、愛しいと感じた女を喰ってから。
 それは楽しみではなくなった。
 苦しい。
 なぜだ。
 喰って、あなたの全てを俺の体内に嚥下しても、あなたは俺のものにはなりはしない。
 それが苦しい。
 あれから幾度あなたを食らっただろう。
 それでも満たされない俺の飢えは、俺のあなたへの思いと同じに尽きることはないのだろうか。
「酒呑。かぐやが心配していた」
 哀れむでもなく、男はただそう言った。
 それが俺には嬉しかった。
「ああ。かぐや様はお優しい方だ。そのお心を痛めるのを心苦しく思うよ」
 数度しか会った事がないけれど、あの方は月の女王としてふさわしく思えた。
 俺達の主人としてふさわしく。
「けれど、不変こそが、俺達だろう?」
「......」
 この長い時間。
 人間達が移り行く時の中で、俺と同じように変わらぬ想いを抱き続けるお前にはわかるだろう。
 知っているだろう。
 呪いかとも思えるこの永遠を。
 いっそ忘れる事ができるなら、こんなにも苦しむことはないのに。
「行け、桃太郎。早くかぐや様を見つけて差し上げろ」
「ああ」
 男は笑った。仕方なさそうに。
「じゃあな」
 もう俺は桃太郎を見なかった。
 ......あるいは。
 何度も考えたことだ。俺にはそれだけの時間があった。
 あるいはかぐや様のように、あなたが月の子供であったなら違ったのだろうか。
 あなたが俺と同じ時を生きる人ならば、違ったのだろうか。





 桃太郎を見送ってしばらくしてから、俺はある三人を目に留めた。
 一人は女性で、どうやら男二人組に絡まれているようだ。
 男の一人が下卑た笑いを浮かべながら手を伸ばし女性の腕をつかんだ。
「やめてよ!」
「いいじゃんかよ、ちょっとだけだって」
「どうせ待ち合わせ相手って女だろ?」
「男だっつってんでしょ!離せって......!」
 女性が額に青筋を浮かべ、腰を落として正拳突きを繰り出そうとした所、俺が止めた。
「失せろ」
 睨んだ一瞬、鬼としての気配を放出する。
 男達は青くなって逃げて行った。
「あららー弱っちいわね!」
 彼女は逃げていく男達を見て笑った。
 俺は意図して呆れた顔を浮かべながら彼女を見下ろす。
「街中で正拳突きかまそうとするか?普通」
「えへ」
 彼女は照れたように笑った。





 彼女はかつてくにたかの姫だった。
 そして酒呑童子という鬼に攫われた。
 酒呑童子は彼女を愛した。
 だから彼女を喰った。
 何度も何度も彼女が生まれ変わるたび、彼女を喰った。





 最後にあなたを喰ってから、何十年かの時が過ぎ、再びあなたの霊が人間の胎内に宿るのを感じた時。
 俺は苦しくて苦しくて、壊れてしまいそうだった。
 あなたはまた生まれてくる。
 そして俺を苦しめる。
 それが苦しかった。
 けれど同時に、狂喜したんだ。
 気丈で優しいあなたに、もう一度出会えると。
「行こっ。映画始まっちゃうよ」
 そう言って、白い腕を俺の腕に絡める。
 かつてその同じ腕を、俺は喰った。
 楽しそうに細められた双眸が、遠い昔、くにたかの姫であったあなたの双眸と重なる。
『あなた様を愛しています』
 あなたは言った。
 決して何者にも委ねない誇り高い光を、その眼に宿したまま。
 自分を攫った鬼に、あなたは決して屈しなかった。
 媚びなかった。
 他のどんな女とも違う、気高い魂。
『けれど、あなた様のものにはなれない。わたくしは、わたくしのものなのです』
 俺があなたを食らうその一瞬まで......。
『どうしてわかってはくれないの? ......酒呑』
 姫。
 あなたが、生まれ変わるたび。
 幾度もあなたを閉じ込めて。
 幾度もあなたに拒絶され。
 幾度もあなたを喰らい。
 それでも笑うあなたの側にいたいのだと、
 信じてもらえるだろうか?
「アクション映画でよかったでしょ?ラブストーリーなんてつまらないもの」
 そう笑うあなたは、変わらず美しい。 
 何度生まれ変わっても、何度俺に喰われても。
 きっとそれだけが救い。
 ......お願いだ。
 どうか、今この瞬間だけでもいい。
 その髪一筋まで俺のものだと。

 言ってくれ。



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