「……で、早苗と広路は?」
ようやく二人がいない事に気付いた四人は、けれどあまり心配してなさそうに顔をつき合せていた。
「まぁ、早苗は魔術も使えるようだし、運もよいから大丈夫であろうが……」
「広路も大丈夫だと思うよ」
ベッドの縁で新那に寄り添うように座る王維が言うと、鳥子が笑って続けた。
「馬鹿だからな」
ひどい言われ様である。
「となると、心配すべきはむしろ私達の方みたいね」
白蓮はそう言って腰に手をあてたまま周囲を見渡した。
相変わらずそこにはベッドとクローゼットと壁しかない。
「しかし、扉も窓もない部屋というのはおかしなものじゃな」
「鳥のせいなんだよね。こいつが後先考えない事するから」
「王維、てめぇ」
肩をすくめた王維を、鳥子は口の端をひきつらせて睨んだ。
そんな夫に、白蓮が反応する。
「なになに? あんた何やったの?」
「いや別にたいした事はしてねぇよ。いーからそれよりここから脱出する方法を考えようぜ」
あからさまに話題をそらそうとする鳥子に王維が笑った。
「あっはっは」
「てめこの夢見野郎後で見てろよ」
「何やったのってば」
「待て。見ろ三人とも」
よくとおる新那の声が三人の言葉を切った。
三人は彼女の視線を追って白蓮の背後の壁に目をやり、驚いたように目を見開いた。
そこには、目の覚めるような青い色の扉があらわれていた。
新那は王維が思わず見とれてしまう様子で口の端を上げ、艶やかに笑った。
「この挑戦、受けてたとうじゃないか」
そして彼らはようやく、その部屋から脱出を果たしたのであった。
魔女は考えた。
要は、あの娘達をぎゃふんと言わせればいいのだ。あの娘達にごめんなさいとひれ伏させれば気は済むのだ。
ならば、一応魔術をある程度使えそうな危険要素である早苗は別行動にさせて、まず他の二人の娘を先にぎゃふんと言わせればよい。厄介なのは東の王子の妙な能力だが、要するに口付けられなければいいのだし、東の王子だけを他の三人と引き離すことだってできる。先ほどはあまりに突然なことで慌ててしまったが、今度はそうはいかない。
魔女は唇をぺろりと舐めて濡らした。
自分は魔女なのだ。
あの小娘たちの何倍も生きる魔女なのだ。
その自分が、あんな小娘たちになめられっぱなしでいいわけがない。
まずは泳がせればいい。
彼らの行く道の選択は自分ができる。
扉を一つ、道を一つ作れば、あの者達の行き先は簡単に操作できるのだ。
魔女は笑った。
声を上げて笑った。
そうだ。
所詮あの者達は自分の城の中。自分の手の内なのだ。
何を恐れることがある?
あとは、まるで真綿で首をしめるようにじっくりと追い詰めていけばいいだけなのだ。
魔女はぞくりとした。
あの生意気な娘達が許しを請う場面を想像して、気持ちよさのあまり鳥肌が立った。
さぁ、パーティの始まりだ。
私の手の中で踊るがいい。
愚かな姫君達よ。
広路は、初めて早苗を見初めた婚約者選びのパーティ以来の華麗なステップを見せていた。
「うぉあっとぉお!」
恐竜の、意外にも俊敏な攻撃を避けるためである。
「はっはぁ馬鹿め! 室内に入ったのがお前の運のツキだ!」
ぴょんぴょんと恐竜の尻尾や爪の攻撃を避けながらも、広路は哄笑した。
なるほど、彼らのいる部屋は早苗や広路には十分と広く感じたが、恐竜にとってはいささか狭すぎたらしい。その爬虫類は天井が自分より低いために背筋を伸ばす事もできず、見るからに窮屈そうに動いていた。また広路にとって幸いだったのは、この恐竜が、炎を吐く炎竜の類ではなかったことだ。尻尾や爪の攻撃を避けるだけでも精一杯なのに、この上炎まで吐かれてはたまらない。もし相手が炎竜であったら今頃広路は炭カスとなっていた事だろう。
「やーいばーかばーか」
そのするどい爪を間一髪で避けながら、広路は挑発した。
それはもちろん、恐竜の注意を早苗に向けさせないためであった。
早苗はというと、今必死で集中して広路の愛用の武器である棍棒を取り寄せようとしていた。
広路の得手は棒術である。彼は他国へ遊学へ行った時に見つけた赤い伸縮自在の棍棒を愛用しており、それはたとえ力いっぱいに岩を殴ろうとも折れない最高の武器だった。しかし今、その棍棒は南の国にあった。寝る時にまで武器を身に着けているわけではないので、魔女に攫われた時にそのまま部屋においてきてしまったのだ。
この魔女の城が果たして南の国からどれだけ離れているか知らないが、ある程度距離の離れた所からものを取り寄せるのは、近いところから恋しい夫を取り寄せるよりも難しいようだった。
早苗は集中していた。
大事なのはイメージなのだ。
広路がいつも使っている武器が、自分の手の中にあることを想像する。
南の国の寝室の鏡の中から自分の手が伸びて棍棒を掴み、それを今ここに持っているのを想像する。
広路を呼び寄せるのが簡単だったのは、広路の方も早苗を求めていたからかもしれない。
早苗は集中した。
思い描いた。
あの、赤い、伸び縮みする武器を。
彼女の夫がいつも大切そうに磨いていたあの棍棒を。
愛しい夫の命を救うために。
武器を。
空気が動く。
重い、何かを形作る。
目を瞑った早苗は、その指に確かにしっかりとした感触を感じた。見失わないうちにそれをがしりと掴んだ。
「広路さま! これを!」
広路が振り向くと、早苗が棍棒を投げた。
赤い棍棒がくるくると回り、弧を描きながら飛ぶ。
「あっ」
……。
残念ながら早苗はノーコンだった。
その赤い武器は、くるくると回りながら、広路の方ではなく恐竜の図上を通り過ぎる勢いで飛んでいた。
ちっ
広路は舌打ちをして、地面を蹴った。
「広路さま!」
恐竜の注意は、その目立つ赤い色をした武器にいっている。あれを食べられたら結構ショックだ。気に入っているのに。広路は走った。上半身をひねって背後を振り向き、弧を描く棍棒をじっと見る恐竜の鱗だらけの背中を蹴って、そのでこぼこの肋骨の上を駆け上がった。
赤い獲物は恐竜の頭上を通過しようとする。
恐竜はそれを追うように顔を上げる。
ようやく恐竜の首までたどり着いた広路が、その肩とこめかみのあたりを蹴って飛び、棍棒に手を伸ばす。
恐竜がぱかりと口を開ける。
そして。
ガゴン!
ものすごく痛そうな音と共に、部屋が大きく揺れた。
「ほほほ。三回回ってワンとおっしゃい」
「……」
「あら、でもそれじゃあ三回回るのは無理ね。じゃあさっきごまかしていたことを喋ってもらいましょうか?」
「……」
「喋らないの? いいわよ別に。ならこのまま置いて進んじゃうわよ」
「……鬼」
夫がぼそりと呟いた言葉に、白蓮はまた声を上げて笑った。
彼女は今、大きな落とし穴の前でしゃがんでいた。
その落とし穴の縁には二本の手がかかっている。
「喋った方がいいんじゃないの? 鳥」
「うるせぇ。お前が助けやがれ」
「えー? やだよ。僕白御前に睨まれたくないもん」
「なぜ鳥子はそこまで頑ななのじゃ?」
「……」
同じように落とし穴の前でしゃがみこんだ王維と新那に、鳥子は憮然とした顔をして黙り込んだ。落とし穴の縁に辛うじてつかまりながら、彼の生死は今この冷酷な三人の王女と王子に握られている。
鳥子はなんだか泣きたくなった。
彼らが部屋を出てすぐ、そこには落とし穴があった。
はまったのは一番初めに部屋を出た鳥子であり、しかし彼はその驚くべき反射神経で落とし穴の縁を掴み一命を取り留めたわけだが、今またその命は危険にさらされている。
「さぁ、命には代えられないでしょう? おっしゃいな」
「どんなことかは知らんが死んだら元も子もないぞ」
「言っちゃえー」
鳥子は考えた。
ここでもし、いくらその魔術を封じ込めるためとはいえ魔女に口付けをした事をばらせば確実に白蓮の怒りを買う。そうすれば助けてもらえないのは自明の理だ。下手をすれば白蓮自身の手で引導を渡されてしまうかもしれない。
しかし置いていかれた場合、自力で何とか頑張って這い上がれる可能性がある。
答えは決まった。
鳥子は女心を惑わす笑顔でにっこりと笑った。
「絶対に言わねぇ」
「うわすっごい気になる」
「頑なだな」
事情を知っている王維は、面白くてたまらないという顔で笑いを堪えていた。
と、その時。
『ガゴン!』
というなんだかものすごく痛そうな音と共に、部屋が揺れた。
「へ?」
その予想外の揺れで、鳥子の手は落とし穴の縁から離れた。
当然。彼は、重力に従い、
落下する。
「うおあああぁぁぁぁぁぁ……」
そして彼は、落とし穴の闇の中へ消えていった。
残された三人の王子王女は穴の中を覗き込んだ。
「あらー落ちちゃった」
「ふむ。思ったより深い穴のようじゃの」
「ちっ結局聞き出せなかったじゃないの」
三人は顔を見合わせた。
「どうする?」
「助けに行くにしても、この中に飛び込むのかの」
「んーいんじゃない? これっくらいで死ぬ奴じゃないし」
そう言うと白蓮は立ちあがった。
「そうじゃのう」
「しぶといからね」
同じようにして新那と王維も立ち上がる。
白蓮は立ったまま、落とし穴に向かってこう叫んだ。
「自力で戻ってきたらごほうびあげるわよー!」
その声が穴の中をこだまする。
しばらく耳をすませていると、かすかに返事が返って来た。
「なんて?」
「 『鬼ー!』 だって」
「それだけ元気があるのなら大丈夫じゃな」
「そだね。行こっか」
「出発!」
そして四人は三人となった。
「……」
白雪姫と眠り姫一行の様子をテープで修復した鏡で見ていた魔女は、唖然とした。
「……いや、いくらなんでもひどすぎやしないかい?」
あれが一時期とはいえ自分の継娘であったなんて。
なんだか目頭を押さえた魔女だった。
「……」
一方、早苗と広路の二人も、その場で立ち尽くし言葉を失っていた。
彼らの足元には、頭を天井で打ち目を回して昏倒してしまった恐竜が横たわっている。
広路はまじまじと見て恐竜が気を失っているのを確かめると、ため息をついて首を横に振った。その手にはしっかりと赤い棍棒が握られている。
「情けない……。最古最強の生き物なのに……」
ある程度、昔生きていた最強の生物といわれる恐竜に憧れを持っていた広路だが、その憧れはいまや微塵に砕かれていた。いくらなんでも戦闘中に頭を打って気絶するなんて間抜けすぎて笑い話にするのも憐れである。早苗はその場にしゃがみこみ、恐竜の腕の関節あたりを撫ぜた。
「このままにしておいて大丈夫かしら? 起こします?」
「どうやって?」
「叩いても起きません……よね」
「そうだね。てか起こさない方がいいよ、きっと。放って行こう」
起こしてまた暴れられても困る。
広路は棍棒を持っていない方の手を早苗に差し伸べた。
早苗はまだ少し心配そうに恐竜を見ると、せめてとでもいうように、その鱗に口付けと祝福をしてから夫の手を取って立ち上がった。
「? あの、扉の方へ行くんじゃないんですか?」
自分の手を引っ張り、ずんずんと青い扉とは逆の方の壁へ向かって歩く夫に、早苗は軽く首を傾げた。
「んー。だっていかにもじゃん、あれ。あの女の思い通りに動くのムカつくし、こっち行こうよ」
しかし広路の指した方向には壁しかない。
広路は、ちょうど扉の正面にあたる壁の前で立ち止まると、早苗の手を離して両手に棍棒を掲げるように持った。そして集中し、ゆっくりと息を吐く。
彼は幼い頃、やはり王族の嗜みとして剣術を教わったが、人を切り裂く剣よりむしろちゃんばらごっこで愛用したような棍棒状のものを得物として好み、棒術へと転向した。棒術は体術を基本とし、それは素手への移行も容易にできる戦闘方法である。
広路は、もう一度息を吸い、そして吐いた。
一瞬。
カシュン
びゅお
それは、彼の棒がわずか肩幅ほどの長さから彼の身長ほどの長さまで伸びる音と、それが風を切る音だった。
ドガン!
吹き飛ぶ石の欠片。
空気が切られたことによって巻き起こる風。
それはありえない事であるように見えた。
広路には棒術の天才がある。
それは、誰もが認める事実である。そして彼は最高の愛器に出会った。
その二つは時に奇跡のような事もやってのける。
彼らの前には道があった。
それは、とても一人の人間と一本の武器でできた穴とは思えないような穴だった。
厚い壁に穿たれた、人が跨いで通れるほどの穴。
広路は息を吐いた。
今度のは、集中のためでなく達成感をこめたものだ。
彼は妻を振り向き笑顔を見せた。
「さぁ、行こうか」
妻は笑った。
彼女は、この夫がたまらなく誇らしかった。
かび臭い匂いがした。
「行き止まり?」
「みたいだね、引き返す?」
「いや、ちょっと待て何か書いてある」
そう言って新那はすたすたと進んでいく。
鎧を着た人間の像が左右に四体ずつ、全部で八体立つその廊下の行き着く先はなるほど行き止まりのようだが、新那はその突き当たりの壁を調べるように丹念に撫でた。
「……ふむ」
そして考え込む。
「何かわりましたか?」
新那の隣に王維が立った。
彼は、新那が調べていた壁になにやらみみずがのたくったような模様があるのに気が付いた。自分もそれを撫でてみる。どうやら後から彫られたもののようだが、王維にはこれが何を意味するのか全くわからなかった。
「これは何ですか?」
わからないとすぐ素直に聞くのが王維が王宮の教師達に気に入られているゆえんである。わからなくてもわかったふりをする鳥子や、わかろうとしない広路よりもはるかに、王維は世渡りが上手だった。
「古代文字じゃよ」
新那は答えた。
「そうか。この時代にはもう教養としても古すぎるのじゃな。妾は幼い頃から最低限のものとして学ばされたから覚えておるぞ。千年以上も前に使われていた文字じゃ。しかしこれは……ふむ」
「何て?」
「『はるか最も遠きにある星、あれこそ我の欠けてはならぬ永遠の君』」
恋歌のようだ。
王維はその意を測りかねて首を傾げた。
「ねぇ、これって石じゃなくて砂で出来ているのね」
背後の白蓮の言葉に、二人は振り向いた。
白蓮は廊下に並ぶ像の一体に触れていた。その像は白蓮の三倍ほどの大きさで、彼女が触っているのは像の脛のあたりだった。遠めには石で出来ているように見えたが、どうやら素材は固められた土砂のようだ。鎧を着た彼らは一様に同じ表情をしており、全く区別はつかない。その鎧自体は一昔前の北の方の国のものに見えた。白蓮がその脛を軽く叩く。
「何で固めてるのかしら? とても堅いわ」
はた迷惑なことに、好奇心旺盛な点で、白蓮は三人の王子にひけはとらない。そしてその好奇心でもって面倒を引き起こす確立は三人の王子に大きく勝っているのだ。
ぱらりと、何かが上から降ってきて、白蓮は顔をしかめて手を振った。
「やだなに?」
「っ! 白御前! だめだ逃げろ!」
いち早く気付いたのは王維だった。
伊達に毎日剣を振るっているわけではない。その神経はつねに、特に現在のような緊急事態においては、三百六十度に配られているのだ。
「え?」
白蓮の上に影ができる。
それを見上げる前に、彼女はほとんど反射でその場から飛びのいた。
どがん!
砂埃が舞う。
飛びのいた勢いのまま尻餅をついた白蓮は目を見開いて、言葉を失った。
一瞬前まで自分がいた場所にそのでかい拳を下ろしているのは、まぎれもなく先ほどまで自分が叩いたりしていた像である。
動いた?
まさか。
でも。
「白御前! 後ろに下がって!」
王維が言った。すると白蓮ははっと我に返り、しゃがんだままじりじりと後ろに後ずさった。背後を見せれば襲われる。そんな動物的勘が働いていた。彼女とすれ違う形で、王維が前に出る。その手には剣が握られていた。
白蓮は驚いた。
「あれ? あんたそんな剣どこで……」
「妾が持ってきておいた。こんなこともあろうかと思ってな」
顔だけめぐらして振り向くと、口の端を上げて新那がにやりと笑っていた。
まったく、したたかな女性である。さすが百年も夢の中で生き抜いてきただけはあると、白蓮は嘆息した。
「……うーわーなにそれ」
いささかうんざりしたように王維が言った。
そりゃあうんざりもしたくなるというものだ。今や先ほど白蓮が触っていた一体だけでなく、八体全部がぱきぱきと音をさせながら準備運動でもするように手足を動かしていたのだから。
王維にとって幸いだったのだ、この廊下が目の前の怪物どもには狭すぎることだった。八体全部に一気に襲い掛かられる事はまずないだろう。生命を吹き込まれた像たちは、狭い廊下に一列になって王維と対峙していた。
王維はぺろりと唇を舐めて、腰を低くして剣をかまえる。
「新那さんにいーい所見せるチャンス……ってね」
こんな時にも気分が高揚してしまうのは、かつて戦闘民族であったらしい西の王族の血がなせるわざであろうか。王維はすっと目を細めた。
集中する。神経を研ぎ澄まし、逆立った毛の一本一本で、空気の流れさえも感じ取る。
運命の相手と捜し続けた眠り姫。
彼女をあの塔から救い出した時も、同じような修羅場を潜り抜けたものだ。
もの言わぬ土くれ達には、僕の姫君(+α)に指一本触れさせない。
王維は気合の声と共に床を蹴った。