17.次の授業に遅刻する

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 わたしが中学一年生の時ウメに連れられて行った先の家にはすでに二人の兄弟がいた。
 それが孝重郎と舜だった。当時舜は中二で、孝重郎は高三だった。わたしが初めて会った時孝重郎はグレていて、舜はとても愛想の悪い少年だった。
 母親という女は暗い女だった。所在なげに玄関口に立っていたわたしを無視して、その隣に立っていたウメを呪い殺せそうな目で睨んでいた。正直あの時はマジで呪い殺そうとしてたと思う。まぁウメもかなりケバい格好してたし、呪い殺されても文句の言えない状況だったと思うけど。
 そんな陰鬱な空気の漂う玄関口でもへらりと笑った父が、
『やあ、円ちゃん。今まで放っておいてごめんね。これからは僕達を本当の家族だと思って過ごしてね!』
 と言った時、あ、これはやばい家庭に入っちまったな、と思ったものだった。





「……ええと、あまり深く聞かない方がいい?」
 世間知らずな王子は賢明にもそう確認してきた。
「そうですねー。聞いてていい気分がするものではないと思いますよ」
「それならやめておこう。でも円ちゃんが話したくなったらいつでも話してね」
 そんな日は一生こないと思いますよ、とわたしは思ったが窮地を救ってもらった手前黙っておくことにした。
「あ、王治先輩は教室戻ってもらっていいですよ。わたしここ片付けてから行くんで」
 昼休みはあと十分くらいしかない。急がねば!
「え? もちろん僕も手伝うよ」
「……」
 わたしは笑顔のまま少しの間思案した。
 正直あまりこいつと二人きりにはなりたくないのだ。
 昨日ちょっと熊男と二人きりになっただけで今日も絡まれたし。たぶんこの王子も熊と同じくらい人気があるし。なるべくなら関わりたくない。また女子の集団に囲まれるのはごめんだ。
「……ええと、助けていただいた手前非常にに言いにくいんですが、迷惑なんです」
 とりあえず正直に言うことにした。
 なんでも素直が一番だよね!
 けれど返ってきた反応は予想していたものではなった。
「あはは。円ちゃんって本当に面白いね」
 そう言いながら、王子はわたしが取ろうとしていたナプキンを先に取って床に広げると、素手でマグカップの破片を拾っていった。
「あ、円ちゃんは箒とチリトリ取って。たぶんそのロッカーに入ってると思うから」
「……迷惑ですって言ったと思うんですが」
 憮然とした顔で再び言うと、行武王治は床に片足をついた格好のまま振り向き、眉を上げて笑った。……なんだその人を小馬鹿にしたような顔は。
「マド部の件はごめんね?」
 わたしははっとした。
 そうだ! その件があった!!
「そういえばわたしそんなわけのわからん部活に入部した覚えないんですけど!!」
 そう叫んだが、王子は再びこちらに背を向けて破片拾いに戻ってから答えた。
「あれ? 玄がマド部の活動内容言ってない?」
「言われてません。聞いてません。興味もありません」
「おかしいな。マド部のマドっていうのはね、実はヤギハラマドカちゃんのマ……」
「あーーーーー! 聞こえませんがー!!」
 てゆうか聞きたくないし!
 マド部の由来とかどうでもいいし! わたしそんな部活入らないし!!
 突然の悲鳴に王子は驚いたような顔でこちらを振り向くと、両手で耳を塞いだわたしを見て笑った。
「やっぱり聞いてるよね?」
「聞いてません!」
「玄ってさ」
 どうやら大きな破片は拾い終わったらしい王子が、ナプキンの四隅をつまんで立ち上がる。……く。熊男が規格外にでかいからあまり気にしてなかったけどこの王子もなかなかに高身長だ。ちなみに舜は平均くらい。
「小さい頃からあまり友達がいなかったんだ」
 そりゃそうだ。会って数回の女子に下僕宣言するような奴と友達になりたいと思うわけがないだろう。
 王子は器用にナプキンの四隅を結ぶと、それをポットの前に置いた。カチャ、とナプキンの中でカップの破片が音を立てる。
「目つきが悪いだろ? 昔から体格もよかったし、本人には別にそういうつもりはないのに、周囲は怯えるし余計な敵はできるしで散々だったと思うよ。ああ、周りが遠巻きになるのは家が金持ちっていうのもあったかもね。ともかく玄にとってみれば、初対面で目を合わせた相手が怯えた顔をしたり逆に睨み返してきたりするのが当然だったんだ」
 はぁ。
「でも円ちゃんはそうじゃなかった」
「……そんなことないと思いますけど」
 十分びびってましたけど。会って数分後には狂犬だと断定してその周囲一メートルを立ち入り禁止区域に指定してましたけど。
「そうかな?」
「そうです」
「実は僕も中学の時はちょっとやんちゃしてたんだけど、その僕にも円ちゃんは一歩も引かなかった」
 知ってるよ! 魔王って呼ばれてたんだろ! 化学室で熊と魔王と不良に囲まれた時はマジガクブルでしたよ!
「安西だって見るからに不良なのに、留年のこと黙ってろって怒鳴りつけたし」
 怒鳴りつけてなんかない。ちょっと優しくお願いしただけだ。留年のことは皆に黙っててね☆って。乙女としての節度を越えない範囲で。
「円ちゃんってすごい度胸があるよね」
 そりゃ『歩く殺戮ロボ』というあだ名で親しまれるような不良と一緒に暮らしてたらある程度度胸つくよね。孝重郎のことだけどね。孝重郎ってば不器用だから無口だっただけなんだけど、無言で人を殴る様がさも殺戮ロボットのように見えたんだって。かわいいよね!
「だから玄は君のことをとても気に入ったみたいなんだ」
 へぇ。
「迷惑ですね」
 やべ! つい脊髄反射で答えちゃった!
「あはは。まぁそうかもね。あいつ人の気持ちとか考えないし。でも昨日はけっこうヘコんでたよ」
「……」
「めずらしくうちに来て、なぜかカボチャ押し付けられて煮物にしろって言われたけど」
 それはなんだかゴメンナサイ。
「だから今日の放課後、少し時間もらえないかな?」
 ここんとこわたしの放課後が自由になったためしがないんだけど。
「玄に君に謝罪するチャンスをあげてくれない?」
「……別に綾小路先輩に謝ってもらわなきゃいけないことなんてなにもないです」
 昨日のことは、どう考えてもわたしが一人で暴れて靴落としてぶち切れて熊男に当たっただけだ。正直熊は一ミリも悪くないし謝る必要もない。
「そう思うならなおさら、会ってやってくれないかな」
「……王治先輩は、それを言うためにわたしを探してたんですか?」
 だからタイミングよく生徒会室にも現れたのだろうか。
 そう聞くと、王子は優しく笑ってみせた。
「まぁ、そうかな」
「友達想いなんですね」
「あはは。どっちかっていうと、玄のためっていうより須磨のためなんだけどね」
「え?」
 すま? 誰それ。なんか聞いたことある名前だけど。
「須磨久吉。僕達と同じクラスで、去年から玄の、まぁ言い方悪いけどパシリ? みたいに扱われててさ。それがなんだか今日はひどいんだ。笑わせろ、とか床舐めろ、とか五秒でコーラ買ってこいって言ったあげくそれ一気飲みしろ、とか」
 ひ、ひでえ!
 わたしがどん引きしていると、「ところで」と王子が言った。
「もうチャイム鳴ると思うけど、箒とチリトリ取ってくれないかな?」
 やば!
 とわたしが思うと同時に、キーンコーンと無情にもチャイムが鳴り響いたのだった。
 次、体育なのに!!



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