結局体育に遅刻したわたしは、皆が校庭に集まっている中一人遅れて現れるという非常に目立つ登場の仕方をしたものの、最初の授業ということで先生には大目に見てもらって通常通り授業を受けることができた。
ふー。危なかった。校庭十周とか言われたら突然腹痛を訴えて保健室に行かなきゃいけないところだった。
そんなこんなでなんとか体育の授業を終え、きゃいきゃいはしゃぐ女子達と更衣室で着替える。
「ねぇ、ところで本当は何があったの?」
するとすぐ隣で着替えていた麗が顔を近付け、こそこそと小声で話しかけてきた。
れれれ麗さん! 話すのはいいんですがそのでっかいパイオツをおさめてからにしてください! 目のやり場に困ります!
「ななな何があったって?」
どもってしまったが落ち着けわたし! 相手は女子だ。生物学的に子孫を残すことはできない相手なのだ。あああでもその谷間に触ってみたい!
隣の眼鏡女子がそんな不埒なことを考えているとは思いも寄らない美少女は、シャツのボタンを止めながら続けた。
「だから、遅刻の理由。チャイムに気付かなかったなんて嘘でしょ?」
あー谷間が隠されていく……。と少しだけがっかりしたのは麗には永遠の秘密だ。さすがにそんな女友達気持ち悪いだろうから。
「えーと」
「なによう。私にも言えないような理由なの?」
ごまかし笑いを浮かべると、麗はかわいらしく唇を尖らせてみせた。わたしが男だったらそのかわいい唇にキッスをお見舞いしているところだ! 気をつけろ!
「……そういうわけじゃないんだけどね」
三年に絡まれたところを生徒会長に助けられて、その生徒会長に連れて行かれた生徒会室で書記に押し倒されたあげく自分で割ったマグカップを魔王と片付けてたなんて、昼休みに起きたにしては色々すぎて嘘くさいじゃないか。
困ったな。
「ええと、ちょっと知ってる先輩に会って話し込んじゃったんだよ」
とわたしはざっくり答えた。
「へぇ、誰だれ? 中学の時の先輩?」
「あーっと、違うんだけど……」
王子って上の名前なんだっけ。
「佐竹先輩? っていうかんじの名前の人で」
「ふーん、知らないなぁ。なんの知り合いなの?」
「ええと入学式の日にね、困ってたら助けてくれたんだ」
「ええー! なにそれ! ちょっと運命の出会いっぽくない?」
でたー! 女子脳!
「ないないないって。その先輩かなりモテるらしいんだよ」
「でもでも、最初に円見てかわいいなーって思ったから助けてくれたのかもよ。なに? 教室どこか迷ってたら案内してくれたの?」
「あーそんなかんじ。でもわたしをかわいいと思うとかはないわ」
あなたならあるかもしれないけど、わたしにそういう一目みてドッキュン的なあれは絶対ないわ。あったら相手の視力と趣味を疑うわ。だってこんなもっさい三つ編み眼鏡女子だし。眼鏡とったら美人! っていうオプションもないし。
あ、てゆうか麗は王子のこと知ってるんじゃないの?
「麗って小金丸君とかと同じ中学だって言ってたよね? なら知ってるんじゃないかなぁ。あー。名前、佐竹じゃなかったかも。なんかそんなかんじだったんだけどな。あ、下の名前は王治だよ。そんで中学の時は魔王先輩(笑)って呼ばれてたって小金丸君が言ってたけど……」
わたしはその続きを口にできずに固まった。
なぜなら目の前の美少女の顔が、突然落ちてきた隕石から宇宙人が現れて「やあこんにちは!」と流暢な日本語を披露したのを目撃したような表情を浮かべていたからだ。
え?
どうしたの?
なんか病気の発作?
「ま、円ってその先輩のこと好きなの……?」
んん? 今の文脈からどうしてそうなるの?
「いや、別に……」
むしろなるべく関わり合いになりたくないと思っているのですが。
「……そ、そうか。なんだ。そっか!」
一転、麗はごまかすように笑ってばんばんとわたしの肩を叩いた。
「うー。私ってば恥ずかしいな。あ、そうか。円、綾小路先輩とも知り合いだって言ってたもんね。もしかして入学式の日、二人に助けてもらったの? それってすごいね。言ったかもだけど中学の時は二人とも有名だったんだよ。かっこいいし優しいし……」
ちょっと待て。
「麗」
わたしは今自分の中ではじき出された結論を否定してほしくて、美少女の両肩をがしりと掴んだ。
「も、もしかして、魔王先輩のことが好き……とか、じゃないよね?」
そう聞くと、とたん漫画から抜け出してきたような麗の顔がぼふりと音をたててトマトのように赤くなり、幻覚でなければ周囲にぽぽぽんと星が飛んで花が咲いた。
お、おお……。
わたしがおののいていると、麗が慌てた様子で両手を顔にあてて表情を隠す。
「……」
「……」
それはあれですよね。肯定ってことでいいんですよね。
「あ! 小金丸達には秘密だよ! 誰にも言ってないんだから!」
美少女はぱっと顔をあげると、目を吊り上げて小声で言った。そうしてからがっくりと肩を落とし、眉を八の字にして悩ましいため息をつく。
「……中学の時からずっと好きなの。でも告白する勇気がなくて……」
「……な」
わたしは呻いた。
なんてかわいいんだこいつううううう!
「わ、わたし応援するよ!」
わたしは思わずそう叫んでがし! と麗の手を掴んだ。
「なんでも協力する!」
「ほ、本当?」
「うん! なんでも言って!」
あんな世間知らずの王子なんか(注:イメージです)麗の魅力で一発KOだよ! 自信もって!
「嬉しい! ありがとう!」
と他の着替え中の女子達に多少引かれながらも、わたしたちは更衣室で熱い友情を確かめ合ったのだった。
そしてわたしはあの更衣室での茶番劇を早くも後悔していた。
本当は『玄に君に謝罪するチャンスをあげてくれない?』っていう王子の言葉なんか無視して放課後はすみやかに帰宅する気マンマンだったんだけど、
「お願い円! ついてきて!」
と麗に懇願されなぜか化学室に向かっているという次第であります。
なんでも彼女はどこからか行武(っていう名前だった!)王治と綾小路玄が部活を立ち上げたという話を聞いたらしく、その部活を覗いてみたいのだけれど一人で行く勇気がないのでわたしについてきて欲しいということらしかった。
「でもなんの部活かイマイチよくわからないんだよね。生徒会と兼任できたらいいんだけど……」
まさかヤギハラマドカのマドを取ったマド部なんだよとも言えず、わたしはいったいどうしたものかと考えながら麗に半ば引きずられる形でついに化学室に着いてしまった。
「あ、開けるよ!」
「いやちょっと待って!」
とわたしは叫んだが思い切りのよい美少女は「失礼します!」と声をはりあげてがらりと化学室の扉を開けた。
「……」
「……」
「……」
「……」
四人分の重たい沈黙が落ちる。
そこでわたし達が目にしたのは、化学室の机の上にどかりと座り何やら漫画を読んでいる熊と、がっくりと肩を落としその脚を揉んでいる下僕の姿だった。
あ、あの人が須磨って人か、とわたしは思った。
やっぱり、あれだ。入学式の日に熊に絡まれてた上に昨日熊達と職員室にいた人だ。
なるほどパシリとして脚を揉まされているわけか……かわいそう。思わず同情してしまい、わたしはしんみりとその人を見つめた。
しかしその人は、熊によってどかりと蹴り倒された。
あ、と思う間もなく熊はすたすたとこちらに歩み寄ると、「きゃ!」と可愛く悲鳴を上げた麗を無視してその後ろにいたわたしの腕をがしりと掴んだ。
なんという早業。
「よく来たな、八木原円」
そう言って笑う熊を見て、ああやっぱり来るんじゃなかったと心から後悔したわたしであった。