31.悪漢に女として無視される

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 最初にいち早く麗に触ろうとした男が、じろじろとわたしを品定めしたあげく「ブスに用はねーから」と言ったのを別の男が止めた。
「馬鹿。へたに警察呼ばれても面倒だろ。一緒に連れてくぞ」
「ああ、そうか。ちっ。でも俺そっちのブスは嫌だからな」
 うんよし、二回もブスと言った頭の弱そうなそこの君。その馬鹿丸出しの顔もピアス穴のあいた耳も覚えたから覚悟しとけよ。
 そういうわけで、わたし達は二人とも無事怪しげなビルの中に連行された。
 階段を少し上がった先にあった古そうなエレベーターに乗るのかと思いきや、さらに階段を上らされる。たまり場が二階というわけではないようだったので、この男達がエレベーターを使うことも許されない下っ端か、エレベーターが壊れてるかのどちらかだろう。まぁもっとも、あんな小さなエレベーターに五人で乗るのなんかごめんこうむるがな! ぎゅうぎゅうになって間違って胸とか触られたあげく『今の背中?』とか言われたら殺してしまうかもしれんし。
 結局わたし達は四階まで上らされた。
 バーか何かの看板が壊れた状態で放置されていて、扉にはめ込まれた磨りガラスの端が割れている。
「おーい、ユキ。お客さんだぜー」
 と男の一人が言いながら扉を開けた。
 中にいたのはざっと数えただけで四人。お酒を飲んでいる奴や煙草を吸っている奴もいて、その匂いはこの小さな部屋全体にこびりついているようだった。
 うーやだやだ不衛生。
 窓の側の誰かと話していた少年がこちらを振り向いて目を丸くした。
「……姉ちゃん」
「幸宏!」
 麗が小さく叫んで弟に駆け寄ろうとしたが、馬鹿男が細い腕を掴んだままそれを許さない。
「離してよ!」
「おおっと、そういうわけにゃいかねぇな」
「姉ちゃん……何しに来たんだよ」
 近くで見る幸宏少年は想像していたよりも麗には似ていなかった。
 瞼は一重で、目が小さい。けれど不細工というわけではなく、男らしい顔立ちだと言える。ただ体格は華奢だった。同級生の中でも小さい方じゃないだろうか。彼のような大人しそうな少年が、こんな汚い場所にいることがわたしには驚きだった。
「何って、迎えにきたに決まってるでしょう? 帰るわよ!」
「帰れよ。余計なお世話だ」
「あー。冷たい弟だねぇ。よしよし、可哀想なお姉さんは俺がこっちで可愛がってやるよ」
 馬鹿男がにやにやとした顔で言うと、
「離してってば!」
 と麗がその腕を振り払った。
 美少女のふいの抵抗に驚いた馬鹿男の隙をついて、麗が弟に向かって駆け出す。
「幸宏、行くわよ!」
「離せよ」
「こんなところで馬鹿やって母さん泣かせるんじゃないわよ!」
「うるせぇな! 姉ちゃんには関係ないだろ!」
 なんかドラマみたいなやりとりだな、とわたしは思った。
 こういうシーンよくあるじゃない? その姉弟の家庭では父親が不倫かなんかしていて家を留守がちだったりするのだ。そして思春期の息子が非行に走る。……ってまさに樋口家の話だなそれ。
 そうか。あの家はドラマみたいな家だったのか。本にしたら売れるかな。うーん。でも一応人様の家だしいろいろ権利的な問題が面倒臭そう。
 とかわたしがいろいろと考えている間にも目の前のドラマは進行していた。
「ないわけないでしょ! ……きゃあ!」
 麗が悲鳴を上げた。
 彼女を追いかけてきた馬鹿男が後ろから髪を引っ張ったのだ。わたしの瞼がぴくりと動く。
「姉ちゃん!」
 弟君が叫んだ。
「スズキさん、やめてください!」
「まぁユキ、俺に任せとけって。おせっかいな姉ちゃんは俺がきちんと調教しておいてやっからよ」
「スズキさん!」
 さてそんなドラマが部屋の向かい側の隅で行われている間わたしはどういう状況だったかというと、実はまだ戸口の近くで突っ立っていた。
「サトシ、そっちの女はなに?」
 とわたしの後ろに立つ男に聞いたのは、ぼろぼろのソファに座って煙草をふかしている男だ。その制服を見る限りこのスズキとかサトシとかいう男達と同じ高校の生徒だ。かなり改造してるけど。
「ヒロの姉ちゃんの付き添いだとよ」
「ふーん」
「あ、おいお前、それ新しいジャンプ? 読ませろよ」
「俺が読んでからな」
 と、サトシもわたしの側から離れて行く。
 最初にわたし達に声をかけてきた三人のうちの最後の一人は、いつの間にか部屋の隅に行って会議机の上に座り、そこに置いてあったコンビニのパンにかぶりついていた。
 つまりわたしはノーマーク。
 まるで空気のようにこの場に溶け込んでいる。
 見えてないというわけではないと思うんだけど、ここまでくるとさすがに悲しい。わたしも腕掴まれて、やめてください! とかいや! 離してー! とか叫んでみたい。
 ……いやいやいかん。とわたしは思考を修正した。
 落ち込むために麗についてきたわけではないのだ。
 わたしは自分がノーマークであるのをいいことに、鞄の中をまさぐりながら歩き出した。部屋を横切り、「で? 姉ちゃんは名前なんてーの?」「離してってば!」「スズキさん!」とかいうやり取りをしている姉弟と馬鹿男に歩み寄り、鞄から出したそれを後ろから馬鹿男に押し付ける。
 バチ!!
「ぎゃあ!」
 と馬鹿男が悲鳴を上げて倒れた。
 わたしはすぐさま麗の腕を掴み、「逃げるよ!」と言う。
「スズキ!」
「なにしやがった!」
 ふふふ。何を隠そうスタンガンである。
 昨日熊に襲われてからずっと鞄に忍ばせていたのだ! まさかこんな局面で役に立つとは思わなかったけどな!
「でも、円!」
 麗が困惑した様子の弟を振り向いて少し抵抗する。
「十分でしょ! ここにいたら危ないのは弟君よりむしろ自分なんだよ、麗!」
 ちょっと考えればわかるだろ!
 麗の気が済むならと思ってここまでついてきたが、あまり長居するべきではない。見たところ弟君は無理やりここに留められているわけでもなさそうだし、仲間達の前で姉に説得されても突然改心なんてしないだろう。馬鹿男スズキは容赦なく麗の髪の毛を引っ張ったし、それを弟君以外の誰も止めなかった。少なくとも紳士な行いができる連中ではないのだ。
 できるだけ早く、そして速やかにこの場を退散することが得策だとわたしは判断していた。
 麗は悔しそうに唇を噛んだが、ついにはわたしと一緒に駆け出した。が、遅かったと言わざるをえない。
 戸口には既に、さっきサトシと呼ばれた男が立っていた。
 スタンガンを構える。
「おいおい、物騒なもんはしまえよ」
 スズキを除いた他の男達も立ち上がっている。わたしは口の中で悪態をついた。なんとか麗だけでも逃がしたいのに。
 するとその時、
「姉ちゃん!」
 と後ろから声がして何かがわたし達の横を通り過ぎサトシにタックルした。不意をつかれたサトシが「おあ!」と叫んで倒れる。
「逃げろ!」
「幸宏!」
 それは麗の弟だった。
 グッジョブ弟!
 わたしは弟に駆け寄ろうとする麗を引っぱりサトシを飛び越え、蹴り破る勢いで扉を開けた。
「待て!」
 ぐい、とわたしのしめ縄……もとい三つ編みが引っ張られる。ごき、と首が悲鳴を上げる音が聞こえた。
「円!」
「麗は逃げて! 早く!」
 わたしは叫んだ。
「逃がすか!」
 と他の男が怒鳴る。
「逃げて!」
 わたしはもう一度言った。
 目に涙を浮かべていた麗が、さっと踵を返して戸口の向こうに消える。
「追え!」
 わたしは三つ編みを引っ張る男の足の甲を思い切る踏みつけると、戸口に立ちはだかった。右手にはしっかりとスタンガンを握っている。
 心臓はばくばくとうるさいし、変な汗だってかいていた。全身が震え上がるのを必死で抑え込まなくてはならなかったし、正直どうして自分がここまでしてるのかよくわからない。
 けれど言った。
「ここは通さない」
 その時わたしは、麗を逃がさなくては、と強く思ったのだ。
 首がずきずきと痛い。
 けれどここを退くわけにはいかなかった。
 ずっと頭に浮かんでいたのは、あの日空き地で喧嘩していた孝重郎達だ。彼らは何度でも立ち上がった。もう無理だって、わたしは何度も思ったのにそれでも立ち上がった。そしてきっとそれは、後ろに仲間がいたからだ。
 友達がいたからだ。
 わたしはずっと、そんな彼らに憧れていた。
 あんな友達が欲しいと思ってた。
 バキ! と鈍い音がすぐ近くで聞こえて幸宏少年が蹴飛ばされたのを視界の端に捕らえた。スタンガンを持ったわたしの腕は下から伸びてきた大きな手に掴まれ、あっという間に捻り上げられる。
 あまりの痛みに、わたしはあっさりとスタンガンを手放した。
「ちっ。おい、なんか縛るもん持ってこい。こいつらこのままにはしておけねぇ」
 サトシが言った。
 わたしはここぞとばかりに、「いや、離してー!」と悲劇のヒロインのような悲鳴を上げたが、男達には無視された。
 なんだよ、恥ずかしいじゃないか。



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