兄も姉も、僕が学校で孤立している事には気付かなかった。
なんでも言えよ。家族なんだから。
は、笑わせる。
あんた達に何がわかる。
僕の何がわかるんだ。
トイレに行った帰りだった。
クラスの学級委員長の女子がプリントを両手に抱えて、教室のドアの前で困っているのが目に入った。その子はクラスでも人気のある方で、何人か密かな思いを抱いている男子もいるらしい。
彼女は両手がふさがっているためドアが開けられなくて、誰かに助けを求めるように視線をさまよわせていた。
と、僕と目があった。
その時僕は、初めて彼女をまともに見た。
長い髪をたらした彼女の肌は白く、目も大きくてなるほどクラスの男子共が可愛いと騒ぐのも頷けた。
目があったからには無視するのも気まずいので、僕はドアを開けてあげようと彼女の方に歩いて行った。すると、彼女の方がぎょっとしたように少し身体を引いた。
その彼女の反応を見て、僕は立ち止まった。
彼女は、何か見てはいけないものを見ているかのように僕を見ていた。汚い、不潔なものが近づいてくる。そんな顔だ。
その時、彼女の前のドアががらりと開いた。
彼女はそこに立っていた級友の女子にほっとした顔を見せた。
「何やってんの? 麻子。あんまり遅いから今見に行こうとしてたんだよ」
「いやだーもう、河野がこっち来るからどうしようと思ってたんだよー。真奈美ってば救世主!」
「え? やだほんと、アイツこっち見てるよ。ほら、早く入りなよ」
そんなやりとりを見せて、二人の女性とは教室に入り、ぴしゃりとドアを閉めた。
僕はため息をついた。
救世主?
じゃあ僕は悪の大魔王か。
もし僕があの時、ドアを開けてやってたらあの女はどうしてたのだろう。
お前の開けたドアは通りたくないとばかりに顔をしかめるのだろうか。
すくなくとも、ありがとうとは言わないだろう。
僕はぴしゃりと閉められたドアを開けて教室に入った。
すると、クラスの視線が一気に僕に向けられた。
プリントを教壇においた学級委員長は、クラスの女子に囲まれて僕の方を見ていた。
まるで痴漢扱いだな。
僕は思った。
そして席についた。
***
驚いたことに、その日の帰り、僕はクラスの三人の男子に話しかけられた。
といってもそれは、一緒に帰ろうとか穏やかな類のものではなかったのだけれども。
「お前ちょっと来いよ」
呼び出しだ。
まったく工夫の見られない呼び出し方だが。
僕は大人しく彼らに着いていった。
少しでも家に帰るのが遅くなるというのなら、大歓迎だ。
「お前、館山さんに何したんだよ」
一番大柄の、おそらくこの三人のリーダー格だろう男子が言った。
場所は焼却炉の前だ。
掃除の時間以外人の通らないこの場所は、呼び出し場としては悪くない選択と言えるだろう。
「館山?」
僕は聞き返した。
実は、僕はクラスの人間の名前を把握していなかった。実際、僕と対峙しているこの三人の名前も定かではない。たぶんこの大きいのが田口で、後ろの青いシャツが笹本……細いのが矢島か?
「麻子ちゃんに手ぇ出しといて、忘れたふりする気かよ! この野郎!」
(おそらく)笹本が言った。
ああ、なるほど。
学級委員長か。
館山麻子って言うのか。うん。そういえばそんな名前だった気がしなくもないな。
「とりあえず手は出してないんだけど」
僕は弁解した。
もし学級委員長の事で今僕が呼び出されているのだとしたそれは全くの無実だ。
これまではお前ムカつくとか馬鹿にしてんじゃねぇとかまぁ、僕には否定できない事項での呼び出しだったのでそれも甘受してきたが、今回は全くの濡れ衣だ。僕には反論をする権利があるはずだった。
しかし僕が予想していた通り、彼らは耳をかさなかった。
「うるせぇ! お前大体生意気なんだよ。ちょっと勉強できるからってえばりやがって!」
(たぶん)矢島が言った。
そして、次の瞬間には襟をつかまれ、僕は左頬を殴られていた。
鈍い音がして、口の中に血の味が広がる。歯をくいしばる事もできなかった。
襟首を掴んでいるのは田口だった。
僕よりも体格の大きな田口は、僕の襟を掴み口をゆがめて笑っていた。それは、蟻を殺す時のような残酷さを秘めていた。
「お前明日から学校来るなよ。目障りなんだよ」
田口が言った。
遅れて、殴られた所に痛みが広がってきた。
その時僕は、驚いた事に怒りを感じていた。
それはまるで痛みによって増長されたように、どんどん僕の心を占めていった。僕の身体をも燃えつくしてしまうような怒りだった。その怒りは突然現れたものではなかった。僕の中に、ずっとあった怒りだと僕にはわかった。
そして僕は、その怒りのまま、田口を殴り返した。
初めて人を殴った。
田口は倒れた。
僕は怒りで目の前が真っ赤になって、肩で息をしていた。
なぜ、僕がこんな目に合わなくてはならない?
僕は自問した。
なぜだ。
なぜ僕は疎外される。
救世主?
なぜだ。僕はドアを開けてやろうとしただけだ。
学校だけじゃない。
家でだって。
兄も姉も、守っているという名目で僕を蚊帳の外に置いている。
僕を包み、両親がいないという悲しみから守ろうとして、僕を疎外している。
違う。
僕は守っていけなきゃいけないほど子供じゃない。
馬鹿にするな。
守るなんてのは、お前らのエゴだ。
僕のことを何も知らないくせに。
大っ嫌いだ。
お兄ちゃんもお姉ちゃんも。
大嫌いだ。